「名前、浮気したな」


 目覚めてすぐに聞こえた呪いのような声に、わたしは目覚めたことを後悔した。もう一度寝たい。聞かなかったことにしたい。いや駄目、起きないと。のそのそと起き上がったわたしに、部屋の隅からにじり寄ってきたのは、案の定七松だった。くっそー、罠増やしたのに駄目だったか。わたしの足を跨いで、ぐんぐん迫ってくる七松を無視して、くしゃくしゃになった髪を手で適当に梳かす。眠い。


「あんたが何を言いたいかさっぱりわからないけど、それよりも先に言うことあるでしょ?」
「おはよう、名前」
「はい、おはよう。よくできたねー」
「名前、浮気した」
「はあ?あー、ごめん、あとで聞くから、とりあえず外出て」
「名前、」
「わたし、着替えたいの。お願い」


 七松の目を真っ直ぐ見て言えば、七松は唇を尖らせて拗ねた態度を取りながらも、大人しくわたしの上から降りた。この前七松があまりにしつこくてうざくてムカついたので、かなーりきつく怒ってそのあと1週間くらい口を一切聞かないでいたのが効いているようだ。これはいい。他の奴らにも試したけど、こんなに効果があったのは七松だけだ。善法寺は逆効果だった。あれはほどほどにかまってやった方がめんどくさくない。目の前で自殺されそうになったときは本気で焦った。
 七松が部屋から出ていったのを見届けてから、さっさと布団を片付けて、さっさと着替える。手拭いを引っ張り出して、重い足を引きずりながら戸を開けると、戸の真横で待ってたらしい七松ががばっ、と抱きついてきた。重い、苦しい、痛い。七松の腕を掴んで「離してくれる?」と言えば、むう、と唸りながらも腕を離し、わたしの制服を掴んで、後ろをのさのさついてくる。うん、わたしの話もまともに聞かなかった頃に比べたらまし。


「名前、名前ってば」
「顔洗う。そこで待ってて」
「さっき待ったから、私の話を聞いて」
「わかった、わかったから、顔くらい洗わせてよ」
「うん」
「…やけに素直ね、怖いんだけど」
「名前、私は名前に浮気をされて悲しいけど、許してやるんだ」
「お、おう?その、浮気?がどうのって、どういうことなの。そもそもわたしとあんたは恋仲でも何でもない」
「名前と私は恋仲だぞ?」


 何を言っているんだ、と首を傾げる七松に、呆れてため息も出ない。すれ違う同輩たちも「今日は七松か…」と憐みの目を向けてくる。後輩たちは戸惑ったようにしながらも、おずおずと挨拶をしてくれる。いい子たち。わたしが忍たまの馬鹿どもにまとわりつかれていることを知っている子たちは、わたしのことを心配して、わたしを守ろうとしてくれる。食満とか潮江とかはそれでいいんだけど、七松は別。くのたまが何人集まっても、力じゃ敵わないことは明らかだし、下手したら怪我人出る。わたし個人のことで誰かを傷つけたくないじゃない?本当にやばいと思ったら助けを求めるけど、それまでは大丈夫。
 わたしが顔を洗って、髪を結っている間も、七松はわたしにへばりついていた。後から井戸にやってきた子たちがぎょっ、として見ている。わたしが髪を結い終われば、自分の髪も結って、とか言い出して、ものすごく雑に結われた紙を一回解いて、結い直してやった。それだけで機嫌が良くなるんだから、他のやつよりまし。中在家とか、あれほんとこわい。話しかけるでもなく、じーっと見てるだけ。監視されてるみたいで、一番怖い。食堂に向かう途中で「で、なに、話って」と振れば、七松は途端に拗ねた顔になった。


「名前、昨日仙蔵と歩いていただろ?」
「あー、歩いて…、いや、あれは逃げてたっていうんだよ。立花、わたしのことを隙さえあれば監禁しようとしてくるから」
「私以外とふたりっきりでいたら、全部浮気だ」
「くのたまもたくさんいたはずなんだけど…」
「でも許す」
「やばい、七松と会話ができてない」
「私は細かいことは気にしないからな!名前が私を好きならいいんだ!」
「え、わたし、七松に好きだって言ったの?」
「言った!」
「わたしの記憶にはない。捏造するな」
「してない!」


 なにその自信、いったいどこから来るの?七松の自信満々な顔を見ていたら、わたしは頭が痛くなってきた。七松の思いこみはすごい。わたしの言葉ひとつひとつを自分のいいように解釈するわ、記憶は勝手に作り上げるわ、妄想なのか現実なのか曖昧になってるときはあるわで、まともに相手にしてたらこっちが先におかしくなる。でも今のところ、七松の中でのわたしとの関係は、みんなには内緒で付き合っている恋人、らしいから、それ以上の関係に進化しないように気をつけないと。
 忍たま教室とくのたま教室が合流する廊下が近づいてくると、がやがやと人の声も多くなってくる。いまだにわたしの制服を掴んでいる七松を見上げれば、わかってる、と言いたげな顔をして手を離した。わたしは飼い犬が初めて躾を守ったときにみたいな気分になった。


「覚えてたの?」
「もちろんだ!私と名前が恋仲だっていうのは、みんなには内緒だからな!」
「えらいねー、いい子ねー。じゃあ、わたし友達待つから」
「うんっ」


 またな名前!、と嬉しそうに手を振って、食堂のほうに走っていく七松を見て、はああ、と深いため息をついた。疲れた。朝から無駄に疲れた。今日はもうあいつらの相手したくない。いや、いつでもしたくない。そう思ったわたしが悪いんだろうか、七松がさっき曲がった角から、善法寺がひょこっ、と顔を出した。わたしを見つけた途端、ぱああ、と顔をほころばせる。思いっきり顔を歪ませるわたしには気づかないのか、わたしの名前を呼びながら駆け寄ってくる善法寺の姿に、本格的に頭が痛くなってきた。かまってちゃん二連発とか、今日は厄日か。







■気が強い六年くのたまの女主がヤンデレな六年生につきまとわれ、苦労している話/カイさま
 20130925





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