しとしとと、雨が降り始めた。顔色の悪い他の四年生に紛れて、ひとり四年長屋に戻ろうとする背中を追いかけ、腕を掴む。びくっ、と肩を跳ねさせて振り向いたなまえは、腕を掴んだのが僕だとわかると、ほっ、と息を吐いた。「ただいま」と笑ったなまえに酷く胸が締め付けられて、思わず手に力が入る。不思議そうに首を傾げたなまえの腕を引いて、なまえの部屋に足を進めれば、なまえは困惑した様子で僕の名前を呼んだ。それに答えることなく、振り返ることもなく、僕はまっすぐになまえの部屋に向かった。
 戸を閉めた部屋はとても暗い。わずかに差し込む月明かりの下でもなまえはおそろしく綺麗で、泣きそうになった。こんな綺麗で優しい子が、どうして人を殺させなくちゃいけないんだろう。やっとなまえの方に体を向けた僕の顔をおずおずと覗き込んだなまえが、不安そうな顔をしていた。


「伊作、どうしたの?僕なら平気だよ。怪我もしてない」
「………」
「ねえお願いだから、そんな顔しないで」


 悲しそうに目を伏せるなまえに、胸が締め付けられる。この子を守りたくて忍者を目指しているはずなのに、結局何もできない自分が情けない。なまえはいつももそうだった。なまえは、僕がいなくても生きていける。なまえがいないと生きていけないのは、僕の方だ。
 なまえの頬を両手で包む。再び僕の目を覗き込んだなまえは、僕の手にそっと手を重ねた。「伊作は、」と開いた薄い唇に、一瞬、目を奪われた。


「どうしてそんなに僕のこと心配してくれるの?」
「…なまえが、自分のことを大切にしないから」
「そんなこと、」
「あるよ、ある。なまえはずっと、なまえの両親が亡くなってから、ずっとそうなんだよ」
「…伊作、」
「僕がなまえを心配しないと、なまえは、簡単に自分を犠牲にする、から、」


 その先に続くはずだった言葉は、声にならなかった。ぐっ、と息をつまらせた僕を、なまえはじっと見上げて、「…ごめん、なさい」と呟いた。そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。ぎゅう、となまえの体を腕ごと抱き込むと、なまえは僕の忍装束を握り締めた。まだ大人になりきれていない、細くて小さななまえ。僕の肩に顔を埋めるようにじっとしているなまえに、そこにある体温に、僕は安心していた。誰よりも何よりも、この子をなくしたくない。「なまえ」と耳元でささやけば、なまえは返事の代わりにすり寄った。かわいい。かわいい、なあ。


「無事でよかった」
「…うん」
「なまえ」
「ん」
「…すきだよ」


 しばらくの沈黙のあと、「ぼくも」と応えたなまえの声は、雨の音に消え入りそうなほど小さく、ふるえていた。





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