「お、尾浜先輩、あの、ぼく、何かしましたか…?怒っていらっしゃるなら、あ、謝りますからあ…」


 この部屋に連れ込んでからずっと正座をしておれの様子をおずおずと窺っているなまえが、ついに泣き出しそうな声を出す。ちらっと盗み見れば、小さな体をふるふると震わせて、膝の上できつく握り締めている手も震えている。下を俯いているせいで顔は見えないけど、きっと目いっぱいに涙を溜めているはず。その様子を思い浮かべて、おれは思わずほくそ笑んだ。どうせなまえには見えていないんだけど。
 俺が体を少し動かしただけで肩を飛び上がらせ、上目遣いでこちらを窺う様は、まるで小動物だ。俺は笑みを隠して、わざと無表情を作る。本当はにやにやしたい。今にも泣き出しそうななまえ、かわいすぎる。俺と目が合うと、ますます涙が溢れてきて、零れ落ちないのが不思議なくらいだ。


「あ、あの、ぼく、その、お、尾浜先輩が、なんで機嫌悪いのか、わかっ、わからなくて、でも、きっとぼく、また何か、その、失敗とか、したから、尾浜先輩が怒ってらっしゃるんだと、思うんですけど、ぼく、今日は鉢屋先輩と、お茶を飲んだだけで、他に何もしてなくて、あっ、それが、いけなかったんでしょうか。ほ、本当は仕事があったのに、ぼくじゃ、だめだから…」


 なまえがくしゃ、と顔を歪ませた瞬間、ついにぽろぽろと涙が零れ落ちた。一度溢れてしまったそれは、止まることを知らないかのように次から次へと押し出されて、なまえの頬を滑り落ちていく。えぐっ、えぐっ、と嗚咽を漏らしながら、「ごめんなさい」と切れ切れに謝るなまえを見ながら、俺は口元に浮かぶ笑みを抑えることができなかった。かわいい。かわいすぎる。その涙ひとつひとつを舐めてしまいたい。ただ床に落ちるなんて、もったいない。必死に目元をこするなまえは、か細い声でまた「ごめんなさい」と謝った。


「なまえ」
「っ、はい、」
「俺、まだなーんにも言ってない」
「う、ごめんなさい…」


 俺がため息交じりにそう言えば、なまえはますます涙をこぼし始めた。大きな目は真っ赤になってしまっている。このまま二年生の長屋に帰したら、またあの仲良し四人組に「なまえをいじめないでください」って言われちゃうかな。そうなると困るなあ。あの子たち、俺を見るとなまえをつれて逃げていっちゃうし。だから最近なまえと一緒にいれなくてつまんない。今日だって、俺が学園長のお使いに行ってる間に、三郎と仲良くお茶会なんかしちゃってさ。ずるいよね。俺だってなまえとお茶会したかったのに。
 なまえは一度泣き出すとなかなか泣き止まない。ぐすぐすと鼻をすするなまえの頭に手を乗せると、なまえはビクッと肩を跳ねさせた。なるべく優しく撫でてやると、なまえは俺を不思議そうにおずおずと見上げてくる。はあ、なにこの子かわいい。


「で、でも、尾浜先輩、怒ってる…」
「んー、まあ、怒ってることに変わりはないけど」
「うっ、ううう…」
「あーあーあー、ほら、もう泣き止んでなまえ。怒ってないから、ね?」
「うう、はいい…っ」


 一生懸命に目元をこするなまえを見ていると、あーあ、と残念に思う。もっと泣かせたいなあ、って、もっともっと俺のことだけ考えてくれないかなあ、って。なまえの頭を引き寄せて俺の胸に顔を押し付けるようにしてやると、なまえは俺の制服をぎゅううう、と握り締めて、またえぐえぐと泣き始める。なまえの背中を撫でながら、空いている手でにやにやと緩む口元を隠した。ほんとかわいい。もうだめ。隠せない。
 なまえが泣き止む頃には外もすっかり暗くなっていて、夕食の時間になっていた。ごめんなさいと謝るなまえを宥めて、一緒に食堂に向かう。目が真っ赤になっているけど、二年生の誰にも会いませんように。同じ学年の奴にも会いたくないけど。すん、と鼻を鳴らしたなまえが「そういえば、」とおずおずと俺を見上げてきた。


「尾浜先輩はなんで怒ってらっしゃったんですか」
「あー…、なんでもない」
「?」


 三郎に嫉妬しただけ、なんてさすがに言えないよね。






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