眠ることは容易いと貴方は嘘を吐く



 当たり前だけど、試合用の靴と客席を回るときの靴は違う。試合用の靴はヒールがなくて、格闘技用の靴を改造した感じで動きやすいけど、よく見ると糸がほつれていたり、傷があったりして見栄えが悪い。だから客席に回るときの靴は、きちんと綺麗な靴に履き替える。正直、男の人は靴なんて見ないんじゃないかなあ、と思うんだけど、女のお客さんもたまにいるし、オーナーの趣味だから仕方ない。で、その靴はその日ついてくれたウエイターが選んできてくれるんだけど、このウエイターは嫌がらせかってくらいヒールの高いパンプスを持ってくる。


「さくらさん、急いでください。今日もたくさん指名されているんですから」
「あ、はい、すみません」


 だったらもっとヒールが低いパンプスにしてよ、と文句を言いたいのを我慢して、あちこちから掛けられる声に適当に応え、ずんずんと進んでいくウエイターを追う。少しでも目を離したら、はぐれてしまいそう。
 このガールズファイトでは、何試合かごとに女の子たちが客席を回って、指名してくれたお客さんの相手をする時間がある。この時間は女の子とウエイターはもちろん、お客さんも席を離れて動いたりする。目当ての女の子の試合が終わって、女の子の指名をしないお客さんの中には、すべての試合を見ないで途中で帰る人もいるから、この時間は会場は人でごったがえしてしまうのだ。
 慣れない高いヒールに足がもつれそうになって、足元に視線を落としたすきに、ウエイターが人に隠れて見えなくなって、慌てて早足で追いかける。それに気を取られて、横を通っていく人に気付かずに思いっきりぶつかってしまった。あ、  転びそうになったわたしをぐいっと引き寄せて支えてくれたのは、先に行ったはずのウエイターだった。


「大丈夫ですか」


 まつ毛の長い大きな目に顔をのぞき込まれて、ドキッと心臓が高鳴った。ここのウエイターはかっこいいと評判で、ウエイター目当てでここに来る女のお客さんもいるくらいだ。そんな人にまともに顔をのぞき込まれたら、さすがに心臓に悪い。わたしは「だいじょうぶです」と目をそらしながら答えて、ウエイターの腕から体を起こす。でもウエイターはわたしの腕を掴んだまま歩き出した。両手は手錠で繋がれているせいで、すごく歩きづらい。「離してください」わたしの声は会場の音楽にかき消されてしまって、ウエイターには届かないのか、単純に無視されているのか。でもさっきよりも歩くペースを遅くしてくれている。ウエイターの後ろをぴったりとついて歩いた方が、人とぶつからなくて楽だ。しばらく歩いていると、今度はぐいっと腕を引かれ、ウエイターの前に出された。優しいんだか乱暴なんだかわからない。


「善法寺さんです」


 ウエイターが後ろから耳元で教えてくれた名前を心の中で繰り返して、笑顔を作ってから「こんばんは、善法寺さん」と声をかける。黒髪の男の人はばっ、と振り返り、大きな目を細めて、ふにゃり、と微笑んだ。うながされるまま善法寺さんの隣に座り、ウエイターから渡されたコップを受け取る。わたしたちはキャバクラで働いているわけではないから、お酒も作らなくていいし、無理に話をしなくてもいい。ユキちゃんなんか、不機嫌を前面に出したままじっと椅子に座っているだけのときもある。指名してくれたお客さんの近くにただ座っているだけで、3000円だ。指名の多いときは10分くらいしかいられないのに。この人たちは、わたしを指名するために、入場料とは別に3000円を払っている。
 善法寺さんの方を向いて、「今日も指名してくださってありがとうございます」と笑いかける。ユキちゃんたちは「愛想悪くするのよ!」って言うけど、3000円を払わせて愛想悪くしていたら、さすがに申し訳ない。


「少しでもさくらちゃんと話がしたいだけだよ。そういえば、この前の怪我、随分よくなったみたいだね」
「はい。唇の先が少し切れてしまったので、まだ大きく口を開けると少し痛いですが、痣もほとんど残ってません」
「うん、よかった。女の子の顔に傷が残っちゃったら、いろいろ困るもんね」


 善法寺さんは人のことでも自分のことのように喜んでくれる、とてもやさしい人だ。いつもわたしの心配をしてくれる。怪我はない?無理はしてない?そうやって優しい言葉を掛けてくれる。だから善法寺さんは女の子の中でも人気だ。かっこいいし、優しいし、しかも今はどこかの医大生らしい。女の子たちは口をそろえて「付き合うなら善法寺さんみたいな人よね!」と言うけど、わたしはあんまり好きじゃない。
 コップの水に口をつける。冷たい水が喉を通って落ちていく。はあ、と息をつけば、善法寺さんは笑顔を崩さずにわたしに話しかけてきた。


「この間、ぼくと一緒に来てた留三郎を覚えてる?」
「はい、覚えてます」
「留さんがね、どうしてきみみたいな普通の子があそこにいるんだろうってすごく不思議そうにしていたよ」
「ええ、よく言われます」
「実はね、ぼくもずっと不思議に思っていたんだ。さくらちゃんは他の女の子たちみたいに特別強いわけじゃないし、戦うことが好きそうには見えない」
「はい、人を傷つけるのは好きじゃないです」
「じゃあどうして、さくらちゃんはここにいるの?」


 善法寺さんは無害そうな顔をして、わたしに笑いかける。わたしは「どうしてでしょうねえ」と首を傾げる。善法寺さんは「さくらちゃんはずるいなあ」と笑う。優しいだけの人は、こんなところには通わない。
 あなたは、理由がないとここにいてはいけないと言うの?






130810

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