減らず口がひぃふぅみぃ



 泊まりの客のほとんどが家路についた頃に、ハナはしれっと帰ってきた。眠そうに欠伸をしながら自室に向かうハナに、思わずため息が出る。ハナを慕っている花街の人間は多い。ハナが酒を飲みに出掛けては朝まで帰ってこないことは、そんなに珍しくない。が、昨日は八左にとんでもない誤解をさせていったようで、面倒なことこの上なかった。何が逢い引きだ。お前には何人の恋人がいるっていうんだ、ばかたれが。
 自室に戻ってさっそく煙管をふかしているハナに向かい合えば、昨日ハナが帯に挿していた簪がなくなっていることに気がついた。


「簪、なくしたのか」
「ああ、あの子にあげた。わたしのものをお守りにしたいと言ってね」
「…そうか。それで、身請けの相手は」
「城下の武家の男だそうだ。そんなに悪い男ではないからとは言っていたが、昨日は泣き通しだったよ。泣き疲れて寝付くまで離してくれなくてね、帰りが遅くなってしまった。あと、簪も悪かった。お前から貰ったものだったのにな」
「…うるせえ、ばかたれ」
「なんて理不尽な暴言」


 ハナはにやりと笑って、またひとつ欠伸を零した。そんなもの、ずっと前の話だから、忘れてくれていいのに。恥ずかしさから顔が赤くなる。ハナにからかわれる前に話題を変えようと、昨日の分の帳簿をハナの前に開けば、ハナの意識はそっちにそれた。煙を吐き出しながら、ぱらぱらと目を通していく。


「昨日は何かあった?」
「ああ、少し面倒なことが起きた」
「…問題を起こすような客は来ていないはずだけど」
「昨日、馴染みの客についてきた一見の客がいたのは知っているだろ」
「ああ。確かに若かったようだが…」
「それが、だ、どうやら三木ヱ門に一目惚れをしたらしい」
「…はあ、それで?」
「宴会席では大人しくしていたが、席を離れた三木ヱ門についてきて、人気のないところでしつこく言い寄ったらしい。腕を掴んで、物陰に引き込もうとしていたところを小平太が見つけて、殴り飛ばした」
「賢明な判断だ」
「馴染みの客に事情を説明して了解を得てから、その男は花街の外に放り投げたが、それきり三木ヱ門が部屋から出てこねえ。様子を見に行っても混乱しててまともに話が出来ねえし、とりあえず今は一人にしてる。あの様子だと寝てねえかもな」


 そうか、と呟いたハナは口を閉ざし、何かを考え込む。しばらくすると煙管から灰を落とし、はあ、とため息を吐いた。顔にかかっていた髪を後ろにかき上げて、帳簿を閉じた。


「文次郎、面倒事を任せてしまって悪かった。わたしから馴染みの客には手紙を出しておくよ」
「頼む。もしかしたら滝夜叉丸と喜八郎が様子を見に行ってるかもしれん」
「わかった。わたし、酒臭くないか、大丈夫か」
「いつもと香が違う。せめて着替えろ」
「ああ、そうだった、風呂を借りたんだった。着替えるから、文次郎はもう休んでくれ。隈が酷いぞ」
「今さらだな」
「ふふ、そうだな」


 ゆるりと微笑んで「文次郎、」と俺の名前を呼んだハナの小さな手が、俺の頭をかすめるように撫でた。この歳にもなって子ども扱いするな、と何度も言ったところで、ハナは子ども扱いをやめてはくれない。ハナからしてみれば、子ども同然なのだろうけど。俺がハナの手を払うよりも先にその手は離れていった。煙管を灰皿の淵に置いて、だるそうに立ち上がったハナを残し、俺はさっさと部屋を出る。その前に足を止めてハナを振り返れば、腕を上に突き上げ、伸びをしていたハナが不思議そうに首を傾げた。


「ハナ、好きな色はあるか」
「え、うーん、臙脂色かなあ」
「臙脂…」
「え、なに?」
「いや、別に意味はねえよ」
「そう?」
「ああ、じゃあな」
「うん、おやすみ」


 ぱたん、と戸を閉めて、人気のない見世の中を進みながら、町の店を思い浮かべる。臙脂色の簪、いや、着物でもいい、どこかで売ってねえかな。



減らず口がひぃふぅみぃ







130616



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