「名前、飯は食べたのか」


 敷きっ放しなのだろう、随分とくたびれた布団の上でうつ伏せになっている名前に声をかける。名前は億劫そうな動きでこちらを向き、乱れた髪を避けようともせず、私の姿を捕えた。普段から虚ろな目は、日が落ちてきたこの長屋の中ではより暗く見えた。「利吉さんだあ。おかえりなさい」と少しだけ弾んだ声を出した名前は、それでもうつ伏せの体勢から変わるつもりはないらしい。枕を抱え込むように組んでいた腕を持ち上げて、ゆるゆると振っている。私は静かに息を吐き、名前の方に足を踏み出す。布団の横に腰を下ろすと、名前が不思議そうに私を見上げる。顔にかかった髪を指で払ってやると、くすぐったそうに緩く微笑んで首をすくめた。


「名前」
「ん、なあに?」
「飯は食べたのか、と聞いているんだ」
「食べてなーい」
「…なんで?」
「少しくらい食べなくたって死にはしないよ」


 へら、と笑った名前は、「利吉さんだって食べるの忘れることあるでしょー」と続けた。生きるか死ぬか、の問題ではない。きちんと生きているかどうか、なんだ。名前が今までどんな生活をしてきたのかなんて知らないし、直接聞いたところではぐらかされてしまうだろう。でもあまり恵まれた環境ではなかったことは明らかだ。忍術学園にいる子たちとそんなに変わらないというのに、どうしてここまで自分のことを蔑にできるのだろう。するり、と名前の頬を撫でる。女のそれのように柔らかな肌の上を何度か撫でると、名前が嬉しそうに笑った。「今日の利吉さん、いつもより優しいね」そう言って、ゆっくりと体を起こした名前の細い肩から着物が滑り落ちる。胸元には肋骨がうっすらと浮かんでいる。目を逸らしたくなるほど痛々しい様に、私は唇を噛んだ。


「利吉さん、明日もここにいる?」
「ああ。しばらく仕事は入ってないよ」
「ほんと?じゃあ、おれ、ご飯作るね。昨日、教えてもらったんだ」
「教えてもらった、って、どこで?」
「ん?お客さんのとこだよ」


 着物の襟を適当に直している名前の口から零れたのは、町で有名な料亭の息子の名前。ああ、まただ。自分の中でどす黒い感情が渦巻く。名前が私がいない間に、男を相手に身体を売っていることは知っている。それを名前が話すたびに、この感情が私の中を占める。嫉妬だ。恋仲でも何でもないくせに、それだけは一人前で、本当に嫌になる。でも感情のまま名前に手を出してしまったら、それこそ名前を買っている男たちと同じになってしまう。それだけは、嫌だ。
 いつもはひとつに結っている髪が今は解かれていて、肩を滑り落ちて名前の手元に落ちる。鬱陶しそうに掻きあげたせいで、また胸元が開く。ふと視界に入った鎖骨の上に、赤い痕がひとつ、ふたつ。私は見なかったふりをして、名前の衿を直してやろうと手を伸ばした。


「帯が緩いな。名前、一回立ってくれ」
「はあい」


 素直に立ちあがった名前の帯を結び直して、衿を綺麗に整える。女物のそれを見事に着こなす名前は、女と見間違えるほど綺麗だ。頭をよぎった邪な考えを振り払い、名前から手を離す。やけに嬉しそうな名前が「ありがとう」と言って、抱きついてきたのを無理やり引き剥がし、名前に背を向けて部屋を出た。


「利吉さん、怒った?」
「別に、怒ったわけじゃない」
「じゃあなに?照れたの?ねえねえ、利吉さん」
「っ、名前、少し離れて歩いてくれよ」
「あ、利吉さん、顔真っ赤。照れた?」
「うるさいっ」
「どうしよう、おれ、利吉さんの照れた顔、好きかも!」


 ああもう、そういうこと言うのやめてくれよ!本気にするから!








121228

主人公:情緒不安定、甘えた、気まぐれ、嘘つき。




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