ずしゃっ。
 わたしのひ弱な体は硬いマットの上に投げ出される。わたしの体を包むふわふわのフリルやレースは、わたしの体を守るためのものではないから、打ちつけられた背中に激痛が走る。痛い、痛い痛い痛い。動けずにその場に倒れたままで、まぶしいライトの光を背後にして立つ女の子を見上げた。彼女がまとう黒いラバー生地の際どいSMファッションから伸びる長い手足がやけに白くて、綺麗で、わたしは感嘆のため息を吐く。わたしがまとっているのはフリルとレースがたくさんあしらわれた可愛らしいミニスカメイド服。胸はわざと小さめのブラジャーをつけて潰してある。コンセプトは、ロリ系メイド。2人とも、安いAVから飛び出してきたみたいだ。
 SM女王様に扮した彼女がわたしの胸ぐらをつかんで立ちあがらせる。ちかちか、ちかちか。ライトの光がわたしたちを照らし出す。一段低くなっている観客席には、コップを片手にこちらを眺めている人もいれば、檻の周りに群がってわたしたちを舐めるように見ている人もいる。今日は、やけにうるさい。歓声を上げているお客さんたちに何気なく視線を流すと、会場はまた盛り上がる。怪物の咆哮のようなそれに、頭がくらくらする。うるさい。自力で立つことを諦めたわたしを持ち上げたまま、目の前の女の子はふわりと笑った。その場にそぐわない、やさしい微笑みだった。一番近くにいるわたしにだけわかるように。次の瞬間には彼女の片手が振り上げられ、それがわたしのほっぺたに振り落とされた直後、会場は今夜一番の盛り上がりを見せた。わたしの体は再びマットに打ちつけられる。痛い、いたいよ。
 ふと、わたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。もしかしたらずっと呼ばれていたのかもしれない。手を叩く音もする。この人たちは、わたしを心配なんてしていない。弱いわたしを見て、興奮しているのだ。美しい獣のような彼女は、そのSMファッションによく似合う妖艶な笑みを浮かべている。彼女のほうが、マットの上に横たわるわたしなんかより、ずっとずっと美しい、のに。
 どうして、わたしの名前を呼んでいるんだろう。





 控室に運ばれたわたしは、ウエイターに冷たいタオルで赤く腫れた頬を冷やしてもらいながら、ぼんやりと会場の歓声に耳を傾ける。次の試合が始まる時間だ。会場からは相変わらず男たちの声が聞こえてくる。うるさいなあ。わずかに動いた時に、ちくり、と刺すような痛みが走る。「痛っ」と声を上げると、ウエイターが慌てたように頭を下げた。灰色の髪からちらりと見える耳が、何故か赤い。


「ごごごごめんなさい!」
「あ、いえ、大丈夫です」
「………あのっ」
「はい?」
「お、おれ、竹谷っていいます!実は前から名前さ、」
「名前!」


 竹谷さんの声を遮り、さらには竹谷さんの体を押し退けるようにしてわたしのところにやってきたのは、さっきの対戦相手、ユキちゃん。SMファッションで濃い化粧のまま、今にも泣きそうな顔をしている。長くて細い指で、わたしの頬をするりと撫でた。熱い。くすぐったくて肩をすくめると、ユキちゃんは慌てて腕を引っこめて、ますます泣きそうな顔になってしまった。あれ。


「ごめんね、痛かったよね、手加減できなくて、ごめんなさい」
「ううん。痛くないよ。ユキちゃん、今日もかっこよかった」
「名前…」


 ユキちゃんの大きな目から涙がこぼれる前に、わたしはにっこりと笑ってみせる。そうしたらユキちゃんは安心したようにほっ、と息を吐いた。わたしのことなんて気にしなくていいのに。優しいなあ。竹谷さんが不機嫌そうな顔をしてわたしたちを見ていたから、「竹谷さん?」と声をかければ、かああ、とまた顔を赤くして固まってしまった。ユキちゃんがそれを見て舌打ちをする。せっかく可愛い顔をしているのに、もう。


「名前、もうこのウエイターと話しちゃだめよ」
「え、なんで?」
「見るからに名前に惚れ、」
「うわあああっ!」
「…竹谷さん行っちゃったね」
「ふん、抜け駆けしようとしたってわたしたちが許さないわよ」
「抜け駆け?」
「んーん、名前は知らなくていいの。新しいタオル持ってくるわ」
「ありがとう、ユキちゃん」


 わたしがへらへらと笑えば、ユキちゃんも笑ってくれる。ユキちゃんの後ろ姿を見送り、わたしは会場に続くドアへと視線を移す。試合が終わった女の子たちが控室に戻ってきて、ほくほくとした表情でわたしに声をかけて奥の部屋へと消えていく。みんな、楽しそう。怪我、しなかったんだなあ。怪我するのなんて、わたしくらいだけど。試合が終わったなら、指名してくれたお客さんのところを回らなくちゃ。ぱたぱたと走ってきたユキちゃんの手にはタオルと救急箱。また湿布を貼ったまま回るのかあ。はじめましての人に引かれちゃうから嫌だなあ。でもわたしは弱いから、仕方ないか。







121228

主人公:無気力、無垢、無自覚。




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