微睡みに溶けた睦言
「三郎はなまえちゃんとどうなりたいの?」


 がやがやと混んでいるコーヒーショップの片隅で、雷蔵が無害そうな柔らかい笑みを浮かべ、私に問いかけた。私は雷蔵から視線をそらし、ブラックコーヒーが入ったカップに口をつける。あいつの部屋で飲むコーヒーよりもはるかに美味しいはずなのに、たいした味がしなくて、ただ熱いだけの液体が喉を滑り落ちる。冷たい指先に熱が溶け、じんと鈍く痛む。視線を上げない私に雷蔵は呆れることもなく、「ぼくはいつでも三郎の味方だけど、」と話を続けた。


「今回のことに関しては手を貸したくないな。なまえちゃんが可哀想だもの」
「…言われなくてもわかってる」
「わかってないから、わざわざ言ってるんだよ」
「………」
「三郎はなまえちゃんとどうなりたくて、今まであの子に縋ってきたの?」


 雷蔵が首を傾げるのが気配でわかった。これは雷蔵の癖だ。雷蔵が誰かを叱るとき、必ず質問を投げかけて首を傾げる。付き合いが長いからわかったが、雷蔵は少しも優しくはない。この笑顔と優しい口調で弱々しい印象を植えつけて、のちにそれをうまく利用して人と人の間を渡り歩く。雷蔵が誰かのために動くときは、そこに雷蔵の大切なものが関わっているときだけだ。他人を優しくじわじわと追い詰めて、自分の思い通りに事を運んでしまう。誰に似たのか、と問えば、即座に「三郎しかいないよ」と笑顔で返してくるあたり、性格も悪い。だけど雷蔵は生きるのが上手い。私みたいに他人を傷つける選択をしないし、気遣いもできるし、決して人を責めたりしない。見た目が似ている私たちの決定的な違いは、ここにある。あいつがそう言っていたのを思い出しながら、私はなまえとの記憶を追った。
 なまえとどうなりたいのか、なんてわからない。ただ、数年振りに触れたなまえの唇は、柔らかくて、あたたかくて、気持ちよかった。他の女とは比べ物にならないくらい、いとおしかった。それ以上踏み込んだら、もう二度となまえの顔が見れなくなるような気がして、なまえが何も言わないことをいいことに、ただただ甘い唇を貪って、白くて細い手首に赤い痕をつけて、逃げるようにあの部屋を飛び出した。なまえの顔なんて、見れるわけがなかった。
 ふと視線を雷蔵に向ければ、雷蔵は抹茶味の、やたら名前の長い飲み物が入ったカップに息を吹きかけながら、窓の外を眺めていた。行き交う人々はみんな寒そうに身を縮めている。寒いのは、どうにも苦手だ。


「三郎はなまえちゃんのこと、今でも好きなんでしょ?」
「…わからない」
「今の、勘ちゃんが聞いてたら殴られてるよ」
「だろうな」
「ぼくだって、ここがお店じゃなかったら殴ってるからね」
「…だろうな」
「なまえちゃんは優しすぎるから、きっとこれからも無自覚に自分を傷つけて生きていくよ。だからね、三郎、好きなだけじゃ足りないよ。覚悟しないと、あの子は簡単に死んじゃうよ」


 がやがやと騒がしい店内に、雷蔵のその物騒な言葉が恐ろしく似合わなくて、うまく反応できなかった。一瞬息が詰まって、視界が揺れた。なまえの危うさは、私が一番知っている。なまえは優しすぎて、すごくすごく弱いから、誰かを傷つける強さがない。誰かが傷つくくらいなら、平気で自分が傷つくことを選ぶ。しかも、無自覚で。その行動の全てが無自覚なせいで、自分の体や心がどんなに悲鳴をあげていても、まったく気づかない。その姿があまりに痛々しくて、心配で心配で仕方なくて、なまえに甘い雷蔵たちはなまえの手を引いて引き寄せてしまう。なのにそれを悪気もなくするり、と抜け出してしまうなまえをどうにかして捕まえたくて、私は重りになった。あのあたたかい手ではなく、細くて弱い足を引きずらせるための、重りに。なまえの優しさを利用して、私の手の届くところに縛り付けている。あの時から、ずっと。
 カップの熱がじんわりと溶けていく。落としていた視線を上げると、雷蔵が私を見てやんわりと微笑んでいた。それが小さな子どもを見る母親のそれに似ていて、私は居心地が悪くなり、視線をまた窓の外に移して、ぬるくなったコーヒーに口をつけた。雷蔵の声が、周りの声に消されることなく、真っ直ぐに私の耳に届いた。


「三郎、ぼくはお前だから言ってるんだからね」


 わかってるよ、雷蔵。







121211〜130119


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