いつものように開け放った屋上の扉に向こうには、いつものように青空が広がっていた。その真ん中で、名字くんがこちらに背を向けてフェンスに体を預けている。ぼくは名字くんの隣に同じように並ぶ。フェンスに手をかけると、かしゃん、と悲しげに音をたてた。


「今日、日曜日だぜ」
「うん、知ってる」
「そんなにおれに会いたかったのかよ」
「うん」
「ふうん、変な奴」
「名字くんに言われたくないよ」


 ざあ、と風が吹き抜けた。誰もいない学校はしんと静まり返っている。あの日、ぼくはここから飛び降りようとしていた。そうやって、ずっと下ばかり見て生きてきた。だから、世界がこんなに美しいということを名字くんに出会ってから初めて知った。
 名字くんの横顔を見れば、すごく真剣な顔でその景色を眺めていた。フェンスの上で組んだ腕に口を埋めるようにして、じっと遠くを見つめている。その大きな目には、確かに空の青が映り込んでいるというのに。


「名字くんは、どうしてぼくを助けてくれたの?」
「別に助けてねえし。やめろよ、気持ち悪い」
「え、なにそれ」
「だっておれ、お前のこと助けるつもりなかったし」
「じゃあなんであのとき声をかけたの?」
「理由なんて忘れたわ」


 そう言って名字くんはぼくを見て、ゆるりと微笑む。どこか悲しさを含んだその表情を見ていたら、名字くんがこのまま消えていってしまいそうな気がして、ぼくは名字くんの腕に手を伸ばした。でもぼくの手は、名字くんの腕をすり抜けてフェンスを掴む。悲しそうに笑う名字くんに、ぼくはこれが現実なのだと思い知るしかなかった。じわり、と浮かぶ涙で視界が歪む。しょうがない奴だな、と笑う名字くんに、涙はこぼれおちた。


「あんまり泣くなよ。おれは慰めてやれないんだからさ」
「う、ごめ、っ」
「三反田、知ってるか。悲しい記憶って消えるらしいよ。楽しいことで上書きしていけば、そのちょっとした楽しい思い出だけで、人間は生きていけるんだって。世界はここだけじゃないよ。今はここが全てかもしれない。でも、世界はいくらでも変わる。広がる。切り開ける。おれが言うのもあれだけど、なんかさ、お前には幸せになってほしいから、おれが見れなかった世界を見て、笑って、生きてくれよ」


 涙で滲む視界の中で、名字くんは確かに笑っていた。太陽みたい笑顔で。ぼくはますます涙が溢れてきてしまって、フェンスにしがみつくように泣き続けた。名字くんと会えるのは、今日が最後のような気がしてた。だから、たくさん話したいことがあったのに、ぼくはただ嗚咽をもらすだけで、言葉なんてひとつも出てこない。時折吹く風に髪が撫でられる。まるで、名字くんが慰めてくれているみたいだった。やっと、やっと落ち着いて話せるようになって、ぼくは顔も上げられずに言いたいことを一方的に話す。


「名字くん、名字くん、ぼくは君に救われたんだよ。君は否定するだろうけど、確かに救われたんだ。君のおかげで前に歩き出そうと思えた。ぼくは、君に出会えて本当に良かった」
「…大げさな奴」
「名字くんのこと、ずっと忘れない。ありがとう」


 返事は返ってこなかった。隣にいたはずの彼はいなくなってしまった。はた、と涙が止まる。強い風が通り抜けた。見上げた空は青かった。


「さようなら、」


 最後に笑ったぼくの顔は、君に見えていただろうか。








120916

完結
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -