足元の巨大なスピーカーが穏やかな音楽を流し、ゆったりとしたお昼休みを演出する。真下に見下ろすグラウンドには誰もいない。教室からがやがやとした声が漏れている。それに耳を澄ませば、かすかにクラスメイトの声が交じる。楽しそうなそれに、僕は唇を噛み締めた。あの場所に、ぼくの居場所はない。だから、ぼくが今ここから飛び降りて、この世界から消えたとしても、きっと誰も気づかない。ぼくは、いらない存在、なのだ。


「おーい、そこのお前ー」
「、っ」
「こーんな高さじゃ、上手く死ねないんだぞー。痛いんだぞー」


 突然入りこんできた声に勢いよく振り向くと、ぼくのちょうど真後ろのフェンスに腕を乗せ、くりっと丸い目でぼくを見る男の子がいた。片手には売店で売っている焼きそばパンを持ち、口いっぱいにそれを頬張っている。くりくりとした目が特徴の、太陽の日に良く焼けた彼の顔をぱちくりと見つめる。どこかで見たことのあるような彼の顔をじっと見ていると、彼はふいにニカッと笑った。どきり、と心臓が跳ねる。誰、この人。てか、何でここに来たの。


「おれ、名字名前。お前は?」
「………三反田、数馬」
「三反田か、よろしくな。で、お前、今から死ぬの?」


 無邪気に笑ったまま、彼、名字名前くんはぼくに問う。ぼくは何も答えないでいると、かしゃん、とフェンスが揺れて、彼は焼きそばパンをくわえたまま、ひょいと越えてきた。ぼくの隣に何の戸惑いもなく立つ彼に、ぼくは戸惑いを隠せなかった。声にならない声を上げているぼくなんてまったく気にしていない様子で、彼は楽しげに地面を覗き込んではしゃぐ。風に煽られるたびに、何故かぼくがはらはらしてしまって、ぼくは慌ててフェンスを掴んだ。


「うおー、やっぱり高いのなあ」
「いや、ちょ、なんでそんな余裕なの、ねえ!?」
「大丈夫だって、こんな高さじゃ死ねないから。死に損なったら恥ずかしいし、なあ?」
「うっ、それは、そうかもしれないけど…」
「つうか風強っ!おれの焼きそばパンが飛ぶ!で、おれは戻るけど、お前はどうする?」
「え、」
「え、なに、別に飛び降りるのは止めないけど、え、止めてほしかった?」
「…人前じゃあ気分が悪いから、今日はやめる」


 そう言ったぼくを「おれは気にしないけどなあ」と笑い、彼は楽々とフェンスを越えた。ぼくはもたもたとフェンスを越え、深いため息を吐いた。死ねなかった。明日もまたここに来て、ぼくの世界は続いてしまう。その事実に落胆していると、「ほい、」という声とともに視界に入りこんできたメロンパン。わずかに見える彼の、決して綺麗とは言えない上靴の色は、ぼくと同じ緑。のろのろと顔を上げると、メロンパンを差し出す彼がいた。人懐っこい笑顔をぼくに向けている。


「あげる」
「え」
「昼休みなってからずっとあそこにいたから、どうせ昼食ってないんだろ。生き延びたんだから、ちゃんと生きなー」
「…別に、好きで生き延びたわけじゃ、」
「なんだよそれー。おれは別に止めてないっつーの。お前がやめるっていう選択をしたんだろ?」
「そう、だけど…」
「世界はここだけじゃないんだから、この一瞬だけのために死ぬことはないと思うよ、おれはね」


 くりっ、と、丸い目が楽しそうに動く。からからと笑う声が2人しかいない屋上に響く。彼の短い髪が風に揺れる。いつの間にかぼくの手の中にメロンパンを押し込んだ彼は、「天気いいなあ」と言いながら、屋上に寝転がった。ぼくを下から見上げる目が優しく細められる。こみ上げてくるなんとも言えない感情が、胸を埋め尽くす。溢れそうになった涙を隠すように、ぼくは下を俯く。涙が落ちないように腕で目を押さえる。ゆるり、と彼の柔らかい声で紡がれた言葉が、風に溶けた。


「なあ、おれたち友達になろうよ、三反田」





 これは、夏の終わり、秋の始まりの出来事。
 たった一週間で起きた、奇跡の物語。











120910
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