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 今年の春から地元を離れて、ひとり暮らしを始めた。不安だった大学生生活は順調に始まり、高校の時の先輩の紹介で入ったサークルもいい人ばかりで、友達もたくさんできた。バイトも先輩の紹介で始めて、授業も思っていたよりも楽しくて、案外充実した毎日を送っていたわたしは今、この先の人生でも経験しないような奇想天外な事態に遭遇していた。


「なまえ、なまえ、やっと会えた…!」


 せっかくのイケメンが台無しになるくらい下手くそな泣き方で、わたしにぎゅうぎゅうと抱き付いている男の人に、店中の視線が集まっているんじゃないだろうか。視線が痛い、めっちゃ痛い。突き刺さっている。なんだなんだと盛り上がっていく周りの声とは反対に、わたしの体はさあっと冷めていく。
 さっきからわたしの名前を連呼しているこの人を、わたしは知りません。


「いかがなさいましたか、お客様」


 聞きなれた低い声に、わたしは泣き出しそうになり、情けない顔を向けると、先輩はわたしに抱きついている人の腕を掴んで、引き離そうとしてくれた。男の腕が少し緩んだ隙に、わたしの体は大きな手に引き寄せられ、次の瞬間には先輩の背中に隠される。うわああ先輩男前、素敵、惚れる。今まで焼きそばとかフツメンとか馬鹿にしてごめんなさい。ほんとは誰よりも頼りにしてます。言ってあげないけど。
 そんなことを念じ、先輩への認識を改めようと決心したわたしの心を踏みにじるように、先輩とその男は、ぽかんと数秒見つめあった後、ゆっくりとお互いを指差した。ぱちり、とまばたきした男の目から、涙が落ちた。


「雷蔵…?」
「ハチ…?」


 え、知り合いかよ。わたしそっちのけで二人が「え、いつぶり?!」とか盛り上がっている間に、わたしはそそくさとキッチンに逃げ込んだ。そう、わたしたちは今、バイト中なのだ。様子を見ていたらしい店長に「みょうじ、大丈夫だったか」と心配され、他のスタッフさんたちもよしよしと慰めてくれた。「今日はもうホールに出なくていいからな」と店長に甘やかされたわたしは、キッチンの隅っこでデザート作りに励むことにした。甘い香りに包まれて幸せ。先輩は店長に怒られている。はは、馬鹿だ。
 よし、さっきのことはなかったことにして、明日からまた学校頑張ろう。








120603

雷蔵連載スタートです。

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