「殺してしまおうか」
今なら彼は私のような下賎の身でも殺すことが出来る。
彼は黒い水槽の中で蠢いている。 水槽という名の蛹の中で。
(知っていますか)(蛹の中は)(ドロドロとしていて)(固形ではないのです)(幼虫から一度溶けて蝶になるのです)(醜い液体から)(美しい蝶へ)
冷たい水槽の上を撫でた。
貴方は眠っておられますか。美しい背徳の神の姿の前身の醜い液体で。
聖キリストも、一度は醜い蛆が群がる腐爛屍となり、それから生き返り神となった。
まるで蝶。祝福された幼虫は惜しまれながらも不格好な蛹の中で溶け時が満ちて後もう一度祝宴の中で蝶と生まれ変わる。
今この蛹を壊したら、貴方は死んでしまいますか?
「悪戯っ子には罰を与えよう」
陶磁器のように滑らかな指が私の顔を掴む。
私は身を起こすことを許されず、水槽同様冷たい床に這う。
(ああそうだ彼は)
真っ黒い墨汁の液体の中にいたとは思えないほどの白さ。生気が感じられないのに、圧倒的な存在感を与える。
「君がそんなだから、ディートリッヒがあんなに悪戯っ子に育っちゃったんだよ」
「好奇心旺盛なのは良いことです」
「過ぎるとそれは良くないよ」
薄い唇から朱い舌を覗かせて彼は言葉を紡ぐ。
「我が君…水槽にお戻りになられないと、また直ぐに時間が切れます」
「何言ってるんだい、出るように仕向けたのは君じゃあないか」
私を嘲笑うように鼻で笑った彼は、身を起こして水槽へと向かう。 私も彼に倣って身を起こす。
ドロドロとした液体の中に彼は沈んでいく。
液体の中で、彼の瞳が私だけを真っ直ぐに捉える。
「君には僕を殺せないよ」
「…聞かれておられましたか」
「勿論。君に隠し事なんて出来ないのさ」
トプン、と小さな音を立て、水面が波紋をつくる。
また、静寂がうまれた。
(もう生まれ変わる必要などないのだ。)
End
カインは火星時代に一度死にかけてますしね。
あと、蛹の中って液体なんだよ.というのを思い出したので。真偽は分かりませんが。
執筆:100403
bkm