サイラスとお風呂に入りたいはなし




「あの、サイラスさん·····」

 扉越しに聞こえてきた#名前#の小さな声に反応したサイラスは、姿を見るわけではないと分かっていても念のため腰にタオルを巻いてから、出入口に近づいた。

「どうした。何かあったのか」

 緊急の任務かもしれない。気を引き締め扉の外にいる#名前#に聞くが、どういうわけか返事がない。聞こえなかったかともう一度、口を開こうとした途端、止める間もなく二人を隔てていた扉が開いた。
 突然のことに固まるサイラスも、彼女の肌がちらりと見えた瞬間に正気を取り戻し、急いで扉に手をかけた。
 が、扉は閉まらなかった。壊れてしまったのか、だとしても、なんて最悪なタイミングだと一瞬のうちに焦りが広がり心臓が騒ぎ出した時、閉扉を妨げる小さな手に気がついた。サイラスの気がそちらに逸れ、扉にかける力が弱まった瞬間、今度こそ扉は完全に開かれた。
 そこには、鎖骨から下をタオルで巻いたのみで俯く#名前#の姿があった。

「なっ·····」

 目の前の光景にサイラスは呆然と立ち尽くしたが、騎士としての性分か、普通でない状況から復帰するのは早かった。

「#名前#、何があったんだ! 敵か? ·····もしや、何かされたんじゃ·····」

 悪い想像が駆け巡る。そうとなれば、恥ずかしいなどと言っている場合ではないと、サイラスは思わず前のめりになってしまう。

「待ってろ。すぐ着替えるから、そこで──」
「あのっ!」

 俯き肩を震わせる#名前#に、只事ではないと悟るサイラスは「どうした?」と、なるべく落ち着いた声音で語りかけた。そして、彼女が口を開くまで、じっと待ち続けた。

「サイラスさんと··········一緒に、お風呂、入りたいです……」

 そして出てきた言葉に、サイラスは凍りついた。

「ダメ··········でしょうか」
「·····急に、どうしたんだ」

 一言、一言、確かめるように、幼い子供と接するように言った。これでは、敵襲だと言われた方がまだ信じられる。
 サイラスの言葉に、#名前#は「えっと·····」と再び言葉と態度を濁らせたが、意を決したように小さく呟いた。

「好きな人とは、少しでも一緒にいたいです··········」

 何度も逢瀬を重ねなくとも、お互いの好意を認識し合い、サイラスを支えられれば充分だった。たまに触れられれば満足だった。
 そのはずだったのに、芽生えた下心は日増しに大きくなっていくばかり。抱いてほしいとまでは言わないが、もう少しだけ、彼に近づきたかった。なのに、時たま訪れる覆い被さるような重いキスに先を期待しても、すぐに唇は離れてしまう。
 そんなことを繰り返すうち、遂に#名前#は限界を迎え、サイラスが逃げられない状況を攻めることにした。

 そんな#名前#の葛藤なぞいざ知らず、サイラスは彼女の先の発言に思考を飛ばされていた。しかし、どうにか彼女の言葉の意味を理解しなければと必死に頭を回そうとする彼に、#名前#は勝負をかける。

「·····ダメなら、ダメだと言ってください」

 そう言って浴室内に一歩踏み出す#名前#に、サイラスは思わず後退りする。どんな敵にも怯まない彼は今、目の前の一人の女性に狼狽えている。

「ちょ、ちょっと待て、#名前#!」

 サイラスの言葉に#名前#は足を止め、「やっぱり嫌ですか?」と聞く。「そういうわけではないが·····」と煮え切らない返事に「お願いします」とひと押しすると、サイラスは小さく息を吐いた。

「·····そこまで言うなら分かった。一緒に入ろう」




 一人で入るには充分すぎる広い浴槽に、二人並んで腰を下ろした。お湯は乳白色で、入ってしまえば浸かっている部分は全く見えない分、幾分か二人の緊張は解れていた。

「すごく広いお風呂ですね」
「ああ。広すぎて落ち着かないくらいだ」

 そんな簡単な談笑が一通り終わってから、「一つ、聞いていいか」とサイラスは切り出した。

「先程も聞いたことだが·····何かあったのか?」
「·····本当に何もないですよ。さっき言った通り、もう少しだけ、サイラスさんの近くに寄りたかっただけです·····」

 恥ずかしそうにお湯に体を沈める#名前#がちらりと隣を盗み見ると、濡れた髪を後ろに流した彼の横顔が見えた。口から出てしまいそうな「かっこいい」を、#名前#はやっとの思いで飲み込んだ。

「あの、私も一つ、いいですか?」
「なんだ」
「·····そろそろ目を、合わせてほしいなあ、と·····」

 サイラスの視線は、ずっとお湯と平行のまま。その理由は聞くまでもないが、不自然なくらい目を逸らされるのは、少し寂しくもあった。

「·····努力はしよう」

 サイラスの固い声音に、#名前#の口元が緩む。今、精神的に優位な彼女はその勢いで、微妙に空いていた彼との距離を一気に詰めた。二人の腕が、ぴったりと密着する。

「っ·····おい、#名前#·····!」

 #名前#が顔を上げると、戸惑う黒い瞳が見えた。

「·····嬉しい」

 #名前#が恥ずかしそうに、喜びを隠すように俯き微笑む。
 その様子に、サイラスの空気が一変した。

「サイラス、さん·····?」

 先程まで全く目を合わせてくれなかったサイラスが、瞬きすることすら忘れて#名前#を射抜く。あまりに強い眼差しに、#名前#は彼から目をそらすことが出来ず、二人はじっと見つめ合う。そしてその距離も、少しずつサイラスによって埋められていく。
 湯が揺れ、サイラスの手が#名前#の頬に添えられ、それと同時に濡れた唇が重なった。
 静かな浴室の中で、離れては触れる二人のリップ音が小さく響く。触れるだけだったキスは、回数を重ねるたびに深く、熱くなっていく。#名前#の頬に優しく添えられていたサイラスの手も、今では後頭部に移動し、逃がさないとでも言うように強い力が込められていた。
 もう何度目のキスだろう。#名前#のぼうっとした頭にそんな考えが浮かんだ頃、ぬるっとした舌が彼女の口内へと侵入する。驚きで思わず出た彼女の小さな嬌声に煽られたサイラスは、欲に従い彼女の口内を荒く攻め込んだ。決して上手いキスではないが、初めて垣間見えたサイラスの素直な欲望に彼女の胸もじん、と熱くなっていく。唇の隙間から漏れ出る吐息は、二人の脳を沸かせる。#名前#も彼の首に手を回し、夢中で舌を絡めた。
 そして、頭を支えていたサイラスの手が、#名前#の背中を撫で腰をぐっと引き寄せた時、彼女の首がこてん、と後ろへ倒れた。

「…………#名前#?」

 覗き込むと、#名前#は顔を真っ赤にして目を回していた。




 重い瞼をやっとの思いで開けると、ひどく頭が痛んだ上に視界が曇っている。何があったか思い出そうと体を動かすと、後頭部にひんやりとした気持ちのいい何かがあった。

「#名前#、大丈夫か」

 まだはっきりしない意識の中で、愛しい声が聞こえた。その声を辿っていくと、曇った視界の中から、心配そうに自分を覗き込むサイラスの姿があった。

「サイラスさん·····?」
「意識が戻ってよかった。·····すまない、俺のせいで」

 何を謝っているのかと思考を巡らせているうち、きちんと服を着ているサイラスとは反対に、自分がやけに身軽だということに気づいた。すると数珠繋ぎのように、今までの記憶がどんどんと蘇ってくる。自分の失態を思い出した#名前#は、余計に頭が痛くなった。

「サイラスさん·····ごめんなさい、私がワガママ言ったせいで·····こんな面倒まで·····」
「いや。悪いのは、お前の体調を考えず無理をさせた俺だ。本当にすまない」
「·····そんな顔しないでください。私、サイラスとお風呂に入れて····その·········嬉しかったんですから·····」

 恥ずかしくて首を反対へ向けると、後頭部にあるひんやりとした何かが、ごろっと音を立てた。

「この氷枕、サイラスさんが用意してくれたんですか?」
「ああ·····その格好のままでは、男ばかりの外には連れて行けなかったしな。これくらいしか思いつかなかった」

 氷枕と、体にかけられた何枚ものバスタオル。その感触が、なんだかたまらなく愛おしかった。

「サイラスさん」
「どうした?」
「·····また一緒に·····お風呂、入ってもいいですか?」

 サイラスは彼女の言葉に考えるように視線を落とし、「しかし·····」と心配そうな表情をする。

「次は私も気をつけますから」

 ね、と懇願する#名前#に、サイラスは観念したように口元を緩めた。

「·····ああ。分かった。また、一緒に入ろう」






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