※10年後でいろいろ捏造です
社長室にある立派な椅子は、ヒロトが社長になった時におひさま園の皆でプレゼントしたものだった。
ワインレッドの革張りで光沢のあるそれはアンティークらしく、細部には彫刻のようなものが施してあり、やはりそれなりに値が張った。
しかしお金こそ皆で出し合ったものの、実際品を選んだのは女子たちだった。
マキいわく「あんたたちはセンスがなさそうだから」という理由で、品選びは女子たちが全面的に行ったのだ。
オレはこの椅子を見るたびに、よくもこんなにヒロトに似合う椅子を見つけたなあと思う。
ワインレッドと鮮やかな赤い髪がお揃いみたいだ。
「――緑川?」
名前を呼ばれて、はっと我にかえる。
慌てて持っていた資料をヒロトに渡した。
「何かぼんやりしていたみたいだけど」
長い指がオレから受け取った資料のページをめくる。
「ちょっと考え事を、」
「仕事中に?」
「…すみません」
素直に謝ると、ヒロトは頬杖をつきニコリと笑った。
そして中指で眼鏡を押し上げ、おいで、と言うように自分の膝を叩く。
「…仕事中ですよ、社長」
「真面目だなあ、うちの秘書は」
「当たり前です」
きっぱり言うと、ヒロトはため息まじりに笑った。
「そっちが先に誘ったくせに」
やれやれと肩をすくめる仕草に、思わず仕事中だということも忘れて言い返した。
「はぁ?どこが!」
「だってずっとオレの方を見つめてくるから。誘ってるかと思うじゃないか」
「…っ、」
確かに、見ていたけど。
決してそんなつもりじゃなかったし!
オレが顔を赤くすると、ヒロトはくすりと笑い、椅子の背にもたれ掛かりゆっくり伸びをした。
「…少し休憩しようか。この書類は後でも大丈夫だし」
ね、と言ってヒロトは椅子から立ち上がる。
「昨日得意先から紅茶をもらったんだ」
ちょっと待ってて、とヒロトは給湯室の方へ消えて行った。
お茶組みなどは普段はオレがするのだが、仕事中以外――つまり今みたいな休憩時間なんかは、「オレが入れたい」と言ってヒロトが洒落た紅茶を出してくれたりする。
そんな些細な時間が、実はとても気に入っていた。
「はい。ダージリンだよ」
良い香りの立ち込めるティーカップをテーブルに置き、ヒロトは再び社長椅子に座った。
ティーカップからは、もうもうとものすごい湯気が出ている。
「…これ、熱すぎじゃない?」
カップを見つめながら正直な感想を漏らすと、ヒロトは全く気にした様子もなかった。
「じゃあ飲める温度になるまで、緑川こっち来て」
そしてまた自分の膝を叩く。
…もしや確信犯か。
「ダメです。今は会社ですから」
休憩中なのにわざと敬語を使って、これ見よがしに来客用のソファにどかりと座る。
「全く、つれないなぁ」
するとちょっと寂しそうな素振りで、ヒロトはくるりと社長椅子を回転させた。
何でそこまでして膝に座らせたいんだか。意味が分からない。
「緑川も社長椅子に座ってみたいと思わない?」
座ったまま椅子を少しだけ左右に回転させて、ヒロトはオレをまっすぐ見つめる。
「…思わない。その椅子はオレが座ったらダメだよ」
「どうして?」
「ヒロトがその椅子に座ってるのが一番似合うし、他の人が座るとなんか変」
オレ、ヒロトがその椅子に座ってる姿を見るの好きだし。面と向かっては言えないけど。
「……、ありがとう、緑川」
嬉しいこと言ってくれるね、とヒロトは笑う。
それに、図らずも自分が恥ずかしいことを言っていたのだと理解した。
「…っ今のは!そうじゃなくて、!」
言い訳しようとしても、ヒロトは余裕な顔で頷くだけだった。
「うーん、でもオレの膝に座ってもらうからセーフだよ。まあ、オレの膝には緑川以外座らないけど」
そしてそんな恥ずかしいことを平然と言うので、「もういいから!」と照れ隠しの勢いで紅茶を啜った。
「っ、あつ!」
紅茶はまだ冷めていなかったらしく、舌を思いっきりヤケドした。
「えっ大丈夫?まだ熱いと思うよ」
「舌がひりひりする…」
ていうか誰のせいでこうなったと思ってるんだ。
「緑川こっち来て。ヤケド見るから」
三度目の手招きに、オレは何だかどうでもよくなってきて、変な意地は捨ててヒロトに歩み寄った。
ああ、全く無駄なやり取りだった。
今近付けば、ヒロトがキスしてくるだろうというのは明白だった。
なんとなく目を見れば分かる。
やっぱりそれは少しだけ悔しいから、オレはほんの仕返しのつもりで、熱々のティーカップを持ったままヒロトの膝に跨がった。
満足気に笑うヒロトの左手がオレの腰に回る。
だから今は会社だっていうのに。
普段はレンズ越しに見える綺麗なエメラルドグリーンの瞳が、その瞬間、白いフィルターに覆われて見えなくなった。
「…っあはは!狙い通りメガネ曇った!」
指差して思いっきり笑ってやると、ヒロトは苦笑した。
「……緑川、ムードぶち壊し…」
そしてメガネを外すヒロトを見て、オレは何故か勝った気がしたのだった。
こんな時間がすごく好きだということを、言わなくても、きっとヒロトは知っているのだろう。
(だからこれからもずっと、)
サンライズサンセットエンドレス
title:うきわ
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