ひやりとした空気が頬に触れるのを感じる。
それに思わず身震いして目を覚ますと、どこかから冷たい風が部屋に流れ込んでくるのが分かった。

まだ眠たい目を擦ってベッドから身体を起こす。
部屋の窓がわずかに開いていて、そこから風が入っているみたいだった。
暗い部屋の中、クリーム色のカーテンがひらひらとはためいている。

…あれ、おかしいな。
確か窓は、カギは掛けてなかったけど、閉めていたはずなのに…。

そう思った矢先、ベッドの足元の方ではっきりと何かが動く気配がした。

「ひっ」

オレは反射的に変な声を出してしまい、思わずぎゅっと布団を握り締めた。

すると、その気配の正体が、さもおかしそうにクスクスと笑い声を上げた。

それがあまりにも耳慣れた低い声だったので、オレはびっくりしたのも忘れて、半ば呆れた声が出た。

「…ヒロト、何してんの?」

そこにいたのは、紛れもなくオレの恋人だった。

なんでこんな夜中に、オレの部屋に忍び込んでいるんだ。
しかも部屋のドアのカギは掛けていたから、もしかしてあの開いていた窓から入ってきたのだろうか。こんな寒い冬に。
ヒロトはまだ笑ったまま、そっと開いていた窓を閉めた。

「ちゃんとカギは掛けないと。世の中いろいろと物騒なんだから」

窓から入り込んできた張本人がどの口で言ってるんだか。
そう思ったけどとりあえず口には出さないでおく。

ヒロトは何故か機嫌良さそうで、オレが寝ているベッドのふちに腰掛けた。

「さて緑川、どうしてオレがここにいるか分かるかい?」

「…分かるわけないだろ」

本当に訳が分からない。
自主練でくたくただし、明日も練習があるから、早いとこ寝た方がいい気がするんだけど。

しかしそんなことはお構い無しに、ヒロトはベッドに乗り上げた。

そしてオレの首もとに顔を寄せ、軽く首すじに口付けてくる。
ヒロトの左手はオレの右手に絡ませられ、右手は背中に回された。
これは完全に、そういうスイッチが入っている。

「ちょっ、ヒロト…」

明日の練習のことを考えると、今日するのはどうも気が引ける。
拒むようにヒロトの肩を押し返すと、案外すんなりと身体が離れた。

ヒロトは絡ませた左手はそのままに、オレをじっと見つめてくる。

「…なに」

「じゃあ、今日は我慢するから、その代わり緑川の大事なものをオレにくれる?」

「はぁ?」

なんなんだ、突拍子もなく大事なものって。

「緑川の大事なものを頂きに参上しました」

まるで怪盗気取りで(窓から入ってきたりもしているし)、ニヤリと笑うヒロトはやはり楽しそうだ。

「何の真似だよそれ。あなたの心ですとか言うわけ?」

茶化すように言うと、突然唇にヒロトの唇が押し当てられた。

「んっ」

それはもう、唇を食べられたと言ってもいいくらいの勢いで。

わずかに開いた隙間からするりと舌が侵入し、口内を丹念にかき乱される。

「んっ、は…、」

思わず鼻から抜けるような声が出た。
巧みに動きまわるヒロトの舌は、まるで別の意思を持った一人の生き物みたいだ。

さんざん口内を好きなようにされて、ようやくヒロトが唇を離した。
見ると、口回りがもうどちらのものか分からない唾液で光っている。

「、いきなりすぎ…!」

文句を言うと、ヒロトは満足そうな顔して笑った。

「オレが欲しかったのは緑川の唇。心はもう、とっくの前にオレがもらってるからね」

「っ…!」

平然と言ってのけたヒロトに、思わず顔が真っ赤になった。

何とも馬鹿らしいやりとりだけれども、悔しくなって、オレはヒロトの左手をぎゅっと握った。

「本当はただキスしたかっただけのくせに」

「…さすが、お見通しか」

お互い笑いあって、そうしているうちにもう夜はだいぶ更けてきていた。

「ヒロト、もうここで寝れば?戻るの面倒くさいだろ」

「じゃあお言葉に甘えて」

そう言ってがっちりとオレを抱き抱えながら横になったヒロトは、数分ですうすうと寝息をたて始めた。

…なんだ、自分だって疲れてたんじゃないか。

間近で見慣れた顔を眺める。
やっぱり、白い肌も閉じられた瞳も赤い跳ねた髪も、何もかも格好良かった。
オレをさんざんドキドキさせておいて、自分はさっさと先に寝るなんて。

「ヒロトの馬鹿」

届いてないだろうけど、そっと呟く。

寝てる間もオレの心を奪うなんて反則だ。
そりゃもう、ヒロトの言葉を借りれば、オレの好きって気持ちはとっくの昔にヒロトに盗まれている。
でも、何度盗まれても、後から後から好きって気持ちが湧いてくる。

(…って、何考えてんだろオレ…)

一人恥ずかしくなって、また顔に熱が集まる。

もう寝なくちゃ、明日も練習があるんだから。

そこでふと思い立って、オレは寝ているヒロトの唇にそっと口付けた。

些細な仕返しのつもりのそれ。

寝ているはずなのに、ヒロトのオレを抱く力がわずかに強くなった。

…ああ、やっぱり何してもダメだ。
好きって気持ちも唇も、この心臓のドキドキも、全部ヒロトに盗られてる。


(まるで 本当に怪盗みたいだ)





ファントムシーフは眠らない


title:メロウリップ




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