ジリジリと照りつける真夏の太陽に、目の前の恋人はどうやら我慢出来なくなってしまったらしい。
「あーもう!今日暑すぎ!」
Tシャツの胸元をバタバタと仰ぎながら、緑川がぐったりと床にへたりこんだ。
Tシャツを仰ぐ度にチラチラと見える、少し日に焼けた肌が何だか目に毒だ。
「確かに、今日は暑いね…」
そんな気持ちを振り払うように、ちらりと壁に掛かる温度計を見れば、気温は何と35℃にも達していた。
そういえばテレビのニュースで、今日は記録的な猛暑だとか言っていた気がする。
風介なんか、今日一体何個目なのかわからないアイスを食べ終えて、今にも溶けてしまうのではないかというくらいぐったりしていた。
(そして晴矢が床に横たわる風介につまづいてケンカが勃発した。まあいつものことなんだけど)
しかし本当に、今日の気温は暑さ寒さにそれほど弱くないオレでも、いささか参ってしまうくらいだった。
パタパタと手のひらで自分の顔を扇いで、気休め程度の風を送る。
すると、ちらりとオレの方に目線を向けた緑川が、ひらめいたような明るい顔をした。
「そうだヒロト、川に行こう!」
そう言って飛び起きて、キラキラとした目でオレを見てくる。
「え?川って…小学生じゃないんだから」
「いいじゃん、海に行くのは遠いし、プールはお金かかるし」
はい決まり!と緑川はオレのシャツの裾を引っ張り、立ち上がるように促す。
早く早くと急かす様が、何だか本当に小学生みたいだなぁと思ってしまう。
そういうところも可愛いんだけどね。
なんて言ったら、緑川が顔を真っ赤にするのは目に見えたので、オレはあえて口には出さないことにした。
結局、暑さに敵わなかったオレは、少しばかりの涼を求めて二人で近所の川へと向かった。
「川で遊ぶのなんて何年ぶりだろうね。小学校低学年以来じゃないかな」
「たぶん。でもヒロトってさ、みんなで川に来てもあんまりはしゃぐ子供じゃなかったよね」
川辺に着いて、緑川は懐かしむようにしゃがみこんだ。
「なんか隅の方ですました顔して足だけ水に浸かっててさー、本当に子供らしくなかったよね。色も白いし、大丈夫かよって…」
さっきから人のことを好き勝手に言う緑川に、仕返しとばかりに軽く手ですくった水を掛けてやる。
「ひゃっ冷たっ!」
すると、思いの外良い反応を返してくれた。
思わず笑ってしまうと、緑川はむっとした顔をした。
「急に何すんだよヒロト!」
「はは、ごめん。でも、水遊びしに来たんだからさ」
ちょっとくらい許してよと緑川の顔を覗き込むと、緑川はふいとそっぽを向いた。
あれ、ちょっと怒らせちゃったかな。
そう思った瞬間、顔面に冷たい衝撃がかかる。
前髪からポタポタと流れる雫に、すぐに水を掛けられたのだと分かった。
「……緑川、」
恨めしげに名前を呼ぶと、緑川はゲラゲラと笑った。
「あっはっは、油断大敵!」
可笑しそうにお腹を抱えて笑う緑川は、まるで子供の頃に戻ったみたいだった。
何だか本当に懐かしいなと思ってしまう。
しばらく二人で軽く水を掛け合っていると、ふと緑川がゆっくりと立ち上がった。
「ねえヒロト、あっちの方にも言ってみない?」
緑川が指差す方を見ると、少しだけ川幅が広くなっている場所があった。
「うん、いいよ」
返事を返すと、緑川は足早にそちらに向かった。
「緑川、急ぐと転ぶよ」
ここはゴロゴロした石ばかりで、足場が悪いから。
そう続けようとした時、オレの一メートルほど前を歩いていた緑川の身体が、ぐらりと右に傾いた。
急いで右手を伸ばして腕を掴もうとしたけれど、その手はむなしく空を切った。
次の瞬間、跳ね上がる水しぶきに、間に合わなかった…とオレは頭を抱えた。
「…緑川ごめん、遅かったね…」
「……いいや…、」
見事に石に足を取られて転んだ緑川は、尻餅をついて下半身が水に浸かってしまっていた。
苦笑いして、のそのそと起き上がる。
「うわぁ…、ずいぶん濡れちゃった」
どうしよう、とズボンの裾を持った緑川は、困ったようにオレを見てきた。
裾からちらりと見える肌が、本当に目によろしくない。
「…脱ぐしかないんじゃない」
とっさに出た言葉に、緑川は思いっきり顔をしかめた。
「真面目に考えろよヒロト!こんなずぶ濡れで帰れないだろ!」
確かに、ズボンからはポタポタと雫が垂れている。
緑川はそれを、雑巾を絞るみたいにして乾かそうとする。
それでも、まだズボンには大分水気が残っていて、これで帰るのはさすがに目立つだろう。
「じゃあさ、これ腰に巻きなよ。濡れてて気持ち悪いのはどうにも出来ないけど、これならズボンが隠れると思うから」
少しは目立たないと思うよ、と緑川に自分が羽織っていたオレンジ色のシャツを渡した。
「…ありがとう、」
緑川はそれを素直に受け取って、ゆっくりした手つきで腰に巻いた。
気付けば太陽もゆっくりと傾き始めていて、ふと水面を見ると夕日でオレンジ色にキラキラと輝いて見える。
「…そろそろ帰ろうか」
日中に比べたら大分涼しくなった風を頬に感じて、オレは緑川を振り返った。
すると、緑川の黒い瞳とばちりと視線が合う。
「…ヒロト、」
「なに?」
オレの隣に並んで、緑川はへへっと笑う。
「今度は海に行きたいね」
そう言う緑川の瞳は、夕日を受けてなのかキラキラして見えた。
腰に巻いたオレのオレンジ色のシャツが、風で僅かにはためく。
まるで夕日の色を映しているみたいだと思った。
「そうだね。緑川が転んだら、また上着貸してあげるよ」
「そんなに転ばないって!」
そんな冗談を言い合いながら、オレたちはどちらともなく手を繋いだ。
手から伝わる体温が、涼しくなった夕方の風に丁度良いと思った。
緑川が腰に巻いたシャツが風で揺れるたび、何だかオレは嬉しく思ってしまう。
夕日のオレンジとシャツのオレンジに目を細めながら、オレたちはゆっくりと帰り道を歩いた。
(おひさま園に帰ってから、濡れたズボンを姉さんに怒られたのはまた別の話)
ある夏の日
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