こんなに声をあげて泣いたのはいつぶりだろうか。
わんわん泣きじゃくる私に、幼い自分はただひたすら背中を擦ってくれた。
だんだん日も暮れてきて、芝生にオレンジの光が差し掛かる。
そこでようやく私の涙も落ち着いてきた。
「…そろそろ、部屋に戻るか?」
幼い私が顔を除き込んで聞く。
しかし、ひたすら泣いてすっきりした私は、ひとつやりたいことが見つかった。
「いや…、私はちょっと用事を済ませてくる」
そう言うと、幼い私は少し寂しそうな顔をした。
「凉野…行ってしまうのか?」
その顔に少しだけ後ろ髪を引かれたが、私は笑った。
「君に会えて本当によかった。…晴矢が好きになるのも分かる」
そして、幼い自分の頭をぺしりと軽く叩いた。
「絶対頑張って告白するんだからな」
私は立ち上がり、その手のひらで今度は軽く頭を撫でる。
「…きっと、いい恋になるからな」
そうして手を振って、私はその場を後にした。
向かう先はひとつだけだった。
夕日の射し込む水のみ場で、私は近くの段差に腰掛けた。
ここから見る景色は今も昔もちっとも変わらない。
そうしてぼんやりと景色を眺めていると、じゃり、と小石を踏む音がして、前から赤い髪をした少年が歩いてくる。
その少年――幼い晴矢は、タオルで汗を拭うと、はっと段差に座る私に気付いたようだった。
「練習熱心だな」
笑ってそう言う私に、晴矢は不思議そうな顔をする。
当然だ、いきなり知らない人に話しかけられているんだから。
「…なんとなく、お前に一目会っておきたくてな」
「………」
晴矢は一言もしゃべらない。
だけどキョトンとしている顔が、本当に子供らしくて可愛く見えた。
「…お前、風介だろ?」
「えっ?」
どうして、何で分かるんだ。
幼い自分ですら気付かなかったっていうのに。
「何で分かるんだ?」
そう聞くと、晴矢は何てことはないみたいに、まるで当たり前のように言った。
「分かるってなんとなく…。好きなヤツなんだから」
ああ、どうして。
何で今、そんな嬉しいことを言ってくれるんだ。
「やめてくれ…」
気持ちを隠すように、私は前髪を触った。
――ああ、だけど…。
「…晴矢、おでこにキスしてくれないか」
そうしてそのまま前髪をかきあげておでこを出すと、晴矢は一瞬目を見開いた。
「はぁ!?何言ってんだよ」
「なんだ、唇って言われた方が困るだろう?」
からかい半分に言うと、晴矢は顔を赤くする。
「お願いだ」
最後のトドメとばかりにそう言えば、晴矢は顔を赤くしたまま、少しだけ眉をひそめて頷いた。
私はそっと目を閉じる。
「…晴矢、」
額にふわりと唇の触れる感触がする。
ああ、やっぱりへたくそだ。
だけど私の、大好きなキス。
――泣いたり拗ねたりやきもち焼いたり、私はなんて不器用なんだろう。
でもとても、正直な恋が出来た。
「…ありがとう、さよなら」
そう言うと、私の身体はキラキラと光り始めて――途端に視界が真っ白になった。
目を開けると、そこはおひさま園の裏庭だった。
…戻ってきたのだろうか?
日はすっかり落ちて、辺りは暗くなっている。
サワザワと木々が不気味に揺れた。
早く戻らないと、皆に心配かけてしまう。
そう思って腰をあげようとすると、後ろから大声で名前を呼ばれた。
「風介!!お前どこにいたんだよ!!」
振り返ると、晴矢がすごい形相で立っていた。
「…晴矢、」
「お前、急に部屋飛び出すから追いかけたら、どこにもいねぇし…、心配するだろ!」
一気に捲し立てる晴矢に、私は正面から思いきり抱きついた。
背中に腕を回して、強く抱きしめる。
「っ、…おい、風介?」
「…晴矢、好きだ。私は、晴矢のことが好きなんだ」
「…は、」
ポカンとする晴矢に、構わず私は続ける。
「可愛くない態度でも、憎まれ口叩いても…、私は晴矢が好きなんだ、だから…、」
拙い言葉で、必死に自分の気持ちを伝える。
――別れを告げられた理由は、確かに自分が一番よく分かっていた。
晴矢の優しさに甘えて、素直になれない自分がいたのだ。
だけど気付かせてくれたんだ、あの幼い私が。
本当に大事なことを――ー。
回した腕の力を強くすると、背中にするりと暖かい腕が回された。
「…ばーか、それなら最初からそう言えよ…。オレだって、不安になるんだからな…」
そうして晴矢は、私の額にへたくそなキスをする。
ああ、本当に大好きだ。
気持ちが関を切って溢れたように止まらない。
暗い空で、不思議な木が音を立てて揺れる。
ふいに晴矢がその木を見上げて、ぽつりと言った。
「…お前、昔この木の下で願い事してただろ。この木の花言葉知ってるか?」
「…知らない」
それどころか、この木の名前すら知らないのだ。
すると晴矢はにやりと笑った。
「…だと思った。この木、サンザシっていう木なんだけど、希望とか望みとかそういう花言葉があるんだぜ。だから父さんも、願いが叶う木って言ってたんだろうな」
へえ、そうなのか。
それにしても、晴矢が花言葉なんかを知っているのは何だか意外だ。
「…それと、もうひとつ。『唯一の恋』って花言葉もあるんだぜ」
「…え、」
顔を上げて晴矢を見ると、晴矢はサンザシの木を見上げて笑っていた。
「この木、花がキレイな白い花で…ここらへんでサッカーの練習するたび、お前の髪みたいだなって思ってた」
「…それを言うなら、赤い実は晴矢の髪みたいじゃないか」
そうしてお互い顔を見合わせて、ふっと吹き出す。
「本当に不思議な力があるのかもな、この木」
まさかタイムスリップしたことは晴矢には言えないけれど、確かにこの木は大切なことを気付かせてくれた。
晴矢に恋して私は変わったと言ってもいい。
嬉しいことも、悲しいことも、切ないことも、全部晴矢が教えてくれたのだ。
こうして離れそうになっても、また二人で抱きしめ合うことが出来た。
それはひとえに、この木のおかげなのだ。
その唯一の恋を、私は大事にしていきたい。
サンザシの木の下で、私はまたそうお願い事をした。
君に恋して私は
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