掃除も終わり、私たち二人は裏庭の芝生の上に座り込んだ。
ここはほんの少しだけひんやりした風が頬を撫でて、どことなく落ち着く。

なんとなく手持ちぶさたに感じたので、その辺に転がっていた(おそらく誰かの忘れ物だろう)サッカーボールで軽くリフティングしてみせると、幼い自分は目をキラキラと輝かせた。

「涼野上手いな、どうやったらそんな風に出来るんだ?」

尊敬の眼差しで私にいろいろ質問してくる自分は、やはりどこかくすぐったく感じる。

そんな幼い自分と他愛ないやり取りをしながら、私はふと聞きたくなったことがあった。

「…君は、晴矢のどこが好きなんだ?」

「えっ、な、何だ急に…!」

私の突然の質問に、幼い自分は顔を赤くして慌てる。
その慌てぶりが何だかおかしくて、私はにやにやしながら言った。

「いいじゃないか、教えてくれ」

そう言うと、幼い私は顔を赤くしたまま、おずおずと口を開いた。

「…おひさま園に来たばかりの頃…、」

そうして昔を思い出すようにどこか遠くを見つめて、小さな声で続ける。

「私、インフルエンザで寝込んだんだ」

「……ぽいな、君は」

確かに幼い頃の私は引っ込み思案な上にナイーブで、慣れない環境に体調を崩すような子だった。
しかし正直、インフルエンザで寝込んだことなんてあまり覚えていない。
…昔の私、キャラ守りすぎだろう。

「そしたら、おひさま園の団らん室の壁に皆の似顔絵が貼られてて…」

そう言って、幼い私は何とはなしに芝生を触る。

「私が寝込んでる間に、皆がお互いの似顔絵を描くっていう遊びをやったみたいなんだが…」

「人見知りにとっては地獄だな」

「まだおひさま園に来たばかりで、私は友達がいなくて。誰も私の似顔絵がないことに気付かなかったんだ」

さらさらとした風が私たちの間を通り抜ける。
それは、まるで大切な何かを思い出させようとしているかのようだった。

「でもその数日後に、ふと壁を見たら、いつの間にか似顔絵が一枚足されてて…」

「ああ、」

「…それが晴矢が描いた、下手くそな私の似顔絵だったんだ」

部屋のすみに似顔絵が一枚増えたことなんか、おそらく誰も気付かないだろう。

だけど私は――、


「…すごく嬉しかったんだ」

そうして懐かしむように笑う幼い自分に、私はガツンと頭を殴られたかのような気持ちだった。


………、最低、だ。


そんな出来事があったことなんて、今まで完全に忘れていた。

「きっと晴矢は、ああ見えて面倒見が良いから気を使ってくれただけなんだろうけど…。でも一人で描いてる晴矢を想像したら、すごく嬉しくて…」

幼い私は、不思議な力があると言われている木の方を見つめた。
そしてどこか愛しそうに笑う。


「あの似顔絵は、私の宝物なんだ」


――そんなことを言う自分を見て、私はいじらしく思えて仕方なかった。


「…やっぱり、告白するべきだ!」

「えっ?」

私の急な勢いと言葉に、幼い自分は驚いてわずかに身を引いた。
しかしはっきりとした声で言い返す。

「ダメだ、私にはムリだ!」

「大丈夫だ、お前なら出来る。自信を持て!私が言うんだから」

おすみつき…、と続けようとしたところで、私は言葉を呑み込んだ。

「…って、フラれたばかりのヤツに言われても嬉しくないか」

自分で言った言葉のくせに、なんだか少し胸の奥がちくりと痛んだ。

すると、幼い私は困ったように眉を下げる。

「…分からないな、涼野みたいな人が…」

どうしてフラれたのか、とでも言いたいのだろう。
そんなのこっちが知りたいぐらいだ。
そう思ったけど、私は冗談めかして言った。

「こんなにサッカーが上手い人が?」

「いや…それもだけど」

その冗談にちょっとだけ笑って、だけどすぐに真面目な顔になって、幼い自分は言う。


「こんなに優しい人が…」



――こんなに優しい人が。



頭の中で、その言葉がこだまするように聞こえた。

私の胸の中に、何かがすとんと落ちた気がした。



「…………。馬鹿だな、私は…優しくなんかない…」

自分でも気付かないうちに、目にぼんやりと涙が滲んできたみたいだった。

私は思わず俯いて膝を抱えた。

「凉野…」

幼い自分が軽く背中を擦るのが分かる。

…ああ、本当に優しい手だ。



「…初めての好きな人だったんだ」


ぽつり、と私は呟く。

「だから、私なりに本当に大切にしたんだ。でもそれを…上手に伝えられなかった」

顔を上げると、幼い自分が泣きそうな顔をしてこちらを見ている。

だけどそれに構っていられないくらい、口から勝手に言葉が零れてくる。

「私…付き合ってる間、一回も嘘ついたことなかったんだ」

素直になれなくて、可愛くない態度だったけれど。

「あんまりたくさん話せなかった日や、そっけない態度だったりした日は、ばかみたいに不安になったりして…。私は私なりに、一生懸命恋してたんだ」



――本当は気付いていた。

サッカーが強くなりたいってそればかり気にして、皆に慕われている晴矢につりあおうとして強がって――少しずつ可愛げをなくしていく自分に。

そしてその横で、晴矢があんまり笑わなくなっていったことにも――、


「でもそんな私を、一度だって責めたりしなかった」


言葉にしたら、涙が止めどなく溢れてきた。

「アイツが昔の私のどこを好きになってくれたのか、今なら少し考えたら分かる」

具合が悪いと思った私を心配してくれたり、恥ずかしそうだけど可愛い顔して笑ったり。
そして私の背中を、こんなにも優しく擦ってくれたり。

「でもあの時はいくら考えても分からなかった…」

それくらい一生懸命だった。
そんなにも、初めての恋に溺れていた。

幼い私がぎゅっと手のひらを握ったのが分かった。

見ると、幼い自分もまた綺麗な涙を流している。

「…それに気付けた、いい恋だったんだな」

そうしてちょっとだけ微笑むから、私はまた涙が溢れて止まらなかった。

「っ…、」

間違った恋の仕方をしていた。

それでも、晴矢と一緒にいられるだけで幸せだった。


「うわあぁぁん!!うああぁぁあ!!」



時間を巻き戻して、もう一度やり直したいくらい―――








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