おひさま園の掃除当番は定期的に回ってくることになっている。
この日の掃除場所は庭で、私は気付かれないようにとりあえず茂みに隠れた。
「あれが晴矢だ」
そう言って幼い私がそっと遠くを指差す。
見ると、数人に囲まれて楽しそうに話す晴矢がいた。
「…へえ」
嫌というほど知っているけど、という言葉は呑み込んでそう返事をする。
数年前の晴矢は、今に比べるととても幼く感じた。
身長もそうだし、何より笑った顔がまだ子供みたいだ。
「まだ小さいな…」
そうぽつりと呟くと、幼い私はこちらを見て何かに気付いたような顔をした。
「…凉野、すごいな」
「?…何がだ」
訳が分からずそう聞くと、幼い私は何故かちょっと微笑んだ。
「晴矢とクセが同じだ」
そう言われて私ははっとする。
そんな私の様子に気付かず、遠くの晴矢を見つめて幼い私は嬉しそうに続けた。
「晴矢も、ちょっと考え事してたりぼんやりする時、そうやって首もとに手を当てて顔を傾けるんだ」
…知らなかった。
というか、気付かなかった。
今まで前髪を弄るクセを指摘されたことはあったが(それも晴矢に)、そんなクセが自分にあっただなんて。
思えば、晴矢はよくそんなしぐさをしていたかもしれない。
次の休みに二人でどこに出掛けるか決める時や、二人きりでただ何となくテレビを眺めている時。
思い返すと、次々とその場面が浮かんだ。
…そんなの、何年も一緒にいるんだ。
うつるクセのひとつやふたつあるだろう…。
しかし、自分に嬉しそうにそう言われて、私は何故か心が痛かった。
「そろそろ掃除しなくちゃな」
そんな私にはお構い無しに、幼い私は掃除をするべく掃除用具入れに向かっていった。
掃除が終わるまで私は引き続き茂みに隠れることにした。
葉っぱの隙間から、幼い晴矢が見える。
結構真面目に掃除しているようだ。
そんな晴矢をぼんやり見つめていると、頭の隅でまた昔の記憶が蘇ってきた。
まだ晴矢と付き合い始めたばかりのある日、二人で動物園に出掛けた。
いわゆるデートというヤツだ。
「晴矢、今日はありがとう」
おひさま園に帰り着いた所で、私は晴矢にそうお礼を言った。
「動物園、すごく楽しかった」
一生懸命この嬉しさを伝えようと話すも、晴矢はさっきから俯いて黙っている。
「晴矢…?」
どうしたのだろう、と名前を呼ぶと、額に唇が触れる感触がした。
「…じゃあ、また行こうぜ」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く晴矢を見て、こっちまで顔を真っ赤にしてしまった。
――付き合いたての頃、デートの終わりに必ずしてくれた額のキス。
お互いほとんど身長差がなかったから、晴矢はいつも背伸びをしていた。
そのへたくそなキスが、私は大好きだった。
「…アイツを忘れなきゃいけない日が来るなんてな…」
「――凉野?」
名前を呼ばれて、私ははっと我に返った。
顔を上げると、幼い私がホウキを持ってこちらを不思議そうに見ていた。
どうやらこの辺りを掃除しに来たようだ。
「どうしたんだ、ぼんやりして」
「…いや、別に何でもない」
まさか晴矢のことを考えていたとも言えず、思わずそう誤魔化す。
幼い私はそうなのかと然して気にしていない様子の返事をして、辺りを掃き始めた。
それをなんとなく眺めていると、ほんの一瞬、強い風が吹いた。
そのせいで、周りの木の葉がひらひらと舞い落ちる。
私の頭にも、木から落ちてきたと思われる何かが当たって地面に落ちた。
なんだろうとそれを拾い上げて見ると、あの赤い実だった。
「この辺りは木がたくさん植えられてるから、よく実が落ちてくるんだ」
赤い実をじっと見つめる私に、幼い私はそう言った。
「その実はおひさま園の中で、不思議な力があるって言われている木の実だ。奇跡を起こす力があるらしくて、おひさま園の子はよくその木の下でお願い事をしたりするんだ」
そう言う幼い自分に、私は少し馬鹿らしい気持ちになった。
「そんな、ただの庭の木にお願い事して起こる奇跡って、どんなだっていう…」
そこまで言いかけて、私ははっと気付いた。
――何が不思議な力のある木だ、
そう言って、確か私は木の実を投げた。
そして――気付いたらここにいて、昔の自分に会ったわけである。
…まさか、そういうことなのか?
不思議な木の力とは、タイムスリップだということなのだろうか。
まじまじと幼い自分の顔を眺めると、なんだ?というように不思議そうな顔をされた。
…そんなタイムスリップなんてことができる木が、普通に庭に植えられていて良いのだろうか。
というか、一体どれだけ不思議な木なんだ。
一人でぐるぐる考え込んでいると、幼い私は不思議な木を見上げてぽつりと呟いた。
「…外掃除、本当は好きじゃないんだ」
その言葉に、私は思わず顔を上げた。
「掃除するのは好きじゃないけど、晴矢がよくこの辺りでサッカーの練習してるから、いつもここは私が掃除するんだ」
そうして愛おしそうに周りの木を見上げて続ける。
「晴矢がいつも見てる景色を見ながら掃除するのが好きなんだ」
そして私の方に向き直り、幼い私は不器用な笑顔でこう言った。
「でもここを掃除していてよかった。だから昨日、この木の下で凉野に会えたんだからな」
そう言う幼い自分は、――我ながら、少しだけ可愛いと思ってしまった。
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