――数年前。
あれはだんだん暑くなってきたくらいの頃だった。
おひさま園の裏庭の桜も、すっかり緑の葉が生い茂っていた。
私は夕方のさらに人気のない時間帯を狙って、不思議な奇跡を起こすという木の下に来ていた。
夏の終わり頃には赤い実をつけるこの木も、今の時期はまだ白い花を咲かせていた。
木の下にしゃがみこみ、私は両手を合わせる。
「……晴矢が、私のことを好きになりますように…」
目を瞑って、しばらくそこでそうしていると、後ろからぽきりと木の枝を踏んだような音がした。
びっくりして振り返ると、そこにはサッカーボールを持った晴矢が立っていた。
――嘘だろう。何で晴矢がこんなところにいるんだ。
「は、晴矢、どうしてここに…?」
「…皆でサッカーやってて、ボール取りに来た」
ああ、なんてタイミングが悪いんだ!
今の、聞こえていたんじゃないか…?
そう思うが、聞こえていたかなんてとてもじゃないが聞けない。
二人の間に暫し沈黙が落ちた。
「…つーか、まじでここで願い事とかするヤツいるんだ」
ぽつりと呟かれた沈黙を破る言葉に、私はショックを受けた。
これは確実に聞かれていた。
どうしたらいいんだ、こんなの告白したも同然じゃないか。
私は見るからに青い顔をしていたらしい。
それを見た晴矢は吹き出した。
「嘘だって、嬉しい」
笑い続ける晴矢に訳が分からず、私はポカンとしてしまう。
「だってお前の願い事叶ってるぜ。オレたち今日から恋人同士ってことだろ?」
夕日を背にしてニカッと笑う晴矢が眩しい。
それってつまり、晴矢も私のこと…。
夢かと思うほど嬉しかった。
晴矢は昔から面倒見が良くて、おひさま園の中でも人気者だった。
彼の周りにはいつも人がいて、幼い頃引っ込み思案だった私とはまるで世界が違っていた。
何よりその時からサッカーが上手かったし。
そんな晴矢が私に振り向いてくれるなんて思わなかった。
だからつり合うように必死で努力して、サッカーもたくさん練習したし、皆とコミュニケーションを取るようにした。
それだったのに…。
「…、大丈夫か…?」
はっと気付くと、一人の子供が心配そうに私のことを覗き込んでいた。
「……え?」
「ひっ貧血とか?救急車呼んだ方がいいのか?」
背中に芝生の感触がする。
どうやらいつの間にか木の下で眠っていたらしい。
「いや、平気だ…」
私はボーッとする頭を押さえて、なんとか返事をする。
目の前の子供はまだ心配そうにしていて、おどおどしながらも起きて大丈夫なのか聞いてくる。
何だかその様子が昔の自分と重なった。
よく見ると髪も白い癖っ毛で、怯えた様子なんか昔の自分のようだ。
――可哀想な子だ。
拝むようにその子に手を合わせる。
そこである事にはっと気付いた。
驚いて思わずその子供の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「うわっ」
子供はびっくりした声をあげたが、今はそれどころではない。
その子供の胸元には名札が付いていた。
そしてそこには、――『涼野風介』と記されている。
子供は驚きのあまり泣きそうな顔で私を見ている。
頭にはいくつもの疑問符が見えるようだ。
「…君、ドッペルゲンガー?」
「…え?」
「えじゃない。子供の頃の自分そっくりの同性同名がいたら普通に怖いだろう!君は何者だ」
一気に捲し立てると、子供は涙目になってたどたどしく答えた。
「こっ、このおひさま園に住んでる、涼野風介…」
「…好きな食べ物は?」
「アイス」
「暑いのは?」
「…好きじゃない」
嘘だろう。まさかそんな、信じられない。
最後の希望を込めて、私はひときわ大きな声を出した。
「今日の日付を年号から正確に言ってみろ!」
すっかり怯えきって頭を抱えたその子供が大声で告げたのは、数年前の今日の日付だった。
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