「えっ、ヒロトくんてまだ緑川くんとキスしてないの?」
「…声が大きいよ、吹雪くん」
ああごめん、と吹雪くんはさして悪気なさそうに言い、のんびりした動作でスポーツドリンクを口に運んだ。
今は休憩中である。
皆涼しさを求めてグラウンドにあるわずかな日陰に散り散りに入って休んでいた。
そんな中、たまたま同じ日陰に入った吹雪くんと、何故かこんな話になってしまったのだ。
「なんか意外だなあ、もう色々済ませてるかと思った」
「どういう意味で言ってるのかな、それ」
吹雪くんとは必殺技の練習をきっかけによく話すようになった。
彼は見かけによらず、ズバズバとモノをいうところがある。
お互い似ている部分もあるし、彼のその性格もあってか、吹雪くんとはなんとなく遠慮なしにしゃべってしまう。
――だからなのか、どうにも今の彼の言葉には含みがあるのではないかと思ってしまうのだ。
「別に悪い意味じゃないよ。長く一緒にいるわりにはってこと」
「確かに長く一緒にいるけど、付き合い始めたのは最近だしね」
そう、この前やっとのことで緑川に告白して、ようやく付き合うことになったのだ。
(緑川はそういったことに鈍感なので、告白するタイミングがむずかしかった)
「でも、そろそろキスしたいとは思うでしょ?」
「…、まだ早いかなと思うんだけど」
「へぇ、大事にしてるってこと?」
「…そうだね」
そう言えば、彼はふふっと可笑しそうに笑った。
「ねえヒロトくん、僕この前緑川くんからことわざを教えてもらったんだ。『旨い物は宵に食え』ってね」
知ってる?と首を傾げる吹雪くんは、明らかに何かを示唆していた。
しかし、彼が言うことは些か遠回りで、いまいち意図が汲み取れない。
「何が言いたいのかな」
そう問いかけたところで、休憩の終わりを告げる監督の声が聞こえた。
吹雪くんは立ち上がり、オレの方を見てまた可笑しそうに笑った。
「緑川くんに聞いてごらんよ」
それだけ言って、グラウンドに駆けていってしまった。
「さっきの休憩、吹雪とずいぶん楽しそうだったね」
練習も終わり、水道で顔を洗っていると、後ろから声がした。
ちょっと拗ねたような声、誰かなんて振り返らなくても分かる。
緑川はあれが楽しそうな会話に見えたのか。
楽しそうだったのは吹雪くんだけだと思うけど。
「緑川のことを話してたんだよ」
「え、オレ?」
「うん。ねえ、聞いてもいいかな」
顔についている水滴もそのままに、くるりと後ろを振り返り、緑川の黒い瞳をじっと見つめる。
「『旨い物は宵に食え』ってことわざの意味なんだけど」
緑川がはっと息を飲んだのが分かった。
「…ヒロト、それ吹雪から聞いたの?」
緑川の顔がみるみるうちに赤くなっていった。
よく分からないが、ここはとりあえず頷いておこう。
すると緑川は、途端に俯いてしまった。その顔は真っ赤だ。
「…吹雪、何でヒロトに言っちゃうかな…」
下を向いたまま、緑川はもごもごと呟く。
未だに話が見えないが、とりあえずこちらを見て欲しくて緑川の肩に手を置いた。
「緑川、」
顔を上げてと耳元で囁くと、緑川は大きく肩を跳ねさせた。
「ヒ、ヒロトっ…」
顔を真っ赤にさせている緑川がまるで苺みたいで、なんだか美味しそうで、――――あ。
もしかしたら。
分かってしまったかもしれない。
「緑川、目を閉じて…」
そう言えば、緑川はまた肩を跳ねさせて、そしてゆっくり目を閉じた。
ああ、やっぱり。
お前は何でそんなにかわいいの。
オレは、ゆっくりと緑川と唇を重ねた。
初めてのキスはあっという間だ。
唇を離すと、緑川はまだ真っ赤な顔をしていた。
「緑川の唇、おいしかったよ。確かに早く食べなきゃいけないね」
最も、味が落ちたりはしないけどね。
くすりと笑えば、緑川は顔を手のひらで隠してしまった。
「ほんと、ヒロトって恥ずかしいヤツ…」
そんなことを言う緑川だけど、意味が分かってしまえばそれも愛しくてしょうがなかった。
「ねえ吹雪、ヒロトがなかなかキスしてくれないんだ」
「そうなの?」
「オレのこと好きじゃないのかなあ…」
「まさかぁ。ヒロトくんに限ってそれはないよ」
「でも…」
「まだ早いと思ってるんじゃない?それか結構怖じ気付いてたりして」
「そうかな。『旨い物は宵に食え』って言葉があるのにね」
「それどういう意味?」
「どんなに旨い物でも時間が経つとおいしくなくなるってこと。転じて、良い事はどんどん進めた方がいいって意味」
「……ふうん。つまり緑川くんは、自分はOKだから早くキスしてほしいってこと?」
「なっ…別にそういうわけじゃなくてっ」
「へぇー?」
(…後でちょっとヒロトくんをつついてみようかなあ)
旨い物は宵に食え
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早くキスしてほしい緑川でした
吹雪は基緑をひっかきまわしたり
潤滑油だったり
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