「おはよう、白鳥くん」

俺は恋をしている。
今日も彼女は美しく、その亜麻色を朝日で金色に変えながら俺へと微笑んだ。学園のマドンナである彼女はその肩書に違わず優しく気配り上手で皆の憧れだった。まるで太陽のような慈愛に溢れた笑みは彼女と特別親しい者のみでなく、俺のような奴にまで等しく降り注ぐ。俺はこの為に朝練に出ていると言っても過言ではない。白鳥くん、おはよう。彼女の口が、俺の名前を。ああ!生まれて来て良かった神様ありがとう。
些細なやり取りを噛み締め神様に毎朝感謝をする。そんな俺をレンズ越しの冷たい視線が突き刺した。

「今日も沸いてんなあ、白鳥」
「うっせ。幸せだからいいの!あー神様ありがとう、ほんとありがとう!」
「そんな有り難がるようなもんとは思えないけどな」

犬飼は胴着の衿を整えた後、袴の紐をきつく締めながら言った。

「どうしてだよ?あの幼なじみだとか、生徒会だとか仲良い奴らだけじゃなくて俺にまであんな風に笑いかけてくれるんだぜ?」

犬飼は俺の顔をじっと見つめた後、ため息をついて皮肉っぽく笑ってみせた。

「いいよな、単純な奴は」
「単純でもいーの、俺は幸せなんだから」

そう、俺はあの笑顔のおかげでハッピーライフをエンジョイ出来ている。俺はとにかく幸せで、頭ん中はいつもお祭り状態だった。浮かれすぎていたのだ。
その日もいつも通り朝練が始まり、俺は的前に立ち意識を集中させる。最初は面倒だった練習もいつの間にか好きになっていて、背筋のピンと伸びるような空気が心地好いとさえ思えるようになっていた。

「白鳥、俺ら先教室行くけどどうする?」
「んー、あと一回だけやってから行く」
「そっか、んじゃお先に」

気付けば道場の中は人気がなくなっていて、残っているのは夜久と俺の二人だけだった。

「んー、調子出ないなあ」
「どうしたの?」
「いや、弓の調子悪いのかあんま的に当たんなくて」

本音半分、下心半分。のぼせていた俺はとにかく夜久とお近づきになりたかったのだ。見せてみて、と夜久は俺に近付き弓を受け取る。夜久は俺より頭一個分小さくて、近付くと上からつむじが見えた。何だかいい匂いがして、そして夜久の手がいけなかった。その外見の通り白魚のような美しく指をしているのかと思ったら違った。ペンだこにささくれ、細かい傷、豆も幾つか見えた。ああこいつ、こんなに綺麗なのにすごい頑張って、こんな手になったのかな。そう思ったらなんだか胸の奥がかあっと熱くなって、無償に抱きしめたくなって愛おしくて、思わず零してしまった。

「夜久が、好きだなあ」
「え?」

弾かれたように夜久が顔を上げた。その茶色い瞳に映されて俺は自分が何を口走ったのかようやく理解出来た。あ、あ、どうしよう。何を言っているんだ。慌てて弁解しようとして見た夜久は俯いていて、睫毛がちいさく震えていた。泣いているのかと思ったけれど頬は濡れる気配がない。それどころか赤く染まっていて夜久は照れ臭そうに俺を見上げてみせるとゆっくりこう言った。

「嬉しい……私も、好きだよ」

ボカーンだとか、ドカーンだとかともかく効果音はどうでもいいとして俺に物凄い衝撃が走った。
夜久が?俺の、ことを、好き?嘘だそんなまさか。そう思って夜久を見ればやはり恥ずかしそうに微笑んでいて、頬を抓ってもちゃんと痛かった。

「うぉっしゃあああああ」
「ふふ、白鳥くんったら」

今日の日の幸せを一体何に例えようか。俺は歓喜の雄叫びをあげながら幸せを噛み締めていた。

「あ、そろそろ始業の時間になっちゃうね。急ごう」
「え、あ、うん」
「じゃあ、また放課後」

聞いたか、聞いたか、聞いたか!誰にでもなく頭の中で問い掛ける。じゃあ、また放課後だって!なんて甘い響きなんだろうか。
当然その後の授業なんて頭に入る訳もなく、俺は有頂天のまま夜久について考える。夜久、夜久、夜久。そんな中窓際の方から「あれ天文科て次体育か」「夜久ってかわいいよなあ」なんて声が聞こえる。俺は優越感と幸せに浸りながらうっとりする。そのかわいい夜久は俺の事が好きなんだぞ。そう叫びたかったが、それ以上にこの甘美な感情を今は噛み締めていたかった。
ようやく放課後になり、俺は小走りで道場へ向かう。また、放課後。頭の中でもう何百回も繰り返し再生している。とにかく早く夜久に会いたくて、俺は近道をする事にした。西側にあり校舎のすぐ近くの道を走って通る。放課後の喧騒は今の俺には遠く聞こえる。途中、窓の開いた教室から踊るように飛び出したカーテンが顔を撫でた。

「…っぷわ!」
「……先生、駄目です」

窓の開いた教室からずっと再生されていた声が聞こえて思わず立ち止まった。その声は俺の聞いているそれより低く、そしてなんだか甘ったるい。なんだ、これ。身体が搦め捕られたように動けなくて、開け放たれた窓から白いカーテンが翻る。

「いいじゃない、僕の事好きなんでしょ?」
「でも、窓、」
「大丈夫、こんなとこ誰も通りはしないよ」

はたはたと秋風に揺れるカーテン。窓から溢れる甘く湿った空気が更に重くなったのがわかった。突風にカーテンが翻る。そして、見えてしまった。窓を背に屈んで夜久にキスする水嶋先生が、見えてしまった。
口があんぐり開いたままなのが分かる。この空気に飲み込まれた俺は動く事も出来ずに映画みたいなそのシーンを食い入るように見つめていた。カーテンが視界を遮り、また高く舞い上がる。唇を離した夜久と目が合った。夜久は動揺もせず、今朝とおんなじ慈愛に満ちた笑みを俺に向けた。


嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
だって夜久は俺に好きだって言ってくれて、また、放課後って。でもさっきのはなんだ、俺に好きだって言ったあの口で、水嶋先生とキスしていた。一体どういう事なんだ。怒りより衝撃より動揺が強く、俺は頭を抱えたまま道場まで走った。意味がわからない。
こんな有様じゃ部活なんて出来る訳もなく、俺はまた放課後と言った夜久の言葉を信じて夜久を道場の前で待っていた。あんな事があったのだ、もしかしたら来ないかもしれない。
そんな俺の予想を裏切り夜久は程なくして道場の前に現れた。

「……夜久」
「白鳥くん、どうしたの?」

夜久はやはりあの女神様みたいな笑顔を浮かべて俺に聞いた。どうしたの、だって?怒りとかそんな感情を通り越して、最早失望に近い感情が俺を支配する。

「……俺の事、好きって、あれ、嘘だったのか?」
「どうして?嘘じゃないよ」
「じゃあ、何でさっき水嶋先生なんかと、」
「好きだからだよ」

夜久は平然と笑顔を浮かべて、まるで当たり前と言わんばかりの様子だった。

「……え、意味が、」
「私、好きだよ。白鳥くんも水嶋先生も金久保先輩も宮地くんも梓くんも犬飼くんも小熊くんも好き。
勿論錫也と哉太と羊くんも好きだし、生徒会の皆も好きだなあ。あと、」

夜久は日陰の枯れた朝顔にとまっていた蝶を指した。

「そこの枯れちゃった朝顔は可哀相で好き。蝶々も好きだし、鳥も好き。犬と猫も好きだよ」

早口に淡々と名前を挙げる夜久。その笑顔は相変わらず慈愛に満ちていたが俺はもうそれが恐ろしくてしょうがなかった。

「皆好きよ。好きだったらキスするし、セックスもするでしょう?」

夜久には特別が、ないのだ。例えば今地を這う毛虫が死んでも、俺が死んでも、きっと同じように悲しみ、同じ数の涙を流すだろう。そして同じように忘れていく。その透明な瞳に世界は一体どのように映るのだろうか。くりんと愛らしかったはずの瞳がただの硝子玉に思えて、気味が悪くてしょうがなかった。犬飼の言葉を思い出す。
「お前、平等って事はな、特別を作らないって事だ。分かるか?」
犬飼が時々夜久を憐れむような目で見ていた理由が今ようやく分かった。好きだと言いながら夜久は何も愛しちゃいないんだ。

「……夜久、さ」
「うん」
「誰とでもキス、出来んの?」
「できるよ。キスだってセックスだって、きっと女の子とでも動物とだって出来るよ。私、皆好きだから」

俺はなんだか無性に泣きたくなりながら、好きな女の子を、好きだった女の子を見つめていた。その慈愛に満ちた微笑みは太陽の如く、俺達にも虫にも全ての生き物に平等に降り注ぐ。ぞっとするくらい優しい眼差しがそこにある。
特別を知らない夜久より、好きだった女の子を簡単に愛せなくなってしまった自分の方がとても恐ろしい生き物のような気がしてならなかった。
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