「か、櫂さんは、あっちでは何をしていたんですか…?」

外を歩くアイチと櫂。
もごもごと遠慮がちにアイチは聞く。アイチには此処から出れない、籠の鳥のようなものでそれは盲目に近いような感じだったのだ。

「工場で…働いていたな。金がなくて転々としていた」
「工場……?楽しい所ですか?」
「いいや、機械ばかりあって面白くない。気をつけないと指を挟む」

"機械"、その言葉に胸が締め付けられた。同時にあの部屋を思い出す。真っ暗で何もない孤独で冷たくて痛くて………。
そう考えた途端に上手く呼吸が出来なくなりアイチは倒れ込んだ。お腹が気持ち悪い、咳が止まらない。体中が痛い。

「げほげほ、げほッ!!!!あぁあ゙…!!!!」
「お、おい!?どうしたんだアイチ!しっかりしろ!」
「うっ…うぁあ゙あぁあ゙…!!!!!く、くる、しい、げほ、げほげほげほ、」

びちゃびちゃ、と音を立てて地面に吐き出された嘔吐物は胃から出たものと、鮮血だった。嘔吐物に覆いかぶさるように鮮血は生々しく吐き出され、明らかに血の方が量が多い。

「しっかりしろ!!ッ、腹に何か溜まってるのか…?!」

そう思い、朦朧とするアイチの服を無理矢理あげた。腹部をマッサージするように抑えようと思ったのだ。―――が、櫂が目にしたのは信じ難い光景だった。
雪のように太陽の光を浴びずに真っ白なアイチの上半身には無数の傷痕。切り傷、刺し傷、火傷、痣、何かで無数にたたかれた痕、変色してしまい青色に近い色になっている部分もしばしば。

「なんだ、これ…!!?」

もはや、人間が生まれた時の肌色は残っていなかった。全て傷痕で埋め尽くされていたのだ。そして、タートルネックの喉元を下げれば手や縄で締め付けられた痕があった。櫂は思わず絶句してしまった。
それと同時に男性にはない、ふくよかな胸の膨らみ。そこで櫂は確信した。アイチは女である、と。

****

「一時的な発作です、」

そう言ったのは白衣を翻して、発作止めの注射を打ったレンだった。アイチは自室のベッドで深い眠りについている。もしかしたら気を失っているのかもしれない。アイチの長い睫毛は微動打にしない。

「よく…起こるのか?」
「まぁ……仕方ないことです…。アイチくんが"発作の発動"になる、言葉が連想させてしまうんです。喘息もこれと同じ状況で起こりますが……今日のは特に酷いです。君、アイチくんに何か言いました?」
「仕事について聞かれて、工場で働いてる、って答えたんだ。"機械"って言葉を出した途端に酷く怯えたな……」

ああ、とレンはため息をついた。カルテに書き込むボールペンを持つ手をぴたりと止めた。困ったように眉を潜めて唸る。

「機械、はアイチくんにとってはタブーです。あとは密室、暗闇、一人、凶器、これら全てはアイチくんの発作を発動させてしまいます」
「一体どうゆうことだ…?」
「余所者はあまり深く関わらないほうがいい、と言っても僕も余所者ですが……」
「……アイチは女なんだろう?それに身体中のあの傷痕……尋常じゃない」

櫂がそう言うと、途端にレンは目を大きく見開いた。やがて瞬きをするかのように目を閉じると持っていたカルテをテーブルに置いた。

「君…見たのですか」
「ああ、さっき…な…」
「なら仕方ないですね……特別に教えてあげましょう。外部には絶対に漏らさないで下さい」

こくり、と櫂は頷いた。レンは壁にもたれ掛かると恐々と口を開きアイチの方をちらりと見た。

「君が言っている通り、アイチくんは"女"です。だが戸籍上では男になっています。アイチくんには妹がいますが、この妹は血は繋がってません。ただ、一番最初にこの島に流されて来たのがアイチくんの妹となった、"エミ"という子でした。
アイチくんの父親と母親は、アイチくんのお祖父さん、現にこの館の当主に殺されました。それもアイチくんの目の前で。アイチくんのお祖父さんには、この館の次期当主が欲しかったために、アイチくんの父親と母親を殺したのです」

そうしてレンは一段落つく。
長い赤髪をうざったそうに持ち上げると手首に付けていた髪ゴムで括り始めた。

「今から十四年も前の話です。当時アイチくんは三歳、そんな幼い内に、身内に身内を殺された。深い悲しみと傷をアイチくんに負わせました。しかし悲劇はそれだけではなかった。
そう、アイチくんはこの館に引き取られ、十四年間も虐待を受けていたんです!
理由はアイチくんが女の子だったから。なんて理不尽で酷い理由でしょうね、当主は次期当主も必ず男でいて欲しかったんです。女であり、少しでも当主の気に障ることがあればアイチくんを殴り、蹴り、罵倒し、刃物をつきつけ、時には首を締め、脅しました。……アイチくんには父親と母親を殺されたという過去があり恐怖で逆らえなかったんです」

それは信じられない話だった。
三歳で身内に父親と母親目の前で殺され、十七歳の今現在までも酷い虐待を受けていた。消極的だが、笑う表情は花が咲き誇るようで見惚れてしまう……そんなアイチだが予想も出来ない傷をアイチはたった一人、背負っていたのだ……。
櫂はあまりに残酷で苦しい話を聞き、わなわなと震えた。

「アイチくんが…虐待を受ける場所は決まって、"拷問部屋"です。僕は行ったことがないのですが…この本館の前の時計館という旧館とほぼ同時に作られた部屋です。旧館に当主はいます……。アイチくんは今でもたびたび、あの部屋に行っては虐待を受けています」

アイチが抱えた重い重い秘密。誰かに知られてはならない、たった一人で孤独と戦うその小さな身体には俺が味わったこともない枷がついていた。
俺はアイチの秘密を知ると同時にアイチのテリトリーに踏み込んでしまったのだ。

「僕には…アイチくんを助けることが出来ません、ただ発作を止めるために薬を与えたりすることだけ……。アイチくんはとっても優しい子です、僕は三年前に此処に来ました。ほぼ自分の意思で……。都会の病院で手術中に僕のミスで患者を死なせてしまった。なのに僕は最低な嘘をつき、そして逃げた。荒波に呑まれた時は天罰だと悟りました。
だけどアイチくんはそんな僕を助けてくれました。ただ何を聞くわけでもなく、温かく迎え入れてくれた。……しかし最近のアイチくんはどうも変です。まるで『誰も信じれない』と言うかのように引き篭るようになってしまいました」

レンはふとそう零す。
レンもそうした過程があると同時に此処にいる奴らもきっと同じなのだろう。アイチに救われたに違いない。アイチといると不思議と温かい。まだ会って間もないのにも関わらずそれは確かだ。

「僕達に向ける笑顔は作り物すぎて、ポーカーフェースが出来ていない。きっと…精神的に限界が近いのかも知れません……。櫂、僕は少し此処を外しますのでアイチくんを頼みましたよ。アイチくんの秘密は絶対に皆に言わないで下さいね」

そう言ってレンはパタンとアイチの部屋から出ていってしまった。静寂な部屋だ、と櫂は思わず感じた。ふと床に落ちている日記帳に気付き、拾ってみた。それはアイチがこれまでの苦悩を綴った日記帳だった。

「なんだ…これ…!?」

病んでいる、と言っても過言ではないアイチの日記帳に櫂は震えた。きっと自分が此処に流されたのは偶然なんかではなく運命であり義務だったのかもしれない、と感じた。
そう感じていた途端、アイチがぱちりと目を開き声を漏らした。

「…ぁ、れ……?」
「アイチ、大丈夫か?気分はどうだ?」
「僕の部屋…?櫂、さん?気分……?」

まるで、アイチは先程のことを忘れているかのようにぼんやりとした様子で起き上がった。そっと腹部に触れると「あぁ…」と儚げに声を漏らす。

「そっか…また僕は……。人前で発作はなかったのになぁ……それに櫂さんの前だなんて…。………汚いもの、見せちゃってごめんなさい、もう…大丈夫だから……」
「アイチ、」
「大丈夫…だから…ほって置いて……」

アイチはそっと目を逸らす。櫂を見ようとはせずに声が何処と無く震えている。だが櫂は部屋から出ていこうとはしなかった。

「ほって置けない」
「い、みわかんない…櫂さんには関係ないじゃない、僕のことなんて……!な、にも知らないくせにッ…!!」
「知っていたらいいのか?……話はだいたい聞いた」

ぴくり、とアイチの眉が上がった。それと同時にベッドにあった枕を櫂に投げる。

「な、何で…!!?」
「レンを責めないでくれ、俺が頼んだんだ」
「そんなこと聞いてない!なんで…なんで勝手にそんなこと…!!?意味わからない、同情してるの!?僕が女で、身内に身内を殺されて、可哀相だって思ってるんでしょう!!?やめてよ!同情なんかしないでよ、そんな薄っぺらい感情なんていらない!!!」
「同情なんかしていない、ただお前はほって置けない」
「それの何処が同情じゃないって言うの!?汚くて、何もなくて、弱い僕を見て楽しいの!!?ついこの間来た櫂さんに一体何がわかるの!?一体僕の何が―――」

ギシ、とベッドのスプリングが音を立てる。しん、と静寂した部屋にアイチは動けなくていた。それは初めて触れた温もりで。

「……理由がなくちゃいけないのか?俺には確かに全然お前のことを知らない。だった……らこれから知っていっては駄目なのか?」
「あ…ぁあ……」
「泣いても……いいんじゃないか…」

ただ一言、櫂はそう言った。アイチは震えながら声をあげて泣いた。ただ宥めることに言葉はいらず、抱きしめたまま。



俺はそうしてアイチと知り合った。目を逸らさずにアイチと向き合った。アイチは少しずつだが心を開いてくれた、ぽつりぽつりと自分のことを話してくれ、自分は物語を書く人になりたい、そう願いを打ち明けてくれた。
そして―――今日、3月12日、俺とアイチの物語が始まった。
舞台はこの島。そして登場するのは俺、アイチ、レン、三和、カムイ、エミ、ミサキ、の7人。"駒"としてゲーム盤に立たせ、狂い残酷で悲劇であり喜劇の………そんな『悪夢の逸話』を俺とアイチの二人三脚で日記帳に書き始めた。

タイトルはそう、
"ナイトメア・アネクドート‐悪夢の逸話‐"

俺とアイチ、二人だけの秘密の物語の始まりだった。



1942年3月12日、櫂トシキが悪夢の逸話に挟んでいた手紙より抜粋。








「二人はそんな逸話を生み出した。そこには紛れも無い愛があったでしょうね……。幸せ、とは長く続かないもの………それから四ヶ月経った日のことだったわね……。そして私が最も解いて欲しい謎―――」

語り掛けるようにスイコは呟いた。今でも鮮明に思い出す、そして櫂は裏切り……アイチに殺されたことがはっきり、と。
戻って来なければ……こんなゲームは生まれなかった……。そう、6人の戮とアイチの戮は儚くも残酷な幕を降ろしたのだ――――。




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