「櫂くんっ!」

と、後ろから名前を呼ばれた。
それは求めていた声で、変声期など迎えても全く変わることのなかったであろうボーイソプラノ。5時でも冬になれば辺りは暗くなり、イルミネーションによる明かりで街は照らされている。そうして振り返れば確かにアイチがいた。のだが、もう一人……金髪の髪に触覚のように頭から生えた三本の髪の毛を揺らしながらアイチの隣にはレオンがいたのだ。聞いた情報には間違いはない。

「奇遇だね、三和さんとお買い物?」
「そーそー!ってか、俺勝手にアイチって呼び捨てで呼んでるから、さん付けじゃなくていいぜ!」
「いいんですか…?んと…じゃあ三和くん……で…」
「ん!で…ところでアイチ達こそ何してたんだ?そっちの金髪さんと」
「お前も金髪だろう」
「こりゃ失敬」

はぁ、とレオンはため息をつく。12月にも関わらずマフラーだけしか防寒をしていない四人は周りから見ればかなり寒くみえた。三和にとっては年下も年上も関係なく気軽に(というかかなり軽い)会話をするためか今更態度がどうのこうのなんてレオンは言わなかった。無論、アイチはこんな成りな為か言葉遣いなど皆無と言っていいほど気にしない。むしろアイチは年上でも年下でも同い年でも敬語の割合が高い。

「僕はレオンくんに付き合ってもらってたの。あそこのデパートに天文専門店が出来てね、双眼鏡とか望遠鏡はもちろん、大望遠鏡とかもあったり…あとあと“星の観察会”なんていうスターウオッチングなんていうのまで募集なんかしたり」
「そういえばまだ俺は名前を言っていなかったな。俺は蒼龍レオンだ。蒼い龍で蒼龍。先導と同じクラスだ」
「ス、スターウオッチングまでするキャンプもあったりして」
「へぇ、珍しい苗字だな。改めて俺は三和、三和タイシだ。んでこっちが櫂トシキ!血の繋がりのないアイチの弟…だよな櫂!」
「てっ、天体観測の歴史は古くてね、天体観測が肉眼から天体望遠鏡による劇的な進化を遂げたのは、オランダの眼鏡職人ハンス・リッ」
「俺はアイチを兄だと思ったことは一度もない」
「それはそうだろうな。先導が兄になるなど非現実的だ」
「非現実的!!?いくらなんでもひどい!ひどいよ!と言うかみんな僕の話聞いて」
「そろそろマフラーだけでは寒いな」

ふぅ、と白い息を吐く。そんなレオンのとどめの一撃にがくりとうなだれ、しゃがみ込みぶつぶつと小声を言い始めた。そんなアイチの反応に笑うと冗談だ、と笑うのでアイチはぷくりと頬を膨らせたままムッとした表情で振り返る。レオンはアイチに手を差し出し、アイチもまたそれを取る。その手はレオンにより引かれ、スッと立ち上がればアイチの膨れっ面は消えており可笑しい、とばかりに笑っていた。
そして、櫂はただその光景を見ているだけだった。目の前で、ただ立ち尽くして、何も言わずに。

「でも、実際アイチが兄って不思議だよな。弟ならわかるけどよ〜」
「三和くんまで!櫂くん、三和くんまでひど……かい、くん?」
「櫂?」

―――なんだ、これ。
胸の中で何かどろりとした感情が渦巻く。真っ黒い何か、がぐるぐるぐるぐると……。
気持ち悪い……気持ち悪い…気持ち悪い…気持ち悪い、吐きたくなる、…此処に居たくない。見たくない、視たくない、聞きたくない、苛々する、何も考えたくない―――。

「櫂く、」
「帰る」
「え…?」
「ちょ、おい!櫂待てよ!」

また、だとアイチは感じた。
僕は同じことをまたしてしまった、今日の昼時と同じことを…櫂くんを不快に思わせるような何かをしてしまった、嫌われてしまった、やっぱり僕はまだ何もわかっていない。一週間、されど一週間……少し櫂くんに近付けたと思ったのはただの自惚れだったんだ。そう思うと情けなくて、恥ずかしくて、怖くて、もっと櫂くんの役に立ちたくて………。

「……先導、手、寒いだろ。ほら早く行かないと閉まるぞ」
「ぅ、ん…ありがとう、レオンくん…ずびっ」
「いい加減マフラーだけはやめるか…」

鼻水を垂らすアイチをみてティッシュを渡す。申し訳なさそうに受け取るとふにゃりとレオンに笑みを浮かべた。
ただ、それでもレオンは満足などしていなかった。アイチの瞳にはレオンが映っていないのだから―――。

****

――…またこの繰り返しなのか、とばかりに三和はため息をついた。昼時と全く一緒なこの状況にさすがの三和も疲れていた。そもそもこんな大量の料理を注文して食べきれるのだろうか、とテーブルを見る。もちろん三和が注文したわけじゃない。伝票をちらりと横目で見れば4000円は軽くいっている。金がない、と言っていた櫂なのにこんなに注文して知らないぞ、とばかりに櫂を見れば口にモノを運ばず、ぐちゃぐちゃとパフェをスプーンで崩しているじゃないか。「う゛」と三和は思わず唸り声をあげてしまう。

「お、おい、櫂…それ…」
「…あ?」
「……ちゃんと食えよ」
「ああ…」

まるでヨーグルトをひたすらスプーンでぐちゃぐちゃにしたようなソレを櫂は無表情のまま口に運ぶ。時刻を見れば八時過ぎ。約二時間もファミレスにいる。
櫂はただ何も言わず、淡々と食事をしているため何を考えているのかさっぱりわからない。しかし蒼龍レオン、と名乗ったあの男子生徒はいけ好かない、と三和も少々感じてはいた。あの威嚇するように見てくる紫色の瞳は厄介だ。

「お前、逃げてばっかいないで勝負しろよ。カードの時は無駄に強いクセして馬鹿みたいにこっちは駄目駄目だよな」
「……」
「……はぁ、ったく…。あ、お姉さんすいませーん、このオススメチーズとろとろグラタンとポッキー30本刺しダブルチョコレートアイスパフェを二つとー……」
「!? おい三和何を…」
「どっちがたくさん食えるか勝負な!」
「は!?」

にかっ、と笑えば一人で黙々と食べ始めるものだからやってられん、とぼそりと言えば「だったらアイチもさっさと諦めて渡しちゃえよ、負け犬櫂〜」と言い出した。途端に黙示録の炎をあげて負けられないとばかりに食べ始めた。全く素直じゃない、と笑うとまたもやウエイトレスが食事を持ってくるのでさすがに頼み過ぎたか、とばかり苦笑いを零した。
周りから変な目で見られていることに気付かず店の閉店時刻までがむしゃらに食べ続けた。

「十時……」

うっ、と胸やけした櫂はふらつきながら帰路をしていた。まんまと三和の策略(?)に引っ掛かり無駄に食べ過ぎたせいで危うく転びそうになる。
そもそも店の連中まで乗って来てサービスだとかいらないサービスまで貰ったものだから迷惑この上ない。三和と割り勘したもののさすがに使いすぎた。バイトでもするか……。どうせ家には誰も――…違う、違う、違うだろ……?家にはアイチがいる、誰もいないはずのあの家にはアイチがいるじゃないか―――。俺は一体何をしていたんだ、料理なんてまともに出来ないアイチは今頃家で一人でいる………。

「………いる、はずがない」

息をするたびに白い煙が上がる。もしかしたら今までは夢だったのかもしれない。アイチのことを考えなければ朧げになる。だからこそ、都合の良い夢を俺は見ていたのではないかと思う。ただ…もし、夢だったとしても忘れられない。星空を見ればあのアイチが確かに言った“アステリズム”が………。
嗚呼…やっぱり綺麗だ。
櫂が夜空を見上げれば冬でもそこには一面の星が広がっていた。天球上に立ってぐるりと星を見ている様だった。宇宙とは全く不思議なものであんなに綺麗に見えても塵や石などという物質で出来ている、太陽の光に当たって光っているわけではない、恒星は自ら光を放ち天球を動くことは殆どない。まるで櫂も恒星の一部になったような気分だった。動けない、身体が、脳が動こうとしない。一瞬、アイチの声が聞こえた。
「櫂くん」と嬉しそうにそう言って笑うアイチの顔は好きだ。星のように瞬くアイチのコバルトブルーの瞳に何度吸い込まれそうになったのだろうか。

「櫂くんッ!!!」
「―――…アイ…チっどぅ◎■#※!!?!」

一体何が起きたんだ、という思考が過ぎった。ごろごろごろ、と勢い良く櫂に抱き着いたはずのアイチのそれはタックル同様の勢いで櫂とアイチは隣にあった河川敷へと転がっていった。櫂は夢から覚めたような気分でハッと目を開ければ櫂にぴとりとくっつくアイチがいた。家には一度帰ったのか制服ではなく赤いタートルネックの上からパーカーを着ている。ジャンパーを着ておらず、寒いはずがアイチは首筋にうっすら汗をかいている。それはずっとあちこちを走っていたかのようで。

「……ら、…になら…いで、」
「…? 何と言ったんだ、」
「き、きらいに、なら…ないで、」

肩を震わせ、櫂の制服をぎゅっと握り締めたまま鼻の詰まった声でアイチはそう言った。ずるずると鼻水を啜りながら震えていうアイチは櫂を捜し回っていたのだろう。家に帰っても櫂が帰ってこない。家で待っていても櫂が帰ってこない。もしかしたら本当にアイチが嫌いになって櫂は帰るのをやめたのかもしれない、自分がいるばかりに、迷惑をかけてしまうばかりに。
ただ謝らなければ、そんな罪悪感をアイチは背負い必死に捜した。アイチだって同じだ。櫂に必死に追い付こうとしながら何処か櫂を遠ざけていた。どこか間違えてしまえば櫂は崩れてしまう気がした。それが怖くて堪らなくてそれ以上触れようとはせずに距離を空けながら、櫂に追い付けるはずもなく、追い付こうとした。

「料理も、がんばってれんしゅう、して、櫂くんの役に立てるようにがんばるし、櫂くんより早く起きれるようにするし、櫂くんのやくに……っう、うぁああぁ、櫂くんにきらわれたくないよぉ……嫌われないようにするから、だからお願い嫌わないで、おうちに帰ってきて……!!」

汗で冷えた身体を櫂はそっと抱きしめた。アイチは帰って来てくれる。居てくれる。待っててくれる。どんなに俺が冷たくしてもアイチは家に帰る。俺もアイチも帰る家はあそこしかないんだ。もし俺があの無数にある星に紛れてもアイチは見付けてくれる気がした。そして手を伸ばして「帰ろう、櫂くん」………そうほほ笑みかけてくれる気がするんだ。

「お前は馬鹿か、また風邪引くぞ。こんな薄着で」
「だ、だって櫂くんが帰って来てくれないから…どこ探せばいいかわかんないから…」
「…俺の制服に鼻水を垂らすな」
「う、ぅう…ずび、」

二人はごろりと河川敷に寝転がった。この間と同じように星を見ていたのだ。
俺にとってはどれも同じ星に見えてもアイチには一つ一つが意味をもって成して描かれた世界に見えるのだろう。

「あ、のね櫂くん…。僕つい四ヶ月くらい前にこの街にきたばっかりでね、元から友達なんて呼べる人いなくて今いる学校でももちろん友達なんて出来なかったの。ただ……レオンくんは違った。クラスでは人気者でスポーツも勉強も出来て…あとすごい明るいの。秘密だよ、レオンくん、裏表が激しくて学校だと明るくて楽しそうに笑うんだけど僕といる時はいつものレオンくんなの。レオンくんも僕と同じな感じで親がいなくてバイトしながら学校行ってて……僕はすごいな、って思った。だって辛い所なんて誰にも見せずに一生懸命になって、明るく振る舞って…だからレオンくんの役に立ちたいと思った。も、もちろん最初は嫌がられたけど、あんまりにもしつこくて、何より僕の何も出来なさ加減に呆れて…そしたらレオンくん全部話してくれた。いつの間にかレオンくん友達になっててくれて嬉しかった、“友達”って呼べる人が出来て嬉しかった……」

アイチはただ素直に嬉しかったんだ。だからこそ大事にしていた。嫌われて離れてゆくのに何よりも、誰よりも怯えていた。アイチは実は強欲なのかもしれない。本当、振り回されるこちらの身にもなってほしい。

「…お前は、蒼龍レオンが好きなのか?」
「好き…?んと…うん、好きだよ!だって友達だもん!」
「そう言う意味じゃなくて、」
「でも櫂くんも好きだよ」

どう言う意味で、なんてそれは聞けなかった。天然なのかこいつは……。阿呆みたいに真っすぐで、意外にも頑固で、何より弱い。再び触れた肌は見た目以上に熱を持っていた。大きな目は驚いたのか、更に大きくさせて頬は更に熱を帯びる。俺の冷たい手とは違い、温めてくれる気がして触れつづけていたら何かごにょごにょと言いながら、アイチはそっと手を離してしまった。

「冷たかったか?」
「ぁ、うぁ…ち、ちがう、けど……その、うぅううぅ…櫂くんのいじわるぅうう……」
「?」

そう言いながらアイチは縮こまってしまった。目を左右に泳がせながら、あうあうと唸るアイチに不思議そうに櫂は見る。櫂は途端に気になってしょうがない星空で一番輝く星を見るとアイチにあれは何という星だ?と問う。

「あれは…ハマル…おひつじ座のα座のハマルだよ。ハマルっていうのはアラビア語で、学名は“a Arietis”と言って太陽よりも55培の明るさを持つオレンジ色の巨大な恒星。65.9光年の短い距離で、ちょうどおひつじ座の頭にあるからハマルって言うんだ。元々アラビア語だから本名は発音出来ないから言えないけどおひつじ座のα座のハマルは羊の頭という意味だよ」

よくわかるな、とばかりにアイチに言えば嬉しそうにアイチはこくりと頷く。好きだから調べたの、というものだから好きこそものの上手なれ、なんていう言葉なアイチのためにあることわざに違いない。

「昔の人ってすごいよね、羊の頭、だからハマル、α座以外にもβ座とかいっぱいあるのに僕は感動しちゃった。オレンジ色なんかに見えなくてもそう言われてみれば見えてくる、太陽よりも、もっと明るいなんてイメージ出来ないけど確かに僕達の視界には映っている。それは詠嘆。感動した、と同じ意味を持った言葉でもすごく綺麗な言葉だと思うんだ。詠嘆なんて簡単に使える言葉じゃない、だからこそ儚くてこの世界は不思議に満ち溢れている……」

アイチは一体どんな気持ちで詠嘆という言葉を使っているのか俺はわからなかった。意味がわからない、というわけではなく、ただ単純にアイチが使うとその言葉はもっと美しく脆く感じたから。俺とアイチはそうして少しばかり星をみたあと家に帰った。
その夜、アイチはまた泣いていた。一体何の夢を見ているのかはわからなかったが酷く震えて縋り付くように俺に触れた。だから俺はそれ以上に強くアイチに触れ抱きしめた。そうして静かに薄く開いた唇に近付き、気付かれないようそっと唇を重ねた。

****

「……アイチ、もう飯の準備は今後一切するな」
「で、でも、櫂くんの役に立ちたくて、」
「俺の役に立ちたいならお前は気ままにぐーすか寝てろ!そして二度と異世界のような料理を作るな!」
「櫂くんそれはいくらなんでもあんまりだよ!酷い!」
「お前の料理の才能の方が酷い!なんでパンの上に卵を乗っけて、しかも電子レンジで温める!卵は破裂するし、おかげで電子レンジが壊れただろうが!」
「し…失敗しちゃった☆」

僕が櫂くんのお役に立てるのはまだまだ先のようです。でもでも、次こそは褒めてもらえるように頑張って練習をします!



ハマルの詠嘆
130112

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