どうして俺は素直になれないのだろう、と真っ白な頭の中で何度も言った。ただ俺はあの時、ちゃんと引き留めてれば良かったんだ。思わず根も葉も無い言葉を放ち傷つけた。今更何度後悔しても遅いんだ。今更謝ったって遅いんだ。真っ白な頭で真っ白な部屋に俺はいる。目の前には長い睫毛をぴくりとも微動だにせず、まるで死んでしまったかのように意識の無い彼女は今だ深い眠りへと誘われている。夕日によって反射され、オレンジ色の光が掛かった蒼い髪に触れればさらりと静かに落ちる。そうして一生目を醒ますことが無いんじゃないか……そう考えれば考えるほど怖くなり震える口で何度も謝るんだ。
そしたら今にでも優しくて、繊細で、強く儚く誰よりも美しい彼女は起き上がり、「櫂くんのばか!もうちょっと早く言って欲しかったなぁ」とふて腐れながらも優しく微笑んで、これっきりだよ、と言い小指を差し出してくるに違いない。つられて俺もほくそ笑み子供のように指切りをするのだ。
しかしそれは叶わない。美しい彼女は―――先導アイチは二日前、飲酒運転手のトラックにはねられた。まるでアイチは投げ捨てられた“モノ”のようにコンクリートの地面に幾度も身体を打ち付けられ脳震盪を起こし大量出血のまま病院へと緊急搬送された。頭を何針か縫い、意識不明の重症。それっきりアイチは動かなくなった。医者が言うには植物人間に近い状態。アイチはこの春、高校生になったばかりだった。そんなアイチの新しい世界はたった二ヶ月で崩れてしまったんだ。全て俺が悪いんだ、あの時何故アイチを追い掛けなかったのか。何故アイチにあたってしまったのか。俺は非情な人間だ。涙が出ない、哀しみが生まれない。ただあるのは“悔しい”という感情だけ。
アイチは俺のために何でも一生懸命になった。優しい音色のソプラノで俺の名前を呼ぶたびにアイチは嬉しそうに笑う。もう一度聞きたい、笑って欲しい、今なら素直になんだって出来る。

アイチが目を醒まして退院したら、水族館につれていってやろう。イルカのショーが見たいと言っていた、特等席を用意して貸し切りにしてやろう。遊園地にも連れていってやろう。映画にだって、海外でも良い。アイチが再び笑ってくれるなら俺はなんだってする。


「失礼します、すみません…今日の面会時間は終了とさせていただきます…」


申し訳なさそうに看護婦は部屋を数回ノックするとそう言った。また明日来る、と届かない声を放ち部屋を出た。外に出ればいつの間にか真っ暗で日が暮れてしまっていた。俺の未来にアイチがいないという未来は信じたくない。またアイチは目を醒ます。そして呆れながらも応えてくれる。仏教だとかキリスト教だとか俺は信者じゃないが今は可能性があるのなら神頼みしかなかった。気が付けば街から離れた神社に来ていた。どういった経緯で此処まで来たか、なんて覚えてない。財布から小銭を出してお参りをする。二拍二礼。そして最後に一礼。
ふと、目に入ったのは一つの祠だった。陰に隠れるようにひっそりと身を隠し、忘れさられたのか薄汚れてはいたが丈夫に造られている。地面に埋めてある何かに気が付き掘れば、それはストラップだった。それも見覚えのある。―――蜻蛉玉だ。ただの蜻蛉玉ではない。間違いなく俺がアイチから貰ったと同じそれは今も携帯についている。不器用ながらもアイチが造った蜻蛉玉は一番輝いていた。青色の紫陽花が描かれたそれは女子のようで。
だが一向に不可思議な現象に身の毛がよだつ。何かに惹かれるように祠と戸を開けると途端に身体が軽くなり目の前が真っ黒になった。まるで自身が祠に飲み込まれたかのよう―――。



****



……なぁ、おー…い…
聞こえるかー……?
つんつん、…死んでんの?


……っ、騒がしい。はっきり言えばうるさい。そして先程から顔に何やらもふもふとふわふわした何かがあたり鬱陶しい。引っ張ってやろうか、だいたい人の睡眠を邪魔しやがって…。そういえばアイチもよく邪魔をしに来ていたな。―――アイチ………。


「ッ!!?」
「いだぁああー!?」


一瞬だけアイチの姿が見えたような気がして俺はたまらず起き上がった。しかし辺りを見回してもアイチはおらず、かわりに俺は右手に狐のしっぽを握っていた。しかも奇声をあげたのは狐だ。奇妙なそれを思わず投げ捨てれば、こてんこてんと床板を転がる。俺は見慣れない場所にいた。


「なんだ此処…!?そしてなんだあれは……」
「お、おま……動物にはもうちょっと優しくしろよ!ましてや助けてやったんだぞ、こっちは!」


狐が、しゃべった。
はっきり言って気持ち悪い。うわ、とばかりに眉を潜めれば狐は騒ぐ。しかしこの声は何処かで聞いたことがある。と言うか全く同じだ。あのお節介に。などと思っているとシャラン、と鈴の音を響かせ、後ろで一つに束ねた長い髪を揺らし、再び逢い見える(まみえる)ことができた蒼い瞳でこちらに気付くと彼女は優しく微笑んだ。そうして全く同じ顔、姿、色、声で言うのだ。


「良かった……怪我、してませんか?」


それは心臓を刔られる気分だった。丁寧に正座をして顔色を伺う彼女はまた、にこりと笑い掛ける。俺はあまりの驚きに声が出なかった。
―――彼女は紛れも無い、アイチだったから。凛とした表情で大人びて見えるが確かにアイチだ。間違えるはずがない、海の如くサファイアのような宝石を埋め込んだ瞳。ごくりと唾を飲み込むと震える声で尋ねるように……いや、確かめるように聞いた。


「ア、イチ…」
「! どうして僕の名前を……?」


ああ、やっぱり。確かにアイチだ。だが俺の知らない初めて会うアイチ。驚いた様子のアイチに訳を話そうとした途端、ぴたりと喉元に鋭く銀色に輝く刀をあてられた。ぞくりと身体が震え、見上げれば知っている顔でそいつは立っていた。
しかし知っているはずなのにそいつも初めて、見る人物だった。目を赤く光らせ殺気を出す人物の面影はお節介で、それでも何かと世話を焼いてくれる心優しい友………三和と同じだった。だが俺の知る三和ではない。今にも三和は“俺を殺そうと”しているのだから。


「三和、何を…?!」
「だめだよ三和くん!刀をしまって!」
「だってアイチ!こいつ変だぜ!?アイチがどうしてもって言うから助けたけど、変な着物着てるし、礼すら言わねぇ、ましてや俺達の名前を知ってるんだぜ!?」
「でもだめ!むやみに人を殺そうとしないで!嫌いになっちゃうよ!」


そうアイチが言うと「うっ」と口を歪ませ三和はしぶしぶ刀を降ろす。俺は情けないことに腰が抜けてしまった。頭がついていかない。一体何がどうなっているんだ?俺は夢でも見ているのだろうか……夢にしては刀がリアルで気持ち悪い。ッくそ、訳がわからない、何なんだ一体……!!
俯く櫂に、アイチは心配そうに「大丈夫…?」と声をかけた。しかし櫂は返事をしない。ちらりと三和を見ればアイチが困っているのに弱いのか一緒に唸り、黄金色のふさふさとした尻尾をゆらりと揺らした。


「あ、あの、お腹空いてませんか?えと、改めまして僕アイチと言います、うんと……怪我がないようで安心しました!外に倒れているからびっくりしちゃって、不思議な着物を着てらっしゃるんですね、初めて見……」
「……此処は何処だ、俺はなんで倒れていた?なんで助けた?」


低い声で櫂は聞いた。アイチはしどろもどろになりながらも「此処は村から離れた山里です、えと、倒れていた理由はわかりません…ごめんなさい……。助けた理由……」そこでアイチは言葉を止めた。三和は腕を組みながら柱に寄り掛かりアイチを見る。また櫂も櫂で自身に問うていた。
―――なんで俺はこんなことを聞いているのだろう、と。こんなことをしている場合じゃなかった。早く家に帰ってまた明日病院に行く予定の櫂を狂わせてしまうこの時間に苛立ちを感じた。夢なら夢で何故アイチや三和に似た人物が出るんだ。
櫂も櫂で限界だった。疲労とストレスのダメージがひどく思考能力がかなり劣っている。まともに睡眠だって、食事だって摂っていない。込み上げてくる想いはすべてアイチへのものでいっぱいなのだ。どんなに謝ったってアイチは応えてくれない。頑なに閉ざされた瞳を開けようとしてくれない。櫂を許してはくれない。いつしか櫂は誰よりも弱くなった。

大丈夫、アイチはもう一度起きるさ、そう励ましてくれる友人も、アイチの母親も妹も知人も、櫂には理解が出来ない。“だって自分が悪いのだから”追い込んではもっと奥底へと自分を突き放す。もう支えてくれる大事な光は消えてしまった。心を閉ざして櫂のもとを離れてしまった。


「倒れていた人を助けるのに理由はないと思うんです、だから僕は……?」
「ッ、……く、……」


情けない、情けない、弱い、脆い、消えてしまいたい。
我慢していた『それ』は溢れ出し、止まらない。乾いた瞳を潤すように込み上げた想いを吐き出すように、ぽたりぽたりと畳の上に落ち染み込んでいく。人に弱みなど見せなかった。それは自分が弱い証拠だから。そんな自分を先導アイチという少女は否定をした。

『それは誰よりも強い証拠。櫂くんが背負ってきた重みをゆっくりと下ろすんだよ。櫂くんは……誰よりも…強いよ』

すまない、といるはずのない櫂のアイチに何度も何度も謝る。そして櫂の目の前にいる“違うアイチ”はゆっくりと櫂を抱きしめた。こんなにもこの人は脆く………なんて強い人なんだろうか、と心を痛め、アイチも一緒に涙を零した。
伝わってくる、この人の感情が。大切なものを失ってしまった。誰も悪くない、なのに自分が悪いんだと叫んでいる。届かない声で謝っている。この人は悪い人じゃないよ、と三和くんに目で語るように僕は涙をぽろぽろと零しながら笑いかけた。三和くんもまた、そうですか、と少々呆れたように言って台所へと姿を消してしまう。


「大丈夫、大丈夫だよ櫂くん。僕にはわかる……君の気持ち、感情、すべてが。…ごめんね、僕は気味の悪い力を持っててね相手の感情や思考、名前とかわかっちゃうんだ。君は不思議な人なんだね、遠い……遠い未来から来た人……。此処とは違って平和で和で温かい未来…………だからこそ辛いんだ…」


それは“美しかった”。
アイチは全てを当てた。心理学とかそんな理屈はない。素直に、本当にアイチにはわかるんだ。そうして俺は遠い過去に来たと悟った。何の理由で、何故来たのか、なんてわかるわけがない。ただ……居心地は良かった。忘れかけていたアイチを思い出せたから。誰よりも美しいアイチは全く同じで、温かかった。

神は言った。
自分を見つめろ、と。
正しい道を歩め、と。
守れる力を持て、と。

奇跡などはない、ただ自分の目で見て、感じて、触れて、素直になれ。誰も悪くない。もう一度自分に問え。そして答を出せ。それはきっと……お前が望んだ答なのだから。そう神は言った。
例え世界が俺を拒んでもアイチは俺を拒まないと言った。もし、の世界もない。自分は真っ直ぐに見ているよ、目の前にいる貴方を。奇跡なんて信じないで自分で歩いて行く。奇跡は最後の最後までとっておくんだ。

俺は過去の世界に来た。
それは奇跡じゃない。世界に拒まれたからでもない。もしかしたら必然だったのかもしれない。今は何も言えないが何かを伝えたいのかもしれないんだ、この世界のアイチは。三和は。
“過去に目を閉ざす者は結局のところ現在に対しても盲目になる”
ドイツ終戦40周年記念演説での、西ドイツ大統領・ヴァイツゼッカーはそう言った。今を見なければならない。そうして俺はその意味がようやくわかった時に自分の場所に戻ってアイチに逢いに行く。盲目から醒めて、アイチを迎えに行く。だからアイチ、それまでは眠ってて良いから……また再び深い眠りから醒めてくれ。



It's hard to breathe
(息をするのも難しい)
130107



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