「ッ、げほっ、げほっ、なんだこれ――…!?」

明かりが灯らない廊下をただ歩く。外の月光だけが唯一の光で。ただ、充満する酷い匂いに吐き気が覚えた。
暗闇の廊下を歩くたびに散乱した過敏のカケラやシャンデリアのカケラ、倒れた椅子、ぼろぼろに壊された扉。まるで廃墟のよう。

「っ、!?そこに倒れているのは誰だ!?」

ふと、何か塊が倒れてる、と目を見開き近寄った。
そこに倒れていたのは赤く長い髪と白衣がアイデンティティのレンだった。しかし切り裂かれた喉、そこから下は腐食し始め、ぽっかりと右目は空いていた。なんとも酷い有様に堪らず吐き気が襲う。

櫂は、この島に帰ってきたのだ。ある目的のために。しかしこの場所に来るのに随分と時間が掛かってしまった。それもそのはず、誰一人としてこの島を知る者はいなかったのだ。
二ヶ月、の間に何があったのか。この館で櫂は誰一人として生きている者を見ていない。
エミもカムイも三和もミサキもレンもアイチすら見ていない。もちろん使用人も。

「何故――こんなことに…!?一体誰が…!!」

唇を噛み締める。
自分は勝手に此処から出て行き勝手にまた来た。自分勝手なのはよくわかっている。だが、どうしても必要だったのだ。時間と資料が。
アイチを探してまた歩き始める。ぼろぼろに崩れた館内を歩いては異臭に堪えた。ふと、櫂の耳に微かな足音が。ヒタヒタと誰かが裸足で廊下を歩いている。

「だ、れだ…!?」

櫂の声だけが館内に響く。目を細め自身に近付く影を見た。と、びたん!と何かに躓いて転ぶ音が聞こえ、ばさりと何か本のようなものが落ちるのが聞こえた。思わず唖然としてしまった。


「い、た…い…」


それは懐かしい声。ころりと鈴が鳴るような音色。雲に隠れた月が露になり、また館内を光へと照らした。
リトルマリンの髪に、大きなターコイズブルーの瞳。間違いない、生きていた、このぼろぼろになった館にたった一人―――。


「アイチ!!」
「……え?」


思わず櫂は駆け寄った。倒れた拍子に俯いた顔をぱっとアイチはあげると虚ろな目で櫂をみた。だがゆっくりと首を傾げると、起き上がらずにぺたんと座り込んでしまった。アイチの瞳には光が宿ってはいない。

「んぅ…と…?あれれ?生きてる人がいる……だぁれ?」
「なっ!?アイチ…?お前一体……」
「ぼくの名前知ってるの?そうだよ、ぼくがアイチだよ。あのね、ぼくね探してるの」
「探してる…?」
「うん、そうだよ、探してるの。この―――逸話の終わりを、ねぇ……?櫂くん」
「ッ!!?」

口元を吊り上げてアイチはニタリと笑った。するとゆっくりと立ち上がると落ちていた日記帳を拾い上げて櫂に見せた。それは空白のページ。

「櫂くん、櫂くん櫂くん櫂くん櫂くん、櫂くんのせいでぼく、お話の終わり書けないの。ぼく一人じゃ書けないの。ぼくは一人なの、誰も信じない、なんで…?なんで櫂くん?寂しいよ、櫂くんの嘘つき、明日書こうねって言って四ヶ月も経ったよ!!!!!みんな、みんな、死んじゃったよ!!!」

ぼろぼろと涙をこぼし、確かに"アイチ"だった。アイチそのものの感情があった。自身を抱きしめ声を押し殺してアイチは泣いていた。べったりと身体には血がつき、ばさりとまた、日記帳を落とした。

「アイチ、違うんだ、聞いてくれ。そして悪かった、アイチ、」

崩れ落ちるアイチを抱きしめた。謝罪の意を込めながらひたすらあやまり強く抱きしめた。アイチもそれに応えるかのように背中に手を回した。

「櫂くん、何処に行ってたの…!!ずっと寂しくて怖くて自分が自分じゃなくなるみたいで怖かった…!!苦しくて、息も出来なくて、またいろんな事思い出しちゃうの、怖いよ、怖い…!!!!」

二ヶ月の間にアイチは目にしたくないものを見たんだ、そう櫂は思った。誰かに皆を殺されてしまった、ショックは大きかったに違いない。アイチのPTSDはそれを更に焼き付け、深く深く刔ったんだ。
俺は護ると決めたのに…。

「アイチ、大丈夫だ。一緒に………此処を出よう、この島から出て安全で自由な場所に。俺はそのために――…アイチ?」
「……そ、櫂くんの嘘つき、嘘つき!!そう言ってまた櫂くんは僕だけを残して置いていくんでしょう!?信じない!認めない!」
「っ、アイチ信じろ、もう俺は嘘をつかない!もう一度だけ信じ、っがあ!!?」

ドン!と肩を押されたかと思うとアイチは櫂の肩目掛けてバールでたたき付け床へ倒した。酷い、音がした。まるで肩の骨が折れるかのような鈍い音。
痛い、なんてものじゃない。言葉に表せれない。痛む肩を抑えアイチを見た。

「ア、イチ…?!」
「またそう言って櫂くんは嘘ついて一人いなくなって僕をおかしくさせる。信じない。誰も信じない。だから――…櫂くん、此処で死んで?」

アイチは屈託のない笑顔でにこりと笑って言った。先程のアイチとは全くの別人だ。ゾワリと全身が震え声が出ない。ガラン、とバールを床に置けばアイチは、まるで用意していたかのようにすぐ隣に落ちていたスティレットを拾い、負傷した櫂の肩を右足で押さえ付けた。
スティレットは短剣でありながら30センチもあり、まるで十字架のような形をしている。しかし先がするどく尖り、殺傷するのには十分なくらいだ。

「良いこと、教えてあげるよ櫂くん。あのね、僕がみんなを殺したの!お祖父様もエミもミサキさんもカムイくんも三和くんもレンさんも!!!!!ほぅら見て見て。四日前、だからまだ新しいよ。きちんと両目で見て!!」
「なんだそれ…!!?」

櫂が見たのは小瓶に無理矢理押し込まれた眼球だった。どろりとした血肉が付着し、神経は伸びきっている。コト、ともう一度床に置けばスティレットを握り絞めた。

「嘘つく櫂くんなんて大っ嫌い。櫂くん、――――戮を償ってよ」
「!!!」

そのままスティレットは櫂の心臓目掛けて振り下ろされた。パッと血が跳ね、アイチの頬を掠る。櫂は苦しそうに咳込み、ゴホゴホと口一杯に血を吐きだし震える手でアイチに伸ばした。だがアイチはその手を取らず……一心不乱に刺した。
刺しては切り、刺しては切り、の繰り返し。引き契られた手首、足首、裂かれた腹からは腸。そしてアイチが目当てだったのは眼球。
もはや死んだ櫂の頬にゆっくりと触ると、皮膚をスティレットで剥がし、丁寧に眼球を刔り出した。

ぶち、ぶちぶちぃ、ブチッ

えげつない音が響く。そしてスティレットの先でちょん、とまるで玩具で遊ぶかのように突いてにこりと笑った。

「さすが強膜、固いなぁ。つるつるして上手く切れないよ。……ほぅら櫂くん……綺麗だね。真っ暗だね此処。何か入ってるよ?小さくて透明な……レンズかなぁ。あははは、何これおもしろい!ゼリーみたいにどろどろしてる!水晶体ってこんなにどろどろしてるんだぁ…。目の解剖は初めてしたよ、」

べちゃっ、と音をたてて床に落ちた。ぐちゃぐちゃに切り裂かれた櫂の眼球はもはや、ごみのように扱われてしまっている。
どろりと水晶体がこぼれ二つに割られた眼球には網膜がぴったりと張り付き、ぺらぺらになった強膜は先程まで櫂の顔の一部だったは思えない。

「櫂くん、ねぇ聞いてる?聞いてる…?答えてよ……答えてよぉ……!!!一人ぼっちになっちったよ、わかんないよ、わかんないよ!!!なんでぼく、殺してるの!?怖い、怖い怖い…!お願いだから…櫂くん、櫂くん……」

返事は返ってこない。
最後に伸ばした櫂の腕はなかった。アイチが自暴自棄になり切断してしまったからだ。八つ裂き、と言っては過言ではないだろう。廊下に敷かれたカーペットには、もはや赤と黒しかなった。

「この…お話の終わりは一体何だったの?逸話は……悪夢の逸話は……終わりがないよまだ…!!一緒に、書こうって約束したよね櫂くん…!!終わりのないお話なんてどんなバットエンドよりも酷いよぉ……夢なら醒めて、醒めてよおぉおおぉ!!!!!!」





アイチのPTSDは徐々に治るとは言っていた。しかしあの館にいる以上、それは無理なのではないかと思う。環境が整った場所……アイチがたった一人の"少女"として生きて幸せになれる場所が必要だと俺は思う。

確かに俺はアイチを裏切った。戮を犯した。だが俺にはアイチが優先だった。例え裏切るようなことをしてでもアイチが幸せになる道に先導したかった。
それには少しの時間が掛かってしまった。だがアイチ自身PTSDのことを知らない。
ならば、言わずにひっそりと消えてアイチを迎えに来よう。この島を出て、新しい暮らしを始めよう。
物語は必ず幸せになるはずなのだから。アイチは幸せにならなくちゃいけない義務なのだ。



1942.12月31日.21時56分、――――櫂トシキの手紙より抜粋。
なお、入手先は不明。
























「な、にこ、れ――…?」

はっとアイムは気が付くと自分がいる場所が図書館ではないことに気が付いた。回らない頭を余所にふらりと立ち上がり今の状況を確認する。
自分は確かに先程まで、図書館にいた。図書館で日記帳を見付け読みふけた。それから―――それから…?
それから自分は何をした?全く覚えていない。何故か、今自分は図書館から離れた廊下にいた。いつの間にあの螺旋階段を自分は降りた?何故自分は……。

「あれ…?僕の白衣…こんなに汚かったっけ?染み…?」

そう思い触れた途端、ぬるりと生暖かい触感がアイムに伝わった。べっとりと付着したそれはまさしく血。だが自分には傷などない。怖くなり立ち上がろうと手を背後にやった瞬間、生々しい皮膚が触れた。
何だろう、と振り返ればそこにはあろうことか―――、

「ミ、ユキさ、ん…?」

血の海に呑まれ、倒れたミユキがいた。つい先程までミユキと会ったばかりのはずだ。胸にはスティレットが深く刺さり、殴られたかのように頭から血を流していた。

「や、やだ…!!?な、なんで!?息してない…!死んで……みんなは!?カノンくんも三沢くんもエルもレントさんもカリンさん達だって…!!」

立ち上がり走る。だがアイムが目にしたのは残虐なまでに広がる光景。カノンも三沢もエルもレントも生きてはいなかった。死んでいたのだ。
顔面蒼白になり、床に崩れ頭を抱えた。全く記憶がないのだ。自分が短時間の間に図書館にいた、その間に一体何が起きたのか。何故、みんな死んでいるのか。息が出来ない。苦しい、苦しい、苦しい、苦しい!!!!!!!!!!

「うっ、うぇえっ…!!ゲホ、ゲホッ!!」

びちゃびちゃ、と吐き出された汚物に目を背けた。胸を抑えゆっくりと息を吐き、吸う。
一人に、なってしまった。みんなが殺された中自分は一人に。訳もわからないこの島で館で何もわからないまま―――…。

「しっかりしろ、アイム」
「架耶く、ん…?」

名前を呼ばれた。ゆっくりと顔をあげ、前をみた。足音がゆっくりと近付いてくる。そこには返り血を浴びた架耶の姿が。そして右手にはスティレット。きらり、と先端がひかりぽたりと血が床に落ちる。

「か、架耶くんは生きてたんだね!!僕わからないの、何があったの!?だれが、だれがこんなこと……!!?」
「……アイム」
「架耶くんは知ってるの!?僕さっきまで確かに図書館にいた!なんでみんな、殺されてるの!?わけがわからないよ!」

ぴたり、と架耶は歩くのを止めた。アイムとの距離はわずか50センチ。だが架耶はそれ以上近付こうとはせず、微動打にしない。アイムが目を丸くする中、ゆっくりとスティレットの矛先をアイムに向けた。
鋭く、アイムの瞳をまっすぐと見ている。

「か、架耶くん?やだ、何の冗談?や、やめてよ、」
「冗談なんかじゃない」
「まさか…まさか櫂くんだって言うの!?みんなを殺したのは!?」
「ッ、いい加減にしろ!!アイム!!!!目を逸らすな!!」
「何を言って……!?」

ふらり、とよろめく。声を張り上げて言う架耶は真剣だった。
頭が痛い。痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
そうして流れてきたのはアナログ映像のように"誰か"がバールで頭を殴り、次にスティレットで胸目掛けて刺す映像。あろうことか、踏み付けてぐちゃりと頭の中を掻き乱していた。どろりと零れる脳みそ。

「なにこれ…!?なに、これ…!?やだ、やだ、やだ!!!!」
「思い出せ、思い出すんだ、アイム!!!」
「言っている意味がわからないよ!!何を思い出せばいいの!?架耶く、」
「自分がやったことを思い出せ!!!お前が……お前が、皆を殺したということを思い出せ!!!







『先乃アイム!!!』
「先導アイチ!!!」

バンッ!!とテーブルを叩く。響くのは櫂の声、それだけだった。

「ぼくが、みんなを…殺し…た……?」
「そうだ。全て、お前がやったんだ。そうだろう?先導アイチ。いや―――あえてこう呼ぼう。このゲームの主催者!!」


真実は嘘で、嘘は真実。
何もかもが、嘘だったかのようにガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。
悪夢は……醒めることがなく、終わりを告げるまで囚われたのは"逸話"なのだ。
震える手を見て目を見開き驚愕した。



「僕が……主催者…?」










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