コーリンは何かがおかしい、と気付き始めていた。ようやく気付いた真実に漠然としながらも一刻も早くスイコに伝えなくては、と思っていた。しかしスイコは何かを隠している。むしろ、スイコの意思は何だか違う方へ向けられている気がした。
我が当主ではなく―――そう、その人物は―――…。

「スイコ、入るわよ」
「あらコーリン、どうしたの?」
「ちょっと伝えに、ね。それよか、もうあの部屋には行かないつもり?ゲームが進んでいるわよ。確かな方向に」
「ふふ、大丈夫わかるわそれくらい。終盤が近付いている……望んだ方に」

スイコは一体どんな感情を持っているのかわからなかった。笑っている、だが本当に嬉しいのか?真実を知り、思い出し、戮を繰り返すあの7人に対し一体どんな感情を持っているのか?
わからない、とばかりにスイコを見る。

「………スイコ、あなた私に何か隠していることない?」
「隠していること?ないわ」
「スイコ…あなたの趣は本当にこれ?あなた、もしかして"意思"はあいつに――!」
「可愛い顔が台なしよ、怖い顔しないで」

それは、まるで威嚇する猫のように、まるで怯える猫のように、そんな表情をコーリンはした。力強く手を握ったせいか、爪が皮を破り肉に食い込む。赤い血がコーリンの手を伝わった。

「嘘よ!!あなたは趣向を替えてきてる!現にスイコが持つその日記帳はあいつのでしょう!?」
「だめよ、"あいつ"なんて言っちゃあ。私達が消えずにゲームを作れたのは、紛れも無いあの人のおかげでしょう?私達の戮を償わせるためにあの人は力を貸してくれた」
「あいつはもしかしら、ゲーム盤を乗っ取るかもしれないのよ!?そしたら元も子もないじゃない!!」
「それはそれで面白くていいわ」
「スイコ!!!」

声を張り上げて叫ぶように名前を呼んだ。それ以上言うな、そうコーリンの目からは伝わってきた。冗談よ、と薄く笑うと思い出したかのように振り返った。

「そういえばコーリン、伝えたいことって何なのかしら?」
「………それは……。あの7人……あれは違うの」
「違う?」

コーリンは言うのを躊躇うように下を向いたが、やがて前を向いた。首を横に振り、止血しない手の平からは水漏れした水道管の如くフローリングに落ちてゆく。

「よく思い出して、雀ヶ森レンが何故日記帳のことを知っていて…そして途絶えたあの出来事を、矛盾してるの、繋がる物語じゃないの、孫なんて…いるはずがないの…!!!」

息を呑み込む。
忌まわしいあの出来事に目を背けたくなる。だが確かに矛盾していた。そうだ、そうだ、いるはずがないのだ、あの場で次の生命は途切れたのだ、我が当主……先導アイチの手によって――――。






















ある人は言う。

「アイチ、最近はよく笑うようになったし、外に出るようになって良かった。引き篭り、なんて言い方変だけどさ本当、良かったよ。嬉しい」

ある人は言う。

「お兄さん、だんだんエミさんみたいな可愛い笑い方するからもう俺どうしたらいいのかわかんねぇよ…!うおぉおお、おに…お姉さ…お、おっ??」

ある人は言う。

「いやはや、やっぱりアイチは笑っている方が可愛いよなぁ、いや変な意味じゃなくてそっちの方が似合うしよ!って、やめろ睨むな!!」

ある人は言う。

「アイチ、ちゃんと起きてくるようにもなったし、一緒にご飯も食べるようになったし、私本当に嬉しい…!アイチが悲しい顔するのは好きじゃない……だから感謝してます、本当にありがとう、櫂さん!」

ある人達はそう言った。皆最後に"ありがとう"と俺に対して言った。正直俺には理解に苦しんだ。ありがとう、などと礼を言われるようなことなどしていないからだ。むしろ荒波で救われた俺が言うべきなのだと思うのだが………。

「最近は喘息もなくていい調子ですね、これなら走っても問題ないですよ」
「ありがとうございます、レンさん……えへへ、」
「どうした?」
「初めて、走りたいなんて思ったから…すごくどきどきしてるの、」
「そうか」

微かに、笑ったような気がした。表情をあまり変えない櫂だから不思議な感じがしてレンはしょうがない。アイチもここ最近はよく笑うようになり、引き篭りをやめてきていた。

「ああ…そうだ、少し大事な話があるので櫂、15分くらいでいいので残って下さい」
「? ああ、わかった」
「アイチくんは…悪いのですが……」
「わかりました、じゃあ…外で待ってるね櫂くん!」

にこりと笑いアイチは医務室からパタパタと出た。アイチがちゃんと歩く足音を聞き、辺りを見回して廊下に誰もいないことを確認するとカーテンを閉めた。そんなレンの行動から察するに、とても大事な話なのだろうと真剣な表情をした。

「適当に座って下さい、―――で、本題なのですが……。
最近、アイチくんの発作が起こらなくなりとても安心しています。これも悔しいことに君のおかげなんですね。一先ずお礼を言っておきます、」
「俺は何も……」
「人の行為はありがたく受け取っておくものですよ」
「いや、なんか今と違うと思うぞ、それ」

そう櫂が言えば、あれ?と首を傾げた。大きめのパソコンデスクにのる、資料やカルテ、本をどかしながら、一つのカルテを取り出し見つめた。

「君が来て三週間……このところ一度も発作は出ていません、アイチくんは発作を起こすと無理に鎮めようと自身の首を絞めるクセがあります。酷いときには無意識で縄や紐状のもので絞めたりします。僕はだいたい、アイチくんの"発作"はただの発作ではないと仮定していました。発作となるキーワードがあったから……つまりそれは"フラッシュバック"です」

ぺし、と手の甲でカルテを叩く。
確かに三週間の間一度もアイチの発作は起きなかった。つまりそれは環境が良かったから、という訳だ。櫂が来てからアイチは明るくなりよく笑うようになった。それは"普通"を手にした少女のようで。

「これはただの"発作"なんかではありません。決定的な精神病です。病名、心的外傷後ストレス障害です。これは、『Posttraumatic stress disorder』つまり略してPTSDと言うこともありますが、十三年もの間虐待を受け目の前で両親を殺された、これが原因でしょう」

また一つ、アイチに近付いた、そんな気がした。ゾワッと身体が粟立つようで鳥肌が立っている。病名は聞いたことがあったのだ。ただこんな近くにいるとは思っておらず堪らず、頭を抑えた。

「これは、心的外傷を受けるような衝撃的な出来事を体験してそれから何年も消えることなく、ふとしたことでフラッシュバックし、また体験をしてしまう……。アイチくんは元々、生れつき喘息持ちならしく重なり大変でしょう…」
「それは…治るのか?」
「病気なので治りますが、きちんとしたケアが必要ですね。治療法としてはEMD……Eye Movement Desensitization & Reprocessing…つまり眼球運動と回想、情緒認識を組み合わせた技法で、眼球を左右にリズミカルに動かすことで感情の処理過程を促進し、外傷記憶に伴う苦痛な感情を脱感作するというものです。トラウマ体験に基づく、恐怖症、不安、フラッシュバック、解離性健忘などに有効ですね。
まぁ、しかしアイチくんのは特別でしてね、これが効くとはわかりません」
「どうゆうことだ?」

レンは次に、ガサガサとデスクにあったホッチキスで留めた資料を取り出した。レンの表情は珍しく雲っており、眉を潜めていた。

「普通のPTSDとは少し異なる、アイチくん特有の性質を持っているんです。簡単に言えば、アイチくんのPTSDを三段階に分けるとします。一段階では発作、二段階では虚無、三段階では狂気、……と言った具合です。アイチくんはまだ一段階なので助かる余地はあります、しかし三段階に入るともはや自我を失い全てを破壊しようとするでしょう」

アイチはまだ背負っていた。一体どれほどあの小さな身体に背負うのか……痛々しいほどだ。嬉しそうに笑う顔も、拗ねて怒る顔も、悲しそうに俯く顔もどれもそれはアイチがアイチであることを表す大事な証拠である。
俺は……アイチを救えるのだろうか……?

「櫂、君が……アイチくんの側にずっといれば少しずつですが、アイチくんは忘れていくはずです。フラッシュバックなんてしなくなるほどに。……アイチくんを……救って下さい…!!」

それは"願い"だった。
疑問でも仮定でもなくて結論。"救う"のだ。あんなせまっくるしい場所から救うのだ。俺はそう決めたじゃないか、

「そう、だな。俺はそう決めた。だから此処に残ることを選んだ……。あとは無いか?」
「ええ、これだけです。アイチくんと約束があるんでしょう、行ってらっしゃい。そういえば、アイチくんと親密になりましたねぇ?"櫂くん"でしたっけ?青春ですかぁ」
「黙れっ、――逸話を、書いているんだ」
「逸話?あ、ちょっと櫂?」

レンの方には振り返らず、櫂はパタンとドアを閉めて行ってしまった。
そんな様子にため息をつきながら、持っていた資料を散らかったデスクの上に無造作に投げた。が、腕がぶつかり雪崩の如くバサバサと崩れ落ちてしまいめんどくさそうに振り返った。

「全く、なんで物というものは落ちるんですかね、あー全く全く……って、んぅ?これ、アイチくん宛ての手紙じゃないですか。なんで此処に…と言うかいつの間に……。後で渡さないと、」

それは真っ白な便箋だった。留めているシールには青薔薇の高級感のあるシールだった。
宛名を見れば、筆記体で名前が書いてあったが、何らかで霞んでしまい全く読めない。だが何処かで見たことのある家紋が刻印されており首を捻ってみた。

「これ…どこかで……。前に一度アイチくんが――――」

と、レンは思い出した。前に一度だけアイチが話していたことがあったことを。
『これは、僕の婚約者の家紋なんです。少し前までは手紙交換をしてたんですが…きっと……今となっては忘れ去られた話です』
そのあとに小さく呟いた、『蒼いあの人は結局は僕なんていらない……』その時の目は虚ろになり霞んでいた。
ああ、とようやくレンは理解をした。それが第二段階である"虚無"でありアイチが笑わなくなり引き篭るようになった原因だと。そして『蒼いあの人』とは一体誰なのか―――小さな好奇心がレンに芽生えて白い便箋を見つめた。

****

「あっ、櫂くんそうだ!せっかく"駒"としてゲーム盤に立っているんだもん、"駒"らしく名前を付けてあげよう?」
「名前?」

櫂がそう聞くとアイチはこくりと頷いた。チューリップの花に水をやりながら、広い庭には多くの花が生い茂っている。綺麗だ、そう櫂は感じた。

「もう一人の"僕達"として。お話の中なら何でもありでしょ?僕と櫂くんは図書館に行って悪魔を待ち構えた、そしてついに悪魔の正体をつきとめました!はい、ハッピーエンド♪」
「あのなぁ…。それじゃあ殺された他の奴らの扱いが酷いだろうが…」
「でもでも、逸話なんだもん。ハッピーエンドがいいよぅ」
「タイトルにそぐわない内容だな」

アイチはピンク色に頬を染めて笑った。アイチの秘密を知っているのは俺とレンだけ。此処にいる他の奴らは知らない。知らなくていいんだ、そっちの方が幸せなのだ。

「あれ、お水失くなっちゃった、くんでこないと…」
「なら俺が、」
「アイチ私が行ってきてあげる」

ふいに声がした。初めて聞いた声だった。声からすると気が強い人物なのだと予測する。
いつの間に、アイチの後ろに立っていたのだろうと息を呑んだ。俺が知る限りの7人にはいない、人物だった。長い金髪の髪を腰辺りまで垂らし、少々吊り上がった瞳、白いエプロンの下には黒いパニエの服。胸元には黄色のリボンをつけていた。使用人、のような格好だ。

「コーリンさん!」
「身体、弱いんだから私がやるわよ」
「大丈夫ですっ!レンさんが走ってもいい、って許可までくれたんですよ」
「あのヤブ医者が……」
「ヤ、ヤブなんかじゃないですよ!」

"コーリン"と言うらしいそいつはアイチと親しい中のようだ。アイチと親しい中なのに、俺は三週間一度も見たことがなかった。一体、何者なのだろうか。と、ふと"コーリン"と言う奴と目が合ってしまった。

「ちょっと、さっきから何じろじろと見てんの。この際、アンタ水汲み行きなさいよ」
「コ、コーリンさん!」
「アイチと仲が良くなったみたいだけど自惚れないでよねっ!わ、私だって、アイチと一緒に外出てきゃっきゃした…そそんなことこれぽっちも思ってないんだからぁ!」

つまり、ヤキモチのようだ。言っていることが曖昧すぎてどうやら自分でもパニクっているらしい。アイチはぽやん、とした表情でじょうろを持ちながら立っている。

「コーリンがヤキモチ妬いてるかと思ったら、あっれ〜ぇ!」
「ふふ、楽しそうね」

またもや聞き慣れない声がした。今度は二人。それもまた同じような服を着ており、唯一何かが違うと言えば胸元にあるリボンの色だ。水色と赤色だ。

「あら、彼、私達に気付いたの?」
「みたいだねー。私は初めましてじゃないけど初めまして、レッカだよっ」
「……姉のコーリン、」
「その姉のスイコよ」
「はぁ…?」
「この館で働いてくれてる使用人なんです」

初めましてじゃないけど、初めまして?それは一体どうゆうことだ。理解に苦しむ。俺には見えてなかったが、こいつら三人には俺が見えていた、知っていた……そうゆう事なのだろうか?

「焦らずとも、そのうちわかるわ。仕事に戻りましょう」
「まったねー」
「アイチ、水は私がくんでくるから」
「う、うん」

風のように消えていった。魔法のようだった。だが先程まで持っていたアイチのじょうろはなく、あの使用人が持って行ったのだと理解をした。

「アイチぃ、ミサキさんとケーキ焼いたの!食べよう!」
「わかったぁ、櫂くんも行こう!」
「ああ」

館の窓から顔を出して、アイチの妹は呼び掛けた。アイチが俺の手を引き、これ以上ないくらいの笑顔で地面を走る。
アイチが願った穏やかな日常、それを壊したのは紛れも無い俺だった。
アイチの感情を壊して全てを無くさせてしまった―――二度戻ることのない……そう、それは―――。




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