アステリズムの続き


「っ、朝か……6時15分…」

最新のスマートフォンを扱いながら時刻を見る。カーテンから差す木漏れ日に少々目を細めた。そして今だに慣れないベッドにかかるもう一人分の重み―――すやすやと気持ち良さそうに眠るアイチを見るとよくわからない微妙な表情をした。アイチが家に来て兄(櫂は思ってないが)になり早一週間が経った。とは言ってもこの間までは二人とも風邪で寝込んでいたのだが。何の夢を見ているのか知らないがふにゃりと笑い唇からとろりと涎を垂らすのを見て櫂はアイチの唇をぐいっと指で引っ張った。と、自分は何をしているんだと羞恥を覚えベッドから降りた。
アイチの部屋は今だ閑静で何もなく、ほぼ物置状態だ。ベッドを買おうにも今だ何処にいるのかわからない父親が置いていった数万円ではどうにもならないのだ。アイチが駄々をこねるように自分の部屋で寝ると言っても櫂は許さなかった。年が一個上だからだとかそんな理屈など聞かない。だからと言って櫂がベッドを使わないと言えばアイチまでも「それは絶対にだめ!!」と言うものだから最終的に落ち着いたのが二人で一つのベッドに寝ることだった。父親は家の家具をほとんど売り、一階にはほとんど何もないのだ。父親のことを考えると苛々が募るため櫂は制服のブラウスを着てズボンを穿くと下に降りた。朝食の準備をするのだ。
櫂は元々一人でいることが多かったため料理はお手の物だった。むしろ趣味にもなっていた。食事のやりくりは得意の方かもしれない、と自信気になりながら冷蔵庫から食材を取り出してフライパンを温めた。林檎を切ってカロリーの抑えられた砂糖をたっぷりと使いジャムを作る。そうして牛乳やバターなどに浸された食パンを焼きフレンチトーストを作る。一週間経ってわかったことはアイチが甘いモノが好きだと言うこと。よく笑うこと。何よりも櫂がいると嬉しそうに笑うのだ。

「ふぁあ…櫂くん…おはよ…う……」
「なんでお前は毎日きっちり朝食が出来上がったときに起きるんだ……」
「ん!今日はフレンチトーストなんだぁ!美味しそう!」

聞いてないな、と眉をひそめながらぴょん、と寝癖で跳ねた髪に気付かずリスのように林檎ジャムがたっぷりのったフレンチトーストを頬張るアイチを見た。野菜も食え、と言わんばかりに切った生野菜をアイチに差し出す。グロスでも塗ったかのような艶やかに潤うアイチの唇はまるで媚態のようだ。そんなふうに考える自分にハッとすればアイチから目をそらしてもそもそと食パンにかじりついた。焼きすぎてコゲのついた食パンにさすがの櫂のポーカーフェースは崩れ「苦い」と口にすればアイチが林檎ジャムを差し出して来た。それは甘ったるそうでいつもの櫂なら断るのだが少々受け取りコゲた食パンにのっけて口に含んだ。

「……甘いな」
「ジャムだもん」

相変わらず媚態のような唇にティッシュをとりごしごしと拭いてやれば「櫂くんってお母さんみたい、弟の感じがしないや」と言うものだから「俺はお前の弟じゃない」と返す。どうやらアイチはあくまで櫂を弟とし、自分は兄だと言い張るつもりのようだ。だいたい口の回りに食べかすをつけながらニコニコとする人物が弟などおかしいだろう。俺は一体アイチをどうみているのか?とふと自分に問う。案の定答えなどは出ない。モヤモヤと複雑な心境のまま、皿洗いを手伝おうとするアイチを無理矢理追い払うとため息をついた。

****

「あれ、櫂勉強か?休み時間まで偉いことで〜」

ひょっこりと顔を覗かせて三和は言う。昼時というにも関わらずノートを広げてシャーペンを持つ櫂の前に購買の戦利品のパン、“和風おろし柚風ポン酢チキンテリヤキバーガー”を差し出す。無駄に洒落たパンだな相変わらず、と思いながら袋から取り出そうとした時飲み物が無いことに気が付き席を立った。途端に三和も一緒について来るので横目でじろりと見ればおちゃらけたように笑う。外にある自販機に来たとき三和が「あ」と一言、声を漏らした。なんだ、と櫂は聞けば指を差しながら「あれ櫂の兄ちゃんじゃね?」と一言。その途端に三和はにやりと笑うとぱたぱたとアイチの方に走り櫂が「おい三和!?」と言うのは遅く既に三和はアイチに話し掛けていた。

「へぇ、アイチって言うんだな!可愛い名前だなぁ」
「かわ…僕、男ですよ?嬉しくない…」
「でもちっさいし、童顔だし、ほっそいしよ…櫂もまた羨ましい兄ちゃんを貰ったなぁッたあ!!」

後ろからガッと三和の腰に蹴りを入れれば頬を引き攣らせながら三和は櫂の方へ振り向いた。燃え盛る黙示録の炎を揺らめかせながら「何やってるんだ三和」とでも言い足そうに三和を睨む。これはやばい、とばかりに「ちょっと櫂のお兄様にご挨拶を……」と言いながらアイチの背後に隠れた。途端にアイチとぱちりと目が合い、相変わらずお昼時に大量の売れ残りあんパンをがさりと持ちながらアイチはふにゃりと笑う。

「櫂くんも飲み物買いに来たの?」
「…まぁな。それよりお前、またそんなに買って……」
「あんパン美味しいんだよ、櫂くんも食べる?今日はおばちゃんが一個おまけしてくれたの」

あまりにもアイチは嬉しそうに言うものだからつい頬が緩みそうになったが、櫂はふと気が付いた。昼飯に毎日そんなに大量のあんパンを食べるから食欲があまりなく、栄養失調になるのではないか、と。ちなみに手にはオレンジジュースだ。こいつの味覚は一体どうなっているんだ、と思いつつあんパンは断った。そうすれば後ろからアイチに抱き着きながら「じゃあ俺に一個くれよ」と三和は言い出す。ついでに櫂を見て、にやりと面白そうに笑うものだから再び黙示録の炎を上げた。

「仲良しなんだね」
「そうなんだよ〜。な、櫂!」
「しね」
「ちょ、お前友達に向かってなんてことを!」
「そうだアイチ、放課後は暇か?」
「無視かよ!」
「放課後?あ、放課後は…」
「先導、」

ふと聞き慣れない声がした。それは低音で耳にすっと入り込むような声で「あっ」とアイチは声を漏らすと後ろを振り向いた。声を聞いて振り向く時のアイチの表情は心なしか嬉しそうに見えた。櫂は途端に不機嫌そうに眉をひそめると声を掛けた相手を見る。振り向いた途端にアイチの腕からは抱えていたオレンジジュースの缶がごとりと落ち転がってしまった。

「何やってるんだ、」
「あはは…ごめんね」
「すぐ戻るとか言いながら10分も待たせてるじゃないか」
「先に食べてて良かったのに……レオンくんお腹空いたでしょ?」

ありがとう、と笑いかけて“レオン”と呼ばれた男子生徒からオレンジジュースを受け取る。何やら親しそうに話す二人に櫂は何故か苛々が募って来た。アイチが自分を無視して楽しそうに話しているのに対して苛立ちを感じているのか……櫂が一番分かるはずなのにわからなかった。櫂は放課後アイチを誘って食材の買い出しに行こうと、誘うつもりだったのだが、なんだかどうでも良くなってきてしまった。痺れを切らし、舌打ちをすると背を向けてスタスタと教室へと戻って行く。慌てて後を追い掛けるように三和もついて行けばそれに気が付いたアイチが声をあげようとしたが、すでにアイチの視界からは消えてしまい伸ばした手も意味もない、とばかりにだらんと落ちた。レオンはそんな落ちた手をとると引き「戻るぞ」と一言言ってアイチも笑みを零して頷いた。
教室に戻った櫂はそれはそれは不機嫌極まりなかった。結局飲み物も買わず、昼時の時間もあまり失くなっており三和にとっては最悪な時間でもあった。だが櫂とアイチを見ていてわかったことが一つ。気になったら口に出すのが三和の性格。ほお杖をつき「なぁ、櫂」とふと零すように言えば低い声で「……なんだ」と櫂は返す。

「お前、アイチのこと好きなの?」
「!!?」

ガタタタッと音を立て櫂は立ち上がった。その様子を見ると途端に三和はにんまりと口を弧に緩ませて笑った。もちろんいきなり教室で盛大な音がするものだから教室にいた生徒は櫂を見る。ごほん、と咳ばらいをしながら席に座り直せばそっぽを向いたまま櫂は答えようとはしない。昼休みももうない、というような時間帯なのだが三和は引き下がらなかった。「重症だな、」とため息をつきながら言えばいつの間に買っていたのかわからないオレンジジュースを櫂の机に置き、前を向いた。
その間櫂は授業の内容など頭に入らず(もともと授業は聞いていないが)シャーペンをくるくると回しながら悩んだ。今まで誰かを“好き”だという感情はなかったから。どういう感情が“好き”ということなのか……まるで頭の中にある辞典で何度も何度も引くように捜した。アイチとはまだ知り合って間もない。櫂はアイチを知ろうとした、しかし知ろうとしただけでアイチの全てを知っているわけじゃない。ただ知りたい。ベッドで一緒に寝るときにアイチは時折涙を流す。震えた唇で櫂の名を呼んだ。それはアイチを“初めて知った”……アステリズムの日。熱にうなされながら華奢な身体は軋むように、今にも崩れて跡形もなく消えてしまうんじゃないか……そう考えた途端櫂は嫌だ、と感じた。そうして抱きしめた。それは自分の意思だったのか、はたまた無意識だったのか。
―――こんなにもアイチのせいで心が掻き乱されている。
アイチを初めて見たときにすでに心動いていた、あのコバルトブルーの瞳に自分を映す度にどれほど歓喜を感じていたのか。アイチが嬉しそうに俺の名前を呼び、微笑んで、手を伸ばして―――…。こんなにも……俺はアイチのことが……、

「…好き、なのか――」

答えが出るのは簡単じゃなかった。しかし出してしまえば簡単だった。自分は女か、と自重気味に薄ら笑いをした。……とここで一つ櫂には疑問が浮かんだ。それは昼休みにみたアイチの名を呼ぶ男子生徒。バイオレットの瞳を揺らつかせ、まるで三和と櫂を邪魔だと威嚇するように鋭く光っていた。無論三和もアイチも気付いてはいないようだったが。鞄にしまい忘れた三和が置いたオレンジジュースがふと目に入る。三和の勘の良さに嫌になるな、と笑みを零した。

****

「は?帰った?」
「ああ、先導ならついさっき蒼龍と、ひぃ!?」
「それは間違いないんだな」
「ああありません!!!」

男子生徒の胸倉を掴み般若のような顔で櫂はつめよった。一応相手は上級生にも関わらず問答無用。隣で三和は額に手をあて、あちゃーと言わんばかりにご愁傷様……と言う。途端に櫂はドサッと相手を投げ捨てるように手を放すと一人スタスタと廊下を行ってしまった。三和は慌てて床に座る男子生徒に「すみません、」と櫂の代わりに謝ると櫂の後を追い掛けた。

「おい、櫂待てって!一体何処にいくんだよ」
「煩い、早く帰れ」
「ひっでぇ!お前嫉妬心丸出しだぞ、まぁアイチは可愛いから仕方ないだろ彼氏の一人や二人……あ、違う違う、高校生なんだから友達と放課後一緒に帰るのは当たり前だろ?俺と櫂みたいにっ☆」
「気色悪い」
「ひでぇ!」

だが櫂はアイチの帰るルートなど当たり前に知っているわけがなかった。と言うか全く全然知らない。一週間とちょっとはこうして過ごしたりはしたものの、今まで一緒に帰ったことなどなかった。むしろ逆に櫂が断っていたのだ。アイチが嫌いだとかなんていう訳で拒んでいたわけじゃない。ただ照れ臭かった……のかもしれない。変なところで不器用な櫂はコミュニケーション能力がかなり低いため、よく相手にかける言葉を間違う。それに感情を面に出さないものだからややこしいのだ。
そんな櫂が、アイチを追い掛けてふらふらとするものだから櫂の唯一の理解者である三和が放っておけるわけがない。血は繋がってないとはいえ、これはブラコンに相当するのだろうか?と一人三和は考えていた。あ、と三和はふと櫂に話掛ける。

「そういえば、アイチって天文好きなんだろ?」
「……らしいな」
「知らねぇのかよ」

思わずがくりと肩を落とす。もうちょい調べたりしろよ、とばかりにやれやれとすれば、じろりと櫂は睨んだ。ふと、櫂はアイチと初めて星をみた日を思い出す。アステリズム―――零すように呟けば三和はすかさず拾う。不思議そうに櫂に聞けばアイチがあの日いった時のようにそのまま伝えた。忘れるはずもない、アイチは誰よりも嬉しそうに美しく語る姿に魅入ってしまったあの時のことは頭から離れない。
そう、櫂にとってアステリズムの瞬きは一生忘れることがないのだ―――。


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