血に濡れた手。血に濡れた身体。二度と開けない瞳。硬直し冷たくなる身体。その全てが、目から、手から、足から、頭から、離れなかった。
その時俺は冷たくなって動かなくなったアイチの身体を抱きしめていた。
掠れた声で名前を呼び続け、何度も何度も「愛してる」と叫び続けた。

それなのに……こんなにも哀しいのにアイチは微笑んでいたのだ。その表情が美しく、そして死人の顔には見えず本当は生きていて俺のことをからかっているのだと思った。

忘れてはいけないのに、大切な時間を俺は忘れてしまった。
次に目が覚めたのは真っ白な部屋にいる自分だった。そして心配そうに覗き込み、心配そうな素振りをする叔父や叔母がいた。


「なんで……俺…こんなところに……?」


茫然とする頭で考えたが、一体自分は何をしていたのかわからない。バタバタと部屋に駆け付ける医者や看護婦に色々話し掛けられたがそれどころでは無かった。


「君、この人達が誰かわかるかな?」
「……叔父と叔母ですか?」


なんでそんな当たり前のことを聞くのかわからなかった。
医者によると自分は、ちょっとした事でレンと喧嘩をし外で騒いでしまったと言う。その反響で道路に飛び出してしまった、らしい。だが自分が轢かれる前に猫が飛び出して轢かれてしまった、と言う。まるで身代わりのように。
自分には全く自覚がないのだ。だが、そうだと言われればそんな気がしてきた。
レンも同様に最初は不思議そうにしていたが、いつの間にか元の日常に戻っていた。

そう、元の日常。
俺とレンとテツがいる、そしてヴァンガードをする当たり前でいつも通りの日常。相変わらずレンの阿呆さ加減に笑いながら過ごす日常。俺はいつの間にか、事故のことを綺麗さっぱりに忘れてしまった。
そうして俺が強くなるにつれてレンは変わってしまった。レンには“力”が宿った。


「僕はこの力の素晴らしさを皆に教える。まずは本部を設置しようと今、工事中なんです」


そう言って目の前で建設される建物を前に言った。圧倒的な力を持ち、見下す力。俺にはどうしても理解し難い話しであり、力だった。だからこそ否定をした。認めなかった。
俺がそうしてこの街から去ると同時にレンも引っ越した。中学三年生の頃だった気がする。
俺は高校生になり、一人暮らしを始めた。今まで窮屈な環境にいた俺にはそれはとても嬉しいことでもあった。しかし俺はレンのことがあったのか、定か、あまり人と関わることが嫌になり転校する前で小学生の時の友人でもあった三和にすら冷淡な態度をとった。無駄に感が良い三和にはそれこそ無駄だったが。


「うっひゃー、今日も雨かよ。最近よく降るなー。って、お前何処行くんだよ!?」
「何処って帰るに決まってるだろうが」
「傘も差さずに?」
「いらん」


止める三和の声には反応せず、雨の中傘を差さずに歩いた。雨が好きだから、な訳ない。むしろ雨など嫌いだ。理由は……わからないが。歩く度に、水が跳ねズボンの裾が濡れた。流石に鬱陶しくなり、早く帰ろうとした時だった。

俺は雨の中、独りの猫を見付けた。
リトルマリンの瞳を輝かせた不思議な猫…のような人間。虚ろな目で俺を見るとカタカタと震え、しゃがみ込んでいた。そして手を差し出して言った。



「………俺と来るか?」



そうして差し出した手を恐る恐る取り、しっぽを揺らつかせた。
俺は光を見付けて、
俺は光に手を差し出して、
俺は光を手に入れた。

それは紛れも無い奇跡だったのだ。





















そうだ。そうなんだ。
確かにあの時アイチは死んだ。そして俺はこうしてレンの前に立ち四年前を言いにきた。そしてアイチはレンに連れ去られた。だから俺は……俺は…?


「櫂……君は記憶を思い出してわざわざ此処まできて、何しに来たのです?」
「俺、は……」
「あの時、確かにアイチくんは死んだ。そして空白の四年間に何かがあり……そして今、生きている。生き返った、と言う言い方は嫌いです。還ってきた、と言う方があってます」


アイチは一体何のためにまた俺達の前に現れたのか……。違う。俺がそう望んだんだ。あの日……あの時…アイチが死んで動かなくなった時、願った。奇跡を。俺はあんな終わり方が嫌だった。伝えたかった。どんなに叫んでもアイチは応えてくれなかった。
アイチはとっくに愛の意味を知ってたんだ。わかってなかったのは俺の方だった。


「レン……もうアイチを縛るのはやめろ、とっくにアイチはお前の事を認めている」
「櫂に何がわかるのですか!?櫂は否定をした!アイチくんだけは好きだと言ってくれた!!だからもう一度…認めて貰わなければ―――」


と、言いかけた途端にポフンと誰かが後ろからレンに抱き着いた。ふわりと金木犀の香が鼻をくすぐる。



「レンさん、大丈夫……大丈夫です…」



ころりと鈴のような懐かしい声と共にあやすかのようにその声は響いた。ゆらり、としっぽがレンの腕に巻き付いた。


「ア、イチく…ん……?」
「アイチ……!」
「レンさん、僕は最初からレンさんを認めてましたよ。もう十分です、せっかく……あの時レンさんがまた手を差し出してくれたのに取れなくてごめんなさい……レンさんは…ちゃんと思い出してくれたのに…」


それは記憶の中で見付けた光を掻き集めて、一つ一つ繋げた真実。そしてレンが聞きたくて望んだ言葉。レンが忘れたはずの記憶をいち早く思い出したのは誰かに認めてもらいたくて、手を伸ばした光にレンはたどり着いた。その光は紛れも無いアイチだったのだ。


「どれ程辛くてどれ程痛かったのか、僕にはよくわかります。レンさん……もう大丈夫です…」
「アイチくん、僕は…ただアイチくんにもう一度……」


震える声で、レンはゆっくりと振り向いた。そしてアイチはこれ以上ないくらいに微笑みかけた。これが……この笑顔が見たかった。もう一度逢いたかった。櫂が奇跡を願ったようにレンも願った。
手を伸ばし、アイチの華奢な身体を抱きしめた。身長に差があるため、背伸び状態になる。ぱちくりと瞬きさせながら震えるレンの身体を応えるように抱きしめた。


「逢いたかったんです、ただアイチくんにもう一度。信じられなかったんです、アイチくんがいなくなったなんて、」
「………カミサマが…カミサマが……叶えてくれたんです…いるはずがないと…そう思っていたのに最期だけ僕の願いを叶えてくれたんです」


そう言ってレンの身体から離れると櫂に笑い掛けた。胸に手を当てて記憶を呼び出す。
それはアイチが叫ぶように願ったあの日、突然現れた奇跡の光。ゆっくりと沈み、落ちていく時の中で呼ばれた名前。


『アイチ―――お前の望みを叶えてやろう。それは私がお前を憐れむからだ』


ごぽり、と水の中でさ迷うように沈む身体が止まった。視界が霞んでいるのは水なのか、涙なのかわからない。考える思考がなかった。

『だが、私が憐れむのはお前が貪欲すぎて可哀相だからだ。いつでもお前は自分より他人だった。どれ程な苦痛を味わっても憎悪という感情は決して生まれなかったお前が可哀相で何より大嫌いだった。欲ばかり願う人間も嫌いだが、貪欲すぎる人間も私は嫌いだ。
お前が望む通りに私は叶えてやろう。記憶を消す、あいつらにはお前の記憶を無くす』


ああ―――よかった…。
ちゃんと……聞いてくれた…。もうそれだけで十分だ。僕だけが覚えていればそれで十分だよ。そうだ……それだけで……………良いんだ……。


『本当に?』


自分が思ったことを見透かされたようでどきりとした。途端に波に飲み込まれ、視界が塞がる。そして見えたのはたった一つの光。躊躇いながら手を伸ばせば一ヶ月の日常。

『お前はそのたった一つの光で全てを手に入れた。その時初めて欲を持っただろう?ずっと続けばいいのに、と。本当の願いは何だ?お前の欲望は何だ?命を捨ててまで守りたい日常を捨て、本当のことを言え』
『ぼく、は―――』


ああ、ああ、なんて温かいのだろうか。一瞬だけと願ったのに確かに僕は欲を持った。そして名前を呼ばれる。振り返れば手を差し出してくれる櫂の姿。後ろでレンは手を振り呼んでいる。
愛を知る……そう名付けられた儚く脆く愛おしい存在は知った。伸ばされた手を取れば櫂は嬉しそうに言うのだ。


『うん、うん…!ぼくも、ぼくもだよ……!もう一度、叶うならぼくは逢いたいよ、言いたいよ、またみんなで笑いあいたい……!!』


ぴくりと耳が動いた。ゆらりとしっぽが動いた。そしてアイチは旅をした。時と言う名の深い深い水の中、自分の足でゆっくりと歩いた。自分の足で出口を見付け、また過酷で苦痛の場所に帰った。アイチにも記憶はなかった。また気味が悪いと殴られ蹴られ罵られ。
それでも櫂くんは見付けてくれた。手を差し出してくれた。変わらない愛で。








「愛と……奇跡……」


レンはぽつりと呟くとほくそ笑んだ。櫂を見て立ちすくむアイチにため息をつくと背中を押した。
わたわたとしながら振り向いたアイチに櫂の方を指差した。


「ほら、早く行って下さい。櫂、僕は諦めたわけでもなければ櫂に譲るわけでもありません。だけど今日だけは特別です。あっ、そうそうアイチくん」


アイチに近寄りするりと頬を撫でると頭にクエスチョンマークをつけたアイチに顔を近付けた。ちゅっ、というリップ音と共にレンは頬にキスをした。耳としっぽを逆立てて顔を真っ赤にする。櫂は思わず固まった。


「これくらいはさせて下さいよ?」


パチリとウインクをする。櫂は舌打ちをすると、今だ混乱状態のアイチの腕を引っ張った。


「行くぞ!!!」
「あ、あぅ、レ、レンさんまたこん―――」


アイチが言い切る前に部屋から出ていってしまった。降っていた手を降ろすと床に落ちていたユリを広いくるくると弄り始める。水に濡れてしまいしなしなになったがただ見つめていた。
また、何をする訳でもなく椅子に座るとユリを机に置いた。


「全く……アイチくんには敵いませんね」


にこりと笑えば、ぽたりとレンのズボンに頬を伝わり零れた涙が染みた。レンの瞳には、PSYクオリアはもう映っていなかった。


「気分転換にアーちゃんに何か作ってもらいますかね」


そう言うと部屋を出た。
奇跡とは時に残酷で、そして全てを光に変える。見付けた光は紛れも無い愛だったと知るのだ。










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