【Today is 8/28】



ふわふわのスポンジの上に乗った雪のように真っ白なホワイトクリームに、真っ赤に熟れた赤い苺。そしてその上には特別な日にしか乗らない、チョコレートプレートに書かれた自分の名前。部屋の明かりを消せば自分だけのケーキに灯る蝋燭。

俺は……そんなケーキを知らない。覚えていない。むしろそんなものは不必要だ。考えただけで頭が痛くなる。
そんな中、頭を過ぎったのは嬉しそうに笑うあの笑顔。きっとそんな笑顔が手に入るなら………俺はそれが欲しい。


















「えっ、櫂くん学校休んだの!?」



一際大きいアイチの声がカードキャピタルに響いた。そんなアイチにカードキャピタルにいたミサキやカムイ、井崎に森川は目を見開き驚く。



「なんかよ、夏風邪らしいんだよ。馬鹿だよなこんな時期に風邪引くなんてよー」
「櫂くん…が…風邪…」
「あの櫂が風邪って…明日は雪でも降るんじゃ…!」



今日もいつも通りに櫂に会えるかと思っていたアイチにはかなりショックが大きかったらしい。ましてか今日は櫂の……。
持っていたラッピング袋をぎゅっと握りしめてアイチはしゅんと俯いた。そんな様子に三和は何かを思ったのか口元を吊り上げた。



「アイチ、はいこれ」
「……?プリント?」
「アイツ休んだからよ。アイチ、櫂の家に届けに行ってくれ」
「い、いいの?」
「ああ。せっかく…今日なんだからよ」



そう言うと、三和はニヤリと笑いアイチを見た。傷ついた手に持った袋を握り締め、これ以上ないくらいの笑顔を三和に見せれば場は一瞬で綻びまるでお花畑状態になった。
そうしてパタパタとカードキャピタルを出たアイチを見ながら思わず三和はため息をつく。



「櫂…今日は特別だからな…。ったく、あんな笑顔を櫂だけにむける櫂が羨ましいぜ」



*****



制服のシワを直して、汚れを落として、髪をセットし直して、こほんと咳をしたアイチは櫂の家のマンションに立っていた。震える手でインターホンに手を伸ばす。

ピンポーン……

どきどき。どきどき。どきどき。どきどき。どきどき。
だが高鳴る胸の期待とは裏腹に中々出てこない。おかしいな、とばかりに首を捻ってみる。心配になりガチャリと玄関のドアに触れれば意図も簡単に開いてしまった。



*****



風邪などを引いたのは何年振りだろうか。まだ両親が生きていた頃は風邪など良く引いていたものだ。しかし引っ越してからは怪我や病気にならないよう、なっても悟られないように市販の薬を買って治していた気がする。
咳をすれば腹が痛いし、喉に物を通せば喉が痛い。何もしていなくても怠く、酷く頭が痛い。身体は熱いし、汗をかいて気持ち悪い。
病院などとても行く気になどなれない。せめて何か、冷たいものが欲しい……。

そう櫂が思った矢先、額に何か、ヒヤリとした冷たいものが乗った。思い瞼を開き、虚ろな目で見ればぼんやりと誰かの陰。額に乗っているのは冷やされたタオルだと気付く。



「…ア、イチ……?」
「あっ、櫂くん、大丈夫?すごく辛そう……。駄目だよ、熱があるのに毛布なんて被っちゃあ…!」



まるで小さい子に言い聞かせるような口調でアイチは言った。それから丁寧に櫂の頬に伝わる汗を拭いていく。
何だこれは?何故アイチが俺の家にいる……?ああ………そうか、これは夢か。アイチに看病される夢を見るなど俺もどうかしている。



「櫂くん、何か飲む?ポカリでもいいかな?」



そう言って、スーパーの袋に手をつっこみガサゴソと中を探る。そんなアイチに櫂は手を伸ばし、頬に触れた。



「ひぅ!?か、櫂く「……あったかいな……」



ぼそりと弱々しく呟いた言葉は最後は殆ど聞こえないほど小さく、消えてしまった。一瞬、目を見開き驚いたアイチだったが、ゆっくりと冷たい櫂の手に触れた。



「櫂くんは…冷たいね…。ほっぺは真っ赤なのに……」
「……なぁ…アイチ…」



掠れた声でアイチの名を呼んだ。そうすればアイチはきょとんとする。
これが夢なら、我が儘を言ってもいいのだろうか。いつもアイチに言えず、ぶっきらぼうに無愛想な態度を取ってしまい中々言えない言葉や、縋り付きたいという感情を。こんな特別な日に見れるアイチの夢など滅多にないのだ、そうだ……。ならば……言ってしまおう。



「お、れは……今日…誕生日なんだ…」
「…うん、知ってるよ」
「誰かに祝って貰いたいとか、プレゼントが欲しいとか……そうゆう訳じゃない…ただ……」
「……うん、うん…。僕も…よくわかるよ……」



櫂の言葉は途切れてしまった。だがアイチは続ける。特別な日、はこの世で最も期待をしてはいけない日だとアイチもよくわかっていた。誰にも知られることのなく、母や妹だけは心から自分を迎え包んでくれる。だけど……ひっそりと消えてしまう自分が何よりも怖かった。



「一人は寂しいよ、ね、生まれて…その意味を知りながら毎日を生きて………真っ暗な世界にたった一人残されて…。だけど僕には櫂くんがあの時、希望をくれた。だから今がある……欲を言えば……僕は……」



途中で眠ってしまったのだろう。整った顔にはやはり汗が垂れる。アイチはゆっくり立ち上がるとパタパタとキッチンに向かった。

同じ家にいる叔父の子供の誕生日会はよく見た。聞いた。その度に聞こえるのは拍手と歓声と『お誕生日おめでとう』の言葉。そして自分だけのケーキに口の周りを真っ白くして意気揚々と食べていく。
叔父達には自分の誕生日は伝えず、いつも流した。気を遣い何か買うと言っても“今日は誕生日ではないので”と嘘を言って断った。
だから今日が特別な日の俺には勿体ないくらいの夢をみる特権が与えられたのかもしれない。アイチが笑ってずっと側にいてくれる……ましてや看病など…とても幸せな夢だ……。



****



ズキリと痛む頭を抑えながら櫂はゆっくりとベッドから起き上がった。だいぶ身体が楽になった。額に手を当てれば殆ど熱は下がったようだった。と、その拍子にタオルケットの上に畳まれたタオルがぽろりと落ちる。



「……贅沢な…夢だったな。もう6時か…。……アイチ…」
「う、ん…むにゃ…」
「………?」



名前を呼んだ途端に寝言のような声。ふと視線をズラせばベッドに頭を乗せ、伏せて寝ているアイチが……。



「#●※■△□◆!?」



もはや言葉になってない言葉を上げた。口をパクパクと金魚のように動かし、痛む頭でぐるぐると回想をし始める。
そうして辿り着いたのは、夢ではなく現実でアイチも実際にいると言うこと。



「んっ……!ふわぁーあ……あれ、寝ちゃってた!?」
「…アイチ」
「櫂くん!うん、さっきより顔色は良いね、起き上がっても大丈夫なの?」
「あ、ああ…。じゃなくて、何でお前此処にいる!?」
「えっ」



驚いた口調でアイチに言えば、ぱちくりと目を開きアイチは口をポカーンと開ける。



「えっ…と…。櫂くんが…学校休んだって聞いて…それでお見舞いに来て…寝ちゃってて…うんと…。あっ、梨剥いたんだよ?」
「お前、不法侵入だぞ…。まぁいい、とにかく帰れ」
「!? な、梨嫌いだった…?」
「そうゆう意味じゃない。とにかく帰れ。……邪魔だ」



ぶっきらぼうに言えば、アイチは俯いてしまった。梨はころりと床に落ちてしまう。だがそんなアイチを見ようとはせず、ただそっぽを向く。



「わかったら帰――」
「わかんないよ……。わかんないよ…!!」
「アイチ…?」
「何でそんな事言うの!今日は…特別な日なんだよ…何で祝っちゃだめなの?僕じゃだめなの?櫂くんが辛そうにしてるのを僕はほっとけないよ!今日は櫂くんの誕生日なんだよ!わかん、ないよ……櫂くん…僕は…寂しい、よ……」



持っていた皿にぽたぽたと目から零れ落ちる涙が重なる。首をよこに振って否定をした。ただアイチは櫂にありがとう、とおめでとう、を言いたかった。少しでも側にいたいと思うのは自分ねエゴなのかもしれない。それでも……祝いたい。



「僕は櫂くんの側にいたい、ずっといたいよ……!!」
「アイ――ッ、」
「わッ!?」



俺が見たかったのはこんな顔じゃない。悲しそうな表情なんかじゃない。俺だけにみせるあの笑った表情が見たかった………上手く伝えられない、上手く表せれない。こんなにも、好きなのに―――。
アイチの腕を無理矢理引っ張り、櫂はベッドの上で強く抱きしめた。自分の冷たい手に、アイチの温かい身体がぴったりだと感じる。



「櫂く、」
「好きだ、アイチが好きだ。愛してる」
「ほん、と……?」
「ああ、本当だ。ずっと側にいて欲しい……。あんな言い方して悪かった、風邪を…移したくなかったんだ……」
「ば、か…」



櫂くんのばか、と小さな声で何度も言った。その度に櫂はすまない、と謝る。櫂の手は冷たいのに身体が熱く、矛盾を感じた。櫂の身体からゆっくり離れれば、アイチはこれ以上ないくらいの屈託な笑顔で、



「櫂くん、お誕生日おめでとう!そして……生まれてきてくれて…ありがとう…!」























「か、櫂くぅん……ちゃんと、た、食べてね…!!」
「お前がこっちを向けばな」
「ッ――!!こ、こんな…恥ずかしい格好…や、やだッわ!?」



中々前を向こうとしないアイチに首から繋がった紐を引っ張り無理矢理前を向かせた。そうすれば風邪を引いているかのように頬を真っ赤にし、震える手でフォークとケーキを持つ。
頭にはレースのついたヘッドドレスをつけ、フリルがたっぷりとあしらわれた丈の短いスカートから白い健康的な足を出し、首には首輪をして、櫂に馬乗り状態のアイチが目の前にいる。



「おっ、おかしいよこんなの!!ケーキを食べさせるだけじゃあ…!」
「何でもする、と言っただろう?」
「そうだけど、何でこんな…!!!」
「ほら、早くしろ」



じれったそうに、また首輪を引っ張ればわたわたとアイチは動く。恐々とフォークを櫂の口元に持っていけば、ぱくり、と櫂は食べた。



「お、美味しい?」
「…甘いな…」
「そりゃあ、ケーキだもん!……って、何で櫂くん僕の服を脱がそうとするの?」
「とりあえず腹が空いたからな。味見だ」
「な、な……!!!い、意味わかんないよ!ひっ、や、やめ…〜〜〜!!櫂くんのばかぁああぁああ!!!!」



****


‐後日‐



「おっ、櫂、風邪は治ったのか?」
「おかげ様でな」
「顔色いいな、なんかツヤツヤしてるし……」
「まぁな。美味かったからな」
「へぇ、そりゃ良か…」



と、そう言いかける。そしてやけに機嫌がいい櫂を見て頭を痛くした。嫌な予感が脳を過ぎった。



「……ケーキが?」
「ケーキも」
「アイチは?」
「……家だ」
「………誰の?」
「俺の」
「つまり……アイチは学校休み、と?」
「本当は俺も休む予定だったがな。怒られたんで来た」
「………櫂」
「なんだ?」
「ハッピーバースデー。おめっとさん」



そう言って三和は前を向き、何事も無かったかのように空を見上げた。一瞬、アイチの助けを求める声が聞こえたような気がしたが、心を無にして瞑想し始めた三和だった。




戻る