「櫂くんも天体観測するの?」
「は…?」
「僕ね昔はよく妹と一緒に外に出て天体観測をしたんだよ。星群をよく見てたんだ。すごく綺麗でね、今度櫂くんも、」
「悪いが俺はもう行く」

アイチの言葉を遮ると櫂は背をむけて歩き出した。その時のアイチの表情を見ることはなく櫂も同時に何を考えていたかもわからない。言い方に迷うが久しぶりに逢ったアイチの髪からは家に置いてあるシャンプーとは全く違う匂いがした。きっと買ったのだろう、だが嫌いな香ではない。と言うかもう一つの段ボールに入っていたのは天体観測で使う望遠鏡なのかもしれない。妹と一緒によく見ていた、という部分からすれば少なからず思い出深いものだ。

「っ、櫂くん!お、お家に…たまには…その……帰って来て…ね…!!」

叫ぶように言われた言葉は俺がもうあの家に帰らないと見透かされているみたいだった。その言葉はアイチが思った言葉だったのか、それとも意味もなく言った言葉だったのかわからないが今の俺の耳には届いていなかった。
結局21時までふらふらと歩いていたため三和から電話が掛かり、外に出れば少々呆れた様子で立っていた。「言いたいことがあるなら早く言え」と言えば三和は苦笑いをし「明日は家に帰れよ」と言う。きっとアイチを見たに違いない、お節介な三和のことだあまりにもアイチに対して情がない俺に呆れたんだろう。日が明けるとその日は雨だった。そういえば家には傘など無かった気がする。誰も使わないから買っていなかった。だがアイチなら買っているに違いない、無かったら雨に濡れてでも学校に来そうだ。

「かーい、おい櫂ってば、聞いてんのか人の話」
「……聞いていなかった」

やれやれ、とでも言いたそうに深いため息をつくと三和はまた話始めた。だがどうにも話が耳に入ってこない。と言うか何で俺はさっきからどうでもいいことばかり考えているんだ?昨日アイチに逢ったせいかそればかりだ。雨は一段と強くなり止む気配がない。三和の傘を(勝手に)借りてきて正解だったかもしれない。
そう思った矢先だった。軽快なメロディと共に放送がかかる。しかも俺を呼んでいた。今すぐ保健室に来いと言う。何したんだ?と三和に聞かれたがこっちが聞きたいくらいだ。しかも何で保健室……。

「失礼します、」
「ああ良かった、ちゃんと来てくれた。ごめんね授業もう始まっちゃうよね?」

わかっているなら早いところ帰してくれ。無表情のまま突っ立っていると“生徒記録用紙”と書かれた日誌のようなものを開き申し訳なさそうに言った。「櫂さんのお家何度連絡しても繋がらなくて……いきなりで失礼だけど櫂さんのお父さん結婚したんでしょう?先導くんのお母さんと。先導くん、こんな雨の中傘も差さずに学校来たみたいで………」と、聞くところによるとアイチは濡れたままで朝からこの昼の時間まで乾かさずにいたと言う。そのせいか熱を出してしまい倒れたみたいだ。
思わず俺はため息をついた。予想していたことが当たるなんて。いやまぁ熱が出て倒れるんてそこまで予想はしていなかったが。

「それと先導くん栄養失調よ。バランスのとれた食事してないんじゃない?元から細いのになんだかもっと窶れているわ」

それはおかしい。父親も母親もいるはずのあの家で暮らしているのにも関わらず栄養失調だと言うのはどうゆうことだ。……いや、家に電話をしても誰もいなかった?それはどうゆう事だろうか。つまり家には誰もいない……?
思わず立ち上がりアイチが寝ているであろうベッドのカーテンを開けた。発熱なのだろうか、熱の温度は高く苦しそうだ。目の下にはクマがあり確かにアイチはげっそりとやつれている…。保健医に今、親はどちらも旅行に出掛けていていないと伝えるとタクシーを呼んでくれた。こんな状態のアイチを一人に出来るはずもなく俺まで早退をさせられた。タクシーから降り、アイチを抱えればそれは軽かった。たった四日でこんなに軽くなるとは思えない、きっと越してくる前から痩せ細っていたのだろう。ばしゃり、と玄関の前にあった水溜りに足が入りズボンの裾が濡れた。鍵は掛かっており誰もいないみたいだ。仕方なく鞄から鍵を取り出し二階にあるアイチの部屋に行った。だが俺は唖然としてしまった。
アイチの部屋には望遠鏡と本が何冊か、そして毛布一枚しかなかったからだ。夜寝るためのベッドや布団がないのだ。冷たいフローリングにぽつんと毛布が置いてあり、11月と言う寒い時期にも関わらずストーブすらないのだ。これではさすがに寝かせれないと思い、俺の部屋に移動させた。ついこの間までは使っていた部屋だから必要最低限の家具はある。それに二階で一番広い部屋なため、テレビだって置いてある。今だ熱にうなされて眠るアイチを見て氷くらいはあるだろうと一階に降りた。

「……なんだこれ…」

アイチのことだ、一階があの父親達の部屋だと言うことだから一階で寝ていることはないと思っていたがソファすらない。ましてやテレビすら置いてないじゃないか。キッチンにはインスタント食品やコンビニ弁当。だが、どれも食べ切れず捨ててある。薄暗い部屋。何もない部屋。虚無の部屋。そうしてふと目に入ったのは一枚の手紙。俺に宛ててあった。中を開き読めば相変わらず身勝手な父親はアイチの母親と出て行ったらしい。そのうち帰ると書いてはいるが父親の“そのうち”など十年も後の話かもしれない。また俺は見捨てられたのか…違う、見捨てられたのはアイチだ。最愛であるはずの母親をあんな父親に取られ肉親を失った。そんな中アイチは笑っていたのか……。俺が素っ気ない素振りをしてもアイチは笑っていた。今にして思えば、店であった時のアイチの言葉が深く突き刺さった。
“たまには帰って来てね”
それは一体どんな顔で言ったのだろう?笑っていた?……知るはずがないだろう。俺はアイチを見ていなかったのだから。見ようともせず、それこそ自分のエゴで関わろうともしなかった。俺は結果、父親と同じようなことをアイチにしていたんだ。

「アイチ、頭を上げろ。水枕だ」
「っん……?か、いくん?あれ……ぼく、は…?」

虚ろな目で聞くアイチに熱を出して倒れたことを説明した。説明し終わると眉を潜めてアイチはか細い声で何度も謝ってきた。聞きたい言葉はそんなものじゃない。むしろ何も言わないで欲しかった。悪いのは俺だ、そう素直に言えたらどんなに良かっただろう。自分に腹が立つ。いつの間にか雨は少々止んでおり、つけたテレビの天気予報ではこれから晴れて冬の星空が沢山見えるでしょう、と言っていた。

「お前、この四日間インスタント食品ばかり食べていただろう」
「あ…うん…。料理とか出来なくて…練習ちゃんとしとけば良かったね、あはは…」
「コンビニ弁当なんかバランスが摂れていないんだからやめろ。ましてや半分も残していただろうに」
「お腹すぐいっぱいになっちゃうから……」

掠れた声で笑いながらアイチは言う。なんで笑っていられるのかわからなくなり苛々は募るばかりだ。さすがにこのままだと衰弱してもっと痩せてしまいそうなアイチを見て、何かを作ろうと決めた。だが冷蔵庫には何かあるはずもなくがらんとしたまま。生の野菜を与えて今すぐ食え、てでも言いたい気分だ。

「あっ…そういえばまだ手紙だしてない……」
「手紙?」
「月始めと、中旬、あとは下旬にいつも妹に手紙書いてたの……。写真…入れたくて……」
「何か撮るのか、」
「妹の好きな星空の写真…妹ととはもう四年もあってないけど……手紙だけはずっとやり取りしてるんだ」

そうか、と言葉を返すととりあえずスーパーにでも行って食材を買いに行ってくるとアイチに言い残して家を後にした。外に出れば確かに雨は降っていなかったが、狐の嫁入りになりそうだ、と空を見て感じた。それはそうとスーパーに来たものの、アイチの好みがわからないと野菜売り場で立ち止まった。ベタにお粥がいいとは思ったが野菜も必要だ。風邪を引いているときに好き嫌いなど関係ない気がしてきたのでとりあえず適当に野菜をカゴに置き、氷などもドサドサと買い、家に向かった。

「やはりな…」

今日は無駄に予想が当たる、とうなだれた。雨が降っていたからだ。天気予報は必ずしもあたるはずじゃない。傘を買うのすら段々とめんどくさくなり走って家に帰った。いつもとは変わらない静かな部屋のはずがアイチがいる、という特別な環境な気がして不思議な感覚だった。氷が溶ける前にとりあえずアイチの水枕に氷を入れようと部屋に入る。テレビはつけっぱなしだがアイチは寝ているのだろう、そう思い近付いた瞬間だった。ベッドは抜け殻だった。――――アイチがいなかったのだ。

「ッ!?」

アイチの部屋を見ても、一階を見ても、風呂場にだってトイレにだっていない。まさかと思った時には遅かった。アイチの部屋からは望遠鏡とカメラが消えていた。“これから晴れて冬の星空が沢山見えるでしょう”それは天気予報のアナウンサーが言っていた言葉だった。なんて馬鹿なヤツだ、と舌打ちをすると家の鍵を掛けず雨の中走った。アイチが行きそうな場所など知るはずもなくただ走った。スーパーには30分ほどしかいなかったからあまり遠くには行ってないはずだ、とひたすら走る。そもそも雨の中で天体観測などおかしいだろうが。星など見えるはずもなく分厚い雲しかない。ただひたすら名前を呼び、ただひたすら走る。

「アイチ!!!」

掠れて渇いた声は果して聞こえたのかわからない。靴の中には水が入り靴下はぐしょぐしょで気持ち悪い。肌にへばり付く髪も服も気にする暇がなかった。ただ目の前にいる脆くて弱い存在に触れ、抱きしめた。次第に雨は止んで行き河川敷に倒れた望遠鏡とカメラに雨粒が当たることはなくなった。

「馬鹿かお前は!!何を考えているんだ…!!!」
「…また、迷惑…かけちゃったね……ごめんなさい…」
「分かっているならやめろ!!これ以上俺の心を掻き乱すな!……頼むから…」

初めて触れた“それ”は温かくて弱々しかった。カタカタと震え指先はそっと空を差した。つられるように見上げると思わず息を呑んだ。「綺麗だね」とアイチは力無い声で言う。満天の星空の下に櫂とアイチはいた。沢山の星々が、先程の雨を嘘だと言うかのように輝いていたのだ。

「……写真撮って、櫂くんと妹のエミに見せたかったの…。でもやっぱり生で見るのが一番…。僕と櫂くん天球にいるみたいだね。…知ってる櫂くん、星座も昔はアステリズムだったんだよ」
「アステリズム…?」
「星群………複数の明るい恒星が天球上に形作るパターンで、星を線で結んで表現されること。だから僕はこうやって現実で星空が見られる時でも、いつもアステリズム、って言ってるんだ」

綺麗だな、と櫂は口にした。櫂の横顔を見たアイチは嬉しそうに笑い、ぽたりと涙を零した。しばらく二人はそのまま動けず、アイチが寒そうにくしゃみをすると櫂は立ち上がり望遠鏡を持つとカメラはアイチに持たせアイチをおぶさった。じたばたと暴れ遠慮するアイチだったが風邪が悪化し立つこともままならないので、櫂にお世話になることにした。

「……櫂くん、櫂くんはやっぱり優しいね」
「優しくなどない」
「優しくなかかったら僕なんかに構わないよ?普通は。それに………」

躊躇うかのようにアイチは言葉を繋げようとはしなかった。まだ空では星からきらきらと光り続けており瞬きさえ許されない気がした。焦れったくなり櫂が「なんだ」と聞く。ぱしゃり、と背中でシャッター音がし何が面白いのか笑みを零した。

「……次は晴れているときに行くぞ」
「…!! うんっ!」

櫂とアイチの義兄弟な同居生活はまだ始まったばかりなのだ。そして櫂とアイチは風邪で四日休んだのは言うまでもなかった。


アステリズムの瞬き
12.1209.


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