小さな寝息を立て、ベッドで寝ていたアイチの耳がピン!と立ち上がった。ぴくぴくと動かし重たそうにゆっくりと身体を起きあがせた。そして眠い目を無理矢理こじ開けておぼつかない足取りで寝室から出る。
「櫂くん……ぉはよぅ…」
「ああ、ってまだ眠たそうだな。今日は休みだからゆっくり寝てろ」
「ううん、大丈夫…。起きるー…」
だらし無くしっぽは垂れ下がりふらふらとしながら椅子に座った。パジャマ代わりのワイシャツはずるりと肩から落ちてしまいぶかぶかな状態。毎朝毎朝これだから櫂はたまったものじゃない。
フライパンからいい色に焼き揚がったベーコンを皿の上に置き今だ眠たそうに目を擦るアイチの前に置いた。起こしに行かなくてもアイチは毎朝必ずこの音で起きてくるのだ。お腹が空いているのだろうか。
「いただきます」
律儀に手を合わせてしっぽをパタパタと振る。それを見るとどうしてもしっぽを掴んでみたくなるのだ。アイチと一緒に朝食をとる、これが櫂にとって日常の当たり前になっていた。
「櫂くん、今日どこか行くの?」
「いやまだ決めてないが…。行きたい所でもあるか?」
「んー、櫂くんが連れてってくれる所ならどこでも好きだから…」
と、にこりとアイチのは満開の笑顔を櫂に向ける。危うく手が滑りコーヒーカップを落としそうだった。
「?」
「な、ならたまにはカードショップ以外の場所にでも行ってみるか」
「うん!わかった!」
「…それを食べたら着替えて来い」
自分の理性が保てなくなる前に、と密かに心の中で呟いた。やはりパジャマを買った方がいいらしい。
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ぐしゃり、とアサカがついさっき持ってきたユリの花を握り潰す。正直レンは焦っていた。
あの時確かに感じた気が、今は微かにしかわからなくなっていた。今度こそ自分は手に入れなければいけない、証明したいのだ、確かめたいのだ。確かにあの時自分を必要とし認めてくれたあの存在をどうしても手に入れたい。
だが、櫂までもがまだこの町にいたということは既に手遅れだったのかもしれない。諦めないとばかりに下唇を噛みレンは外に出た。
「僕の…僕のアイチ…」
4年前の記憶を辿りながら歩くのだ。自分を照らしてくれた光をもう一度―――。
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「か、櫂くん……これ…」
「不満か?」
「いやそうゆう訳じゃにゃいんだけど…えっとね、」
とあるお店にて。アイチの服が一着しか無いことに不便を感じ買い物に来ていた。しっぽは収納可能だということで何処にでも行けるようになりアイチは「もっと早く言えば良かったね」と照れながら嬉しそうに櫂を見て言う。
「でもこれ…僕が着るにはおかしいと思うんだけど、僕、男の子だよ?これ…」
「大丈夫だ。似合ってる」
「櫂くんー!!!」
ぐっと親指を立てアイチにサインをする。どこかキリッとした表現で勇ましく。気を入れすぎたのか耳としっぽが逆立ってしまった。が、アイチの格好は簡単に言えば“メイド”だったのであまり違和感が無かった。
「ま、真面目に…!」
「出来心だ、悪い悪い…」
多分、本当に冗談だったのだろうアイチの反応が面白く櫂は思わず笑った。アイチはムッと唇を尖らせたがアイチも吊られて笑ってしまった。
「あ、じゃあ次は櫂くんが着てみ」
「断れる」
「ふにゃあ!?」
****
―――ザァアアァア…
「雨…降ってきたね…」
「そうだな」
買い物も全て終わり家に帰ろうとした途端、雨が降ってきた。いつもの櫂なら気にもせず走って帰っていたが今は違う。アイチがいるのだ、こんな雨の中傘も差さずに帰れるはずが無かった。
「……櫂くん、僕…櫂くんに会えて本当に良かった。こんなに広い世界で櫂くんが僕を見付けてくれた、気付いてくれた。なんかね不思議なんだ、僕櫂くんと一緒にいるととても懐かしく感じちゃうんだ。櫂くんと初めて会った気がしないんだ……」
その言葉は雨の音よりもハッキリと鮮明に聞こえ櫂の耳に何度も響いた。それは櫂もずっと感じていたことだ。いつも不思議だった。アイチという存在は櫂の生きている中で大きな存在になっていた、櫂は記憶を辿る。レンがこの町に現れ、アイチが雨の中にいて、
何故4年前の記憶が曖昧なのか。
そう、答えはたった一つだった。全て知るのは4年前にいた人物なのだ。櫂がアイチに出会ったのもアイチが櫂に出会ったのも偶然なんかでは無く
そうなる様になっていたのだ。あの時レンが言った言葉……。つまりそれは―――。
「そうゆう、事なのか…」
何故自分は忘れていたのだろうか、いや忘れてしまったのだろうか。目の前にある存在を何故守れなかったのだろうか。
全てのカケラが集まった、櫂は思い出したのだ。雨の音で何も聞こえない。静寂を破るように櫂は口を開いた。
「アイチ、お前は………アイチ…?」
振り返る。今さっきまでアイチは隣にいたはずだ。なのに見当たらない、一体何処へ…?
「ユリの…花……?」
グシャグシャに握り潰されたユリの花が地面に落ちていた。雨の音がうるさい。櫂は目を見開き手に力を入れた。早く気付いていれば良かったのだ。
「お前は、4年前を繰り返すのか…!」
****
「ッんー!!!」
目と口を塞がれ、状況が掴めないアイチは塞がれた口に当てられた手を外そうと叩いた。途端にクスリと笑う声が聞こえる。
「あんまり騒いでると…君が化け物だとバレちゃいますよ?おとなしくして下さい」
「!?」
「迎えに来ましたよ、アイチくん」
何度も何度も僕は祈った。いつか僕を見付けてくれるヒトが来てくれると、認めてくれると、手を差し延べてくれるのだと。祈り続けていたら本当にアナタは来てくれた。赤い髪をしたルビーの瞳で僕を見て雨の中優しく微笑んで手を差し延べてくれた―――。
「レンさん……?」
あの雨の中、僕を見付けてくれたのは紛れも無いレンさんなんだ…。