それは突然だった。父親がいきなり「父さん結婚するんだ」と気持ちの悪いほどにやにやと笑みを浮かべながら言ってきたのだ。あまりにも唐突で表情には出なかったものの、「何言っているんだ」と心の奥底で言っていた。前から父親が見知らぬ女と付き合っていたのは知っていたがまさか結婚まで話が持っていくとは思っていなかったのだ。母親は俺が中学一年の頃に他界した。元々身体が弱く、末期のがんだった。結果男手一つで三年父親は俺を育ててくれた。いや育ててくれた、なんてありがたい言葉は間違っているな。何しろほとんど家には帰って来なかったから。金だけを置いていってフラフラと遊んで、帰ってくるのは年に三回ほど。顔を見せる程度だ。母親が他界した途端にあまりにもいたわりのない父親の行動に俺は苛立った。だから結果的には父親が誰と結婚しようが関係ない。むしろこれを気に、この家から出ていけると考えるとそれは好都合だった。

「…それは良かったな。なら、俺はそれを気にこの家から出ていく」
「ああ、それなら大丈夫だ」
「……は?」

一体何が大丈夫なのかさっぱりわからない。ますます苛立ちは増していく。さっさと話て貰いたいんだこっちは。それに気付いたのか知らないが父親が言うには、結婚する相手の女性にも子供がおりせっかくなので俺も一緒に家族四人として暮らしたいと言ったらしい。良い迷惑だ……。ましてや連れ子がいて一緒に暮らすなどめんどくさい。会話などしなければいい話だが、そいつは俺よりも一つ年上……しかも同じ学校だと言うのだ。よりにもよってなんでそんな奴と結婚をするんだと俺は父親を恨む。
そしていつの間にか話は進み、その母子が越してくるのは明日という。突拍子すぎる。どうせならば暫くは三和の家にでも泊まろうかと考えた。いやそうしよう。挨拶だけして終わりだ。むしろそれ以外に何を望む?否、何もいらないだろうが。

「へぇー、お前ん家も大変だな。で?顔みたのか、キョーダイの」
「知らん。興味ない」
「俺は興味あるなー、櫂の兄ちゃん。この学校の生徒なんだろ?ぷぷっ」

俺とは逆に面白いことには首を突っ込む三和は意気揚々としていた。三和の相手をするのがめんどうだったので無視をした。そうして昼。昼は主に購買だ。余り物のあんパンなどは絶対に嫌だから三和を使って買いに行かせる。缶コーヒーを買いに行こうと自販機に行ったら先客がいた。紙袋を持っており、購買での戦利品と見受ける。青い髪を少々短く切り俺よりも頭一つ分は小さい身体で、飲み物を先程からずっと選んでいた。見る限り、苺牛乳かオレンジジュースのパックで悩んでいるようで甘ったるさに早くコーヒーが飲みたくなる。しかし一向に決まる気配がないので、一つ隣の自販機にある目当てじゃないカフェオレを買うことにした。ら、アタリが出てしまった。パックではないものの、オレンジジュースの缶に決めると今だうだうだ悩んでいる奴に差し出した。「え…?」と声を漏らし、群青色の大きな瞳をぱちぱちとしながら俺を見上げるソイツは俺とオレンジジュースを交互に見た。

「当たったからやる。悩んでたみたいだしな」
「え、と…いいんですか…?」
「オレンジジュースは好きじゃない」
「あ…ありがとうございます…!!ちょうど今オレンジジュースか苺みるくで悩んでたので、これで苺みるく買えます!あっじゃあお礼に……」

結局また飲み物を買うらしい。しかも苺牛乳とか見た目でアウトだ。甘いの他に表す言葉などないだろうアレは。などと思っていたらずいっとあんパンを差し出してきた。中にたっぷりあんこの入ったそれを差し出してきたのだ。聞けばあと三個もあんパンが入っているじゃないか。戦利品があんパンとはもはや戦利品じゃない。俺が中々受け取ろうとしないので、首をこてんと傾げるとソイツは瞬きをぱちぱちと繰り返してきて覗き込むように俺を見てきた。

「あ…あんパン嫌い…でした…?」
「あ、あぁ…」
「で、でもこの学校のあんパンはすごく美味しいんですよ!あんことパンの比率が絶妙で……牛乳にすごく合うんです!みんな、あんパンは残りモノとか言うけど僕にとっては戦利品なんですよ?おひとつ、いかがですか?」

そして最後の最後に爆弾を落としてきた。屈託のない笑顔で笑いそれは辺りが花畑にみえるほどだった。相手はズボンも履いており男だとよくわかるが、中性的な顔立ちに童顔という女みたいな面をしているためかそう思ったのかもしれない。そうして俺は今、何故かあんパンを口に含んでいた。口の中ではあんこが踊る。食べても食べてもあんこしか入っておらず、比率がどうたらこうたらと語っていたアイツの味覚はおかしいと俺は思う。

「めっずらしー!櫂があんパン食ってらぁ!!しかもあんパンとか売れ残りチームのよ!」
「うるふぁい」
「戦利品のチリトマトベーコンレタスバーガー食っていい?」
「焼き殺す」
「えーー。あんパンあるからいいじゃんかよ。てか誰に貰ったんだそれ」
「……戦利品だ」
「はぁ?意味わかんねぇー」

***

家に帰れば引っ越し業者が家の前で荷物を運んでいた。二階は子供達、と言い残し一階は父親とその女が占領するらしい。もっと遅く帰ってくれば良かったと後悔しつつ家にあがれば案の定、女物の靴ともう一つ学生の靴があった。盛り上がっているのか、話し声がするリビングに向かうと三人いた。父親とその相手の女、そして連れ子。連れ子の髪は昼に逢った不思議な奴と同じ色をしており頭に生えたアホ毛がますます思い出させる。と、父親が俺に気付いたのか指を差すと手招きをし始めた。変な動作に歩き始めた足だったが、それは一瞬でピタリと止まった。何故ならば振り返ったからだ。海を思い浮かばせる青い髪を揺らし大きな目はこちらに向けてぱちぱちと瞬きをする。デジャヴュな光景だ。

「あ、あれっ…?昼間の……」
「……」
「なぁに、アイチ。知り合いだったの?トシキくんと」

「アイチ」と母親に言われたソイツはしどろもどろになりながらゆっくりと頷いた。驚いたのか目を見開いたが、途端にふにゃりと力の抜けるような笑いをすると「お昼はありがとね」と言ってきた。
正直、俺は混乱していた。まさか新しい家族が…兄がこんな幼い成りをした奴だとは思わなかったからだ。年一つしか違わないとは言え、どう考えて見てみても年下にしか見えない。むしろ制服を着ていなければ女にもみえる。そんな奴が兄だと?信じられるか。そもそもだ、俺は別に関係ない。兄だと認識しなくてもいいじゃないか。ただの同居人と考えればいい。どうせ明日からは俺は家を空けるつもりだったし……。
関係ない、と思っていたら俺はいつの間にかこいつ…アイチの手伝いをしていた。小さい身体でせっせと荷物を二階へと運ぶ姿に誰も加勢しようとしないからだ。引っ越し業者も気の効かなさすぎる。段ボールくらい運んでやればいい。俺はただあまり目の前をうろちょろして欲しくなかっただけ。それ以上でそれ以下でもない。

「またお世話になっちゃったね、ごめんね櫂くん」
「ああ。全くだ。あまりうろちょろされると迷惑だ。…お前の方が年上なんだ好きに呼べばいいだろうが」
「…ううん、そしたら僕のエゴになっちゃうよ。呼びたいからそう呼ぶなんてだめ。それに……櫂くん僕のこと“兄”だなんてこれぽっちも思ってないでしょ?」

これぽっち、といってアイチは右手で親指と人差し指の間を少しばかりあけ表してきた。だが否定も肯定もしない。わかっているならする意味がないと思ったからだ。俺のそんな反応に少しばかり笑うと段ボールを空け始めた。段ボールは二つしか無かったものの、中身は凄く重たかった。中から出て来たのは本。それも幼児向けの絵本だった。色褪せて破れ、セロハンテープで補修してあり大事に扱っているみたいだ。

「…あまり荷物はないんだな」
「うん、僕あんまり物持ってないから……。思い出になるものとしたら本くらいだったからいっぱい持ってきちゃった」

その時笑ったアイチの笑顔は創っていた。懐かしい、と俺は感じた。幼い頃から母親と一緒には暮らせず遠い地方の病院で療養していた母親に中々逢えず、父親は仕事をしているのか遊んでいたのか知らないが中々家に帰らず、いつも家では一人でいつしか笑えなくなった俺に似ていた。久しぶりに母親にあったときは笑顔を創った。逢えて嬉しいはずが俺は笑えなかったからだ。そもそもやつれた母親を見て心から笑えるわけがなかった。結局母親の最後を見たのも俺と医者と看護師という父親不在の見送り。ああ思い出しただけで吐き気がする。

「そういえば櫂くんには兄弟とかいないの?」
「見たらわかるだろ」
「あ…そうだよね、ごめんね」

申し訳なさそうに謝るアイチを見て少しきつく言い過ぎたか、と反省の色を見せたが何せ表情には何も表れないので顔色は変わらない。少し間が空いて、櫂はいつアイチのこの何もない部屋から出ようかと考えたが何処か寂しそうにするアイチを見てしまい口が動いた。

「お前にはいるのか」
「ふぇ?」
「兄弟」
「あ、うん、いる…よ。妹なんだけど……それが僕よりもしっかりした子で、朝は毎日自分で起きるしはっきり言う子で面倒見が良くて、僕はよくお世話になってたんだ」

家族の話が好きなのか途端に明るくなる。聞けば妹は今中学二年生だと言う。だが“なっていた”という過去形と今いない状況を見ると妹とは別々で暮らしている。まだアイチの家庭事情はわからないが、離婚して妹が父親に着いて行った……と考えるのが妥当なのかもしれない。とにかく俺はそこまで首を突っ込む気はなく、立ち上がり部屋を出ることにした。
ら、アイチが服の裾を掴み、こてんと首を傾げて上目遣いで「もう行っちゃうの…?」と聞いてきた。なんだこいつは。犬か兎か。一体俺に何をしろと言うのだ。

「俺はもうお前に用はない」
「……うん、そうだね。荷物手伝ってくれてありがとう」


はっきり言って居心地が悪かった。先導アイチという人間の考えている意図が全くわからない。と言うか、よくもまぁ知らない人間と一緒に住もうと考えたものだ。コミュニケーションだとかそれは最低限でいいだろうに。とりあえず俺はアイチという人間にはあまり情を入れず、関わらないことを決めた。どんな理由が有ろうともそんなもの俺には関係が無かったから。

***

「なんだよ、またお前泊まりにくんのか」
「俺は別に外で寝ても構わない」
「じゃーなくーてー!!お前家に家族居るんだろ?連絡は一応してるみたいだけど全部留守電だろ?三日だぞこれで」
「もう少ししたら一人暮らしするから大丈夫だ」
「っあー…本当わかんねぇヤツだなお前……」

アイチが家に来て早四日。それから櫂が家に帰らなくて早三日。連絡は一応入れているが、電話しても父親も新しい母親も出ず留守電しか入れていない。無論、極力アイチを避ける櫂はアイチが帰る前の時間……学校が終わってすぐに電話をする。昔からの付き合いの三和は櫂の事情はよく分かっているためか泊まらせることに否定はしないが、素っ気なさすぎる態度にどうしたものかと困っていた。むしろ櫂の義兄になった人物が特に―――。

「たまにはちゃんと家に帰れよ。別に泊まりにくることに関しては全然オッケーだしな。そうだ、放課後ノート買いについて来てくれよ」
「たいして板書してないだろ」
「お前に言われたくねぇ…」

授業中は寝てるか外を見ているかのどちらかの櫂だ。それにも関わらず頭が良いんだからたまったものじゃない。三和は密かに櫂の義兄の影を探していた。
街で一番大きい店の二階フロアにある文具店に櫂と三和は来ていた。とは行っても三和をおいて櫂は何を見るわけでもなくぷらぷらと店内を見回しているが。文具店から少し離れた場所に天体観測などで使う望遠鏡があることに気が付きふらりと立ち寄ってみる。と、後ろから名前を呼ばれた。聞き慣れた声はアイチだった。

「か、櫂くん久しぶり…かな?奇遇だね」
「……ああ」
「同じ学校なのに櫂くん見掛けないよね、やっぱり階が違うからかな?」
「……」

ふわふわと笑いながらアイチは言うが俺は応えなかった。
何を話せばいいかわからなかったからだ。無論学校ではアイチには逢わないようにしている。逢ったところでどうこうはないが、本望なのだろうか……櫂は逢いたくなかった。父親とは違うのだアイチは。人間関係など櫂には必要が無かった、だからこそ犬のように引っ付くアイチが嫌だった。



続き




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