辛くも幸せな今
「シズちゃん、やだよ」
「やだよ離れないで」
虚しく部屋に響いた自分の声。
横たわるのは喧嘩人形として、また自分との天敵として知れ渡っていた平和島静雄だった。
別に死んだとかではなく、彼は眠っていた。
それでも、ただ、離れたくなかった。一ミリも。
だからシズちゃんが起きないのをいいことに毎回こうやって話しかけるのだ。
話しかけるというか、呟くというか、訴えかけるというか。
とにかく口に出さなければ気がすまないほどに離れたくなかった。
「シズちゃん、すき、すきだよ…」
「ずっとここにいてよ」
恋愛における関係は俺からでている矢印一本のみ。たとえこの想いがどんなに強かろうとこの矢印は永久に一方通行なのだと思う。
俺とシズちゃんは誰にも知られない、体だけの関係。
高校の頃、童貞を奪ってやってからダラダラと続く関係。
夜中にふらっと俺の部屋に来て、セックスして、寝て、朝には行ってしまう。
シズちゃんと一緒にいる時間が勿体なくて、くっついていられる時間が勿体なくて、寝るのが惜しい。
そんな自分を知ったらきっとシズちゃんはもう来てくれない。
彼には脆くて弱い折原臨也など必要ないのだから。
だからいまこの時間だけ『すき』だと『離れないで』と喚く。
幼子のようにポロポロと涙が零れる。
寝ているせいか自分より幾分温かい体に抱いた手に力を入れた。
触れていないと息ができない。
この体温がないとしんでしまう。
そう思う程に焦がれているのに朝になれば行ってしまう。
噛み締めた唇から鉄の味が広がった。
これが、シズちゃんの血だったら。
シズちゃん、すき、すき、ねぇすきだよ。
「シズちゃん」
「すきだよ」
「離れないで」
「シズちゃん」
「すきだよ」
「離れないで」
何度も同じ言葉を繰り返す。壊れたレコードのように。
何度繰り返したって朝は来てしまうのに。
それでも俺は繰り返す。
朝が来たら、いつものように憎まれ口を叩いてシズちゃんは出て行く。
そしてまた、一人泣くのだ。
朝がこなくても、きっと一生朝に怯えながら辛くて幸せな今を抱きしめるのだろう。
ああ、シズちゃん
すき、すきだよ
離れないで
100502 更新