秋霜 | ナノ


▼ 3

「庄野先生、初個展おめでとうございます!あ、これ鷲沢さんと私から差し入れです!」
「ありがとう典ちゃん、わざわざありがとうな。鷲沢のじいさんにも伝えておいてよ」
 典子が持参した差し入れを庄野に渡すと、庄野はにっこりと笑ってそれを受け取った。典子の後ろで、寶田が顔をしかめている。「庄野先生の個展に行きましょう!」と典子に半ば無理矢理に連れ出された寶田は、家を出た時からずっと不機嫌なポーズを崩さない。
「りっくん、典ちゃんに引きずられて来たんでしょう」
「……別に」
 にやにやと意味ありげに笑う庄野に言われて、寶田はぶっきらぼうにそう返した。そんな寶田の態度にも庄野は慣れたもので、「来たからにはゆっくり見ていってよ」とからからと笑った。
 少し遠くのショッピングセンターの一角が、庄野の初個展に与えられたスペースだった。初めてではあるが、最近和もののゲームのキャラクターデザインで名が売れてきた庄野の個展には、若い世代を中心に多くの来場者が訪れているらしかった。加えて、日本画ということで、年輩の層でもぶらりと立ち寄りやすいらしい。
 個展の主催は庄野がデザインの仕事をしたゲーム会社で、今回のこの催しは、鷲沢画廊とは関係ない展覧会である。「初個展はうちのギャラリーでやりたかったんだがなァ、まあめでたいことだから祝ってやらにゃいかんだろ」とぼやきながら上等の差し入れをせっせと選んでいた鷲沢の姿を思い出して、典子はついくすりと笑ってしまう。確かに庄野の初個展に携わることが出来なかったのは典子も残念だったが、今回は鷲沢の企画ではない日本画の個展というものを存分に勉強して帰ろうと思っていた。
「順路はあっちからだよ。あとこれ、簡単だけど会社がこういう案内書みたいなの作ってくれたから、貰うだけ貰っていってよ」
 はい、と庄野に手渡された案内書は、区画わけされた記事を折り畳んで縦長にした、まるで美術
館のパンフレットのような体をしていた。表紙には墨で描かれた出目金が印刷されていて、その上に展覧会の名前が印されている。――極彩、金魚展。


「待たせたね」
「いいえ。……あ、ありがとうございます」
 帰りにコンビニに寄ってくれと言う寶田に従って、典子はコンビニの駐車場に停めた車で買い物を終えてきた寶田を迎えた。白いビニール袋から出したミネラルウォーターを、寶田に渡されるままに受け取る。もう良いですか、と尋ねると頷きが帰ってきたので、典子は改めてギアをドライブに入れた。
「今日の個展、何だかんだ凄くじっくり見てましたね」
「そう言う君は一体何度回っていたんだ」
 寶田に言われて、典子は車を発進させながら瞬く。何度、と言ったって、たったの4回しか周回していない。その後は寶田が順路を回り終えるのを待ちながら、庄野と少し話をしていたきりだ。寶田は一枚一枚をじっくりと見て回っていたので、一体何人の来場者が彼を追い越したか分からない。
「それはそうと、これからどうされます?もう夕方ですし、夕食食べにでも行きますか?」
「いや、家に帰る」
 がさりと、寶田がビニール袋を畳む音が響く。典子が横目で寶田の方を伺うと、彼の膝には小さなノートとシャープペンシルが乗っていた。寶田はいそいそとシャープペンシルの包装を解くと、ノートを開いてペン先を走らせる。
「……寶田さん、何をされてるんですか?」
 流石に注視するわけにもいかないので、横目でちらちらと寶田の方を伺いながら尋ねる。すると、寶田は典子の方をちらとも見ずに「絵を描いてる」とだけ答えた。シャッシャッと、シャープペンシルが紙の上を滑る音が車内に響く。やがて車が信号で止まり、典子はやっと助手席の寶田を見遣る。西日に照らされて、寶田の横顔で睫毛がきらきらと光っていた。
「……庄野先生の絵に感化されました?」
 典子がくすりと笑って言う。寶田はちらりと典子を一瞥して、しかし何も答えなかった。 
 絵を描かない典子には寶田の気持ちなど推し量るべくもなかったが、やはり絵を見た後、画家というのは絵を描きたくなるものなのだろうか。それこそ、家にまっすぐ戻るだけの時間も惜しくなるほどに。
 信号が青になって、車が夕暮れの市街を走る。夕焼けの赤い光が眩しかった。


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