武士は喰わねど


 大和の地酒を引っ提げて、島左近は柳生宗矩の元を訪れた。まだ日は高く、宗矩は太刀の手入れをしている最中だった。
「こんな間から酒かァ。相変わらずろくでもないねェ、左近殿」
 宗矩は悪意を隠さずに言ったが、左近ははっと一つ笑い飛ばした。
「酷い言い様だ。ま、否定は出来ないがね」
「いいのかァ、筒井家臣がこんなところに来て」
 ここは松永久秀の領で、筒井家は松永と敵対関係にある。筒井からすると宿敵といってもいい。左近は僅かに口角を歪ませ、宗矩に答えた。
「一応、今は流浪の身ってことになってるんでね。誰かさんが筒井の城を落としてくれなければ、俺も安定して暮らせたんだが」
 久秀が筒井家の本城を落としたのは、もう随分の前だ。それも一度の話ではない。筒井は散々の煮え湯を飲まされていた。しかし、逼迫した状況とはいえ、左近が主家を離れるとは、宗矩も思っていない。
 浪人として中立を謳えばどちらにも入り込むことが出来る。それだけの理由だろう、と宗矩は読んでいる。つまりは腹の探り合いにも等しい。
 胡座をかいた二人の間で地酒の注がれた器が光る。
「それにしたって、働かなければ食っていけんだろォ」
「ああ、この前だって松永殿の炊き出しに参加してきたところだ」
「……堂々としてるねェ」
 流石に宗矩も呆れ気味だ。久秀が貧しい民のために手ずから粥を振る舞っているのは知っているが、それに見知った敵将が混ざっていてはさすがの久秀も受け入れるまい。と、一般論では思うのだが、自分の上司がどんな人間か、宗矩はよく知っている。
「美味かったぜ? あれを、あの男が作ったとは思えないくらいに」
「少なくとも、こんなところで時間潰してる若者よりは善人だよォ、松永殿は」
「それは言えてるね」
 左近と宗矩は大きく笑いあった。年は大きく離れているが、宗矩にとっては数少ない友人ともいえる仲だ。勿論、本人が友という言葉を口にすることはない。左近からしても同じことだが、自分が年上な分、宗矩のことはむしろ弟のように扱っている。
「で、」
 しかし、感情と立場はまた別の問題だ。宗矩は小さな器を置いてにたりと笑った。
「何を調べに来たんだァ?」
「調べにも何も」
 左近はやはり笑っている。宗矩よりは、いくらか毒気がない。
「松永とは敵対していたが、柳生と敵対してたわけじゃない。親睦を深めようと酒持ってきたってのに、随分な対応をしてくれるじゃないか」
「物事を素直に受け取れるほど子供じゃないのさァ」
「それこそ、子供の言い分だ。大人っていうのは思ってても口にしないもんだ」
 盃は空になっているが、二人は続きを注ごうとしない。
 静かな時間が流れた。破ったのは宗矩の方だった。
「やめよう、左近殿」
「ああ、酒が不味くなる」
「何にせよ、拙者は吐くような情報も持ってない。どっちの利益にもならないんなら、やめてしまった方がいいよねェ」
「俺もそんなに期待はしてなかったがな。何かを知っていたとして、アンタは言わない。だろう?」
「飯が食えなくなるからねェ」
 宗矩の返答に満足した左近は、瓢箪の入れ物を取って再び酒を注いだ。
「偵察はやめたが、アンタ、こっちに来る気はないか?」
 そう言い出した左近を、宗矩は傷のある眉を上げて訝しげに見つめる。
「それこそ、無理な相談だァ」
「どうせ、食うために働いてるんだ。どこでも同じじゃないか」
「拙者はともかく、松永殿には一族で世話になっている。そう簡単な話じゃないよォ」
「承知で言ってるんだがね。俺としても、筒井としても、柳生と睨み合うのは好きじゃないのさ」
 柳生家は一時期、筒井の傘下にあった。筒井家の当主も柳生を敵とは見なしていない。左近の言う話は本当だが、宗矩にとってそれは関係のないことだった。
「だったら、拙者が誘えばお主はこっちに来るのかァ?」
「ああ、無理な相談だ」
「だよ、ねェ。どうしようもない、身分違いの恋みたいなものだよォ」
 しんみりと言い放った宗矩を見て、左近は思わず噴き出した。その反応も織り込み済みなので宗矩も特別不快に思うことはない。
「似合わない比喩をするねえ。綺麗どころならともかく、おじさん二人で恋なんて薄ら寒い」
「拙者もそう思うよォ。左近殿は嫌いでもないがねェ」
「そりゃあそうだ。嫌いになるところがないだろ?」
「自分で言うかねェ……」
 酒が底を尽き、話は途切れた。左近が留まる理由もない。さて、どうしようか。二人が考えている間に障子がいきなり、すぱんと勢いをつけて開かれる。思わず目を丸くした二人を見下ろして松永久秀はにんまりと笑った。
「おーおー、昼間っからむさ苦しいことよぉ。おじさん二人きりで飲み会など、実につまらん!」
「だったら何で来たんです?」
 苦笑する左近。久秀は顎を撫でた。
「筒井の島左近が見えたと聞いてなぁ、ついに首になったかと考えておったのだよ。仕事を抜けて酒盛りをするような不良軍師であるからなぁ?」
「俺は今、浪人ですって……」
「ふん、そんなことは構わんわ。興味もない。お主があの小僧につこうが我輩につこうが、我輩の運命は揺るがん。だが生優しい小僧が追放するほどのことをしでかしたのなら、悪党の面子に関わるからなぁ。聞いて、それ以上のことをしてやろうと思ったまでよ」
 当然だが、久秀は左近が今でも筒井家に臣従を誓っていると知っていて、やんわりと筒井家を嘲っている。しかし左近は揺るがない。
「生優しいのはアンタの方じゃないですかね? 何度も俺を見逃すなんてね」
「自分にそこまでの価値があると思っているのかねぇー? 思い上がりも甚だしい!」
 僅かに左近の眉間に皺が寄る。ああ、今のは腹が立つよねェ、と宗矩は他人事に思っている。左近が自分の武勇に自信を持っていることは宗矩も気付いている。
 久秀は続ける。
「我輩から城の一つも取り戻せない軍師に用などない」
 ぐっと屈み、左近に顔を近付ける。
「が、毒のある奴は、嫌いでないぞぉ」
 左近は黙っている。目は逸らさない。
「お主がどうしてもというのなら、我輩が使ってやらんこともないがのう?」
「お断りしますよ」
 今度は、左近は間髪入れずに返した。
「それこそ、頼まれても無理ってもんです。俺はアンタにだけはつけません」
 久秀は左近の瞳を覗き込み、片目だけを大きく見開いた後、声を張り上げた。
「つまらん」
 言いたいことだけを言って帰っていった久秀を見送り、左近は空の瓢箪を拾い上げて立ち上がった。
「やれやれ、言い切っちまった」
「もうここには来られんかねェ?」
 宗矩が足を崩して座ったまま尋ねる。左近は不思議そうに首を傾げた。
「いいや? あの人のことだ、何にも気にしてないだろう。アンタが心配する必要はないさ」
「拙者は別に、そんなつもりはないけどねェ。それとも心配して欲しかったのかァ、左近殿」
「心配されなかったらそれはそれが哀しいが、アンタがそんなタマじゃないことはわかってるよ」
「心外だねェ、まるで拙者が薄情者みたいじゃない」
「まさか」
 左近はくっと笑った。それから、次の土産は何がいい、と訊いた。飲み食い出来るならなんでもいいと宗矩は言った。
「期待しないで待ってるよォ」
「そうしてくれ。……さて、筒井に帰るとしましょうか」
 再び敵方へと戻る左近を、宗矩は引き止めることがない。この先もずっとない、と確信さえしている。そうして立ち止まる相手でもない。
 宗矩は天井を見上げた。天井の隅には蜘蛛の巣がだらりと垂れ下がっている。
 身のついた南天の木を持って左近が上機嫌で見せびらかそうとするまでは、まだ数ヶ月がある。




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