広恵2


 日暮れに笛の音が走る。
 ほう、と微笑み一つ、安国寺恵瓊は縁側から降りてはらりと外套を風に膨らませた。
 笛の音は途切れずに夕焼けを優しく見守っている。だが、恵瓊が太い松の根本まで来るとそれは不意に止んでしまった。
「何の用だ、坊主」
 笛の音とは打って変わって不機嫌そうな声だった。恵瓊が見上げると、吉川広家が枝から足を垂らしてこちらを睨み下ろしている。
「これは失敬。邪魔をしてしまいましたか」
 帽子を軽く押し上げてへらりと笑う恵瓊にも、広家は少しも表情を緩めない。
「元からそのつもりだろうが」
「いえいえ、そのようなことは……」
「用がねえならさっさとどっかいけよ」
 広家は笛を持ったままの手で枝を掴んでいる。危ないですよ、と恵瓊が言う。うるせえ、と広家が一蹴する。
「随分と嫌われているようですねえ。ま、ここまでは予見しておりましたよ」
「だったら端からくんじゃねえ。大体、何が予見だよ。ただの予想だろうが」
「おやおや、そのように軽んじられては困りますねぇ。私はしっかりと未来を視ていますよ」
「なんにも見えてねえような目で何言ってやがる」
 広家は幹を支えに枝の上で立ち上がり、反対側のもう一段高い枝へ飛び乗った。ささくれだった皮膚の一部が剥がれて恵瓊の足元に落ちる。恵瓊はまだ眉を下げた笑顔で広家を見上げている。広家はちらりと恵瓊を見つめ、すぐに視線を外した。
「先が視えるってんなら、俺らの未来も予見出来るんだろうな」
「私達の、ですか?」
「ま、俺にでも分かることだ」
 笛を持った手の逆側で幹に凭れかかったまま広家は恵瓊に背を向けた。目線の先には落ちていく陽がある。
「俺の行く先にてめえの居場所はねえ」
 一度傾くと後は早い。とっぷりと宵闇に飲み込まれてしまう。
「そうでしょうかねえ」
 恵瓊は低い方の枝に手をかけ、しがみつくようによじ登った。反対側で広家が目を丸めている。なんとか這い上がり、腰を下ろして服を叩く。
「私の予見とは違いますねえ」
「……じゃあ、てめえが外れだ」
「それはどうでしょう。広家殿の方こそ、当たりだという確証などないでしょう?」
「てめえもだろうが」
 二人は幹を挟んで同じ方向を見ている。夕焼けが漆黒に変わっていく。
 広家は笛を帯に差し込み、身長の倍ほどある枝からぶら下がって飛び下りた。それを見て恵瓊も下りようとする。そして気付いた。
「はて……どうやって下りましょう」
「は?」
 流石に広家も素っ頓狂な声を上げて立ち止まり振り返った。恵瓊の居る場所は地面から然程離れてはいない。精々頭の高さから落ちるくらいだ、と広家は思う。
「飛び下りゃいいだろうが」
「貴方でもあるまいし、私にそのような真似はできませんよ」
「じゃあそのままでいろ」
「ま、待って下さい。せめて下り方を……」
 呆れて帰ろうとした広家だが、珍しく慌てる恵瓊を前に溜息を吐き、もう一度木に登った。恵瓊の横へ颯爽と降り立つ。
「よし」
 そう言って広家は恵瓊の両肩に手を置く。恵瓊はぴくりと片眉を上げた。
「覚悟はいいか」
 広家がにやりと笑う。
「あのー広家殿? 手荒な真似は……」
「おらよっと!」
 広家は両肩から手を離し、かと思うと即座に恵瓊の身体を担ぎあげた。反射的に帽子を抑える恵瓊の心配もせずにそのまま枝を強く蹴り、すっと地面に着地する。
「ほら、簡単だろーが」
 乱暴に下ろされた恵瓊は脈を早くさせながら引きつった笑顔を向ける。
「これは予見しておりませんでした……。貴方、流石は元春様のご子息ですねえ」
「ああ? そりゃどういう意味だ」
 夜の帳が落ちてくる。
 夕餉ですよ、と、恵瓊は思い出したように告げた。




▲ページトップへ
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -