面倒な熱量 | ナノ

面倒な熱量


 残念ながら、私にそんな気はないよ。
 私がそう言ったのは多分、春だった。入社したときから面倒を見てきた部下に恋慕の情を告げられて、私はそう答えた。
 この目から見ても、顔がいいとは思う。器量もよく仕事を手際よくこなし、周囲への気配りも出来る方だ。これだけ聞けば、私のような年寄りには勿体ない話だろう。しかしそれらは全て、相手が異性であった場合の話だ。
 厄介なことに、隙さえあれば私に愛を囁こうとする立花宗茂は、男なのだ。
 確かに、きっぱりと断ったわけではない。昔も今も、その間も。そのせいなのか宗茂は一度では諦めず、驚く事に再び春が巡ってきた今日になってもまだ私を追い回している。
「おはようございます、元就さん」
 さて。
 玄関先で笑うこの青年は、私の記憶が正しければその宗茂当人なのだが。私は頭を掻きながらゆっくりと溜め息を吐いた。
「……日曜の朝くらい、ゆっくり寝かせてくれないかなぁ」
 今部屋の前に居るんですが。突然宗茂から電話がかかってきたのが数秒前。相手が相手なので着替えることもせず、寝起き姿のまま仕方なく迎え出たが、間違いだったかもしれない。
「朝って、」
 宗茂は眩しいくらい完璧な笑顔で私を見た。
「もうすぐ十一時ですが?」
「休日は昼まで寝て過ごすのが私の習慣なんだ」
 まだ重い瞼を擦る。本当に寝起きだと相手もそれで分かったようだが、だからといって引き返してくれるほど聞き分けのいい男でないことはよく知っている。
「取り敢えず着替えてくるから、中で待っててよ……」
 眠くて眠くて、堪らない。
 無駄だと思いながらも跳ね放題の髪に櫛を通して何とか束ね、適当な服を引っ張り出して乱暴に着替えた。それから鏡を見る。浮かれた顔をしてはいないか。両頬を叩いて自分を叱咤し、洗面台を出る。
 最初は、本当にただ困惑していた。それが告白を重ねられるうちに、――あろうことか、私は彼に惹かれてしまっている。だが決して受け入れるわけにはいかない。首を縦に振ってしまえば、宗茂は私から興味をなくしてしまうだろう。追いかけているうちはいいが、手に入れてしまえば途端に冷めてしまう。私は、それを恐れている。
 ああ、いっそ、強引に求めてくれればどんなに楽か。
 待たせていたリビングに行くと、宗茂はソファに腰掛けて本を開いていた。私が置いたままにしていたものだ。宗茂は私に気付くと本を置き、顔を上げて私を見上げた。
「で、何の用なんだい?」
 立ったまま尋ねる。宗茂はにこりと笑って、まずは先日の礼を述べた。
「この間、仕事終わりにお手を煩わせてしまったので。その礼にランチでもと。それから一緒に過ごせればもっといいんですが」
「全く……。それで、わざわざ時間が取れる昼に来たわけか」
「そうですが、」
 さっきまでの笑顔は何処へやら。宗茂は不意に無表情になり、ふっと目を細めた。
「……貴方はいつもそうやって核心を逸らすのですね」
「えっ」
 一歩、下がる。鋭い刃を喉元に突きつけられたような、そんな圧迫感が私を襲った。
 額に汗が浮かぶ。舌が乾く。どう答えればいい。どうすれば、私は間違えずに済む?
 数秒のうちに繰り返された葛藤は、くす、という小さな笑い声に途切れた。
「行きましょうか」
 見慣れたはずの笑顔が、どこか寂しいものに見えた。

 結局、私は食べたものの味すら覚えていない。食事を楽しむには、同伴者の空気が些か重すぎた。
 地雷を踏んでしまったらしい、ということは流石に分かる。だが何がまずかったのだろう。今まで通りの返答だった。いつもならむしろ、その言葉足らずにつけ込んでくるのに――今日ばかり、どうして。
 家に戻ってからもその疑問は消えなかった。むしろ大きくなっている。宗茂はいつも通り軽口を叩いていたが、やはりと言うべきか、その中にも痛い刺を感じる。
「……あのさ、」
 もう一度部屋に招き入れて、ソファに微妙な感覚を空けて座り、怖ず怖ずと声をかけたのはいいものの、果たして何を聞くべきか。
 すう、と息を吸った。
「機嫌を損ねるのは君の勝手だがね。仮にも人のうちに来てるんだから、せめてそれを隠す努力はして欲しいんだけど」
「ああ、ばれてましたか」
 宗茂は悪びれなく言った。もう笑顔を作る気もないらしい。
「そうですね。というよりは、怒っています。貴方に」
「だろうね」
「……元就さん」
 揺るぎない瞳が私を睨む。本能的に逃げなければ、という気がした。だが反応が遅く、私の方に手が伸びたかと思えば、――その腕は私の顔の横を通り過ぎて、ソファのへりに置かれた。ふと見れば、私の視界いっぱいに宗茂の顔があった。近い、よ。声にならない。逃げられない。
「貴方は、俺を怒らせたいんですか?」
 低く掠れた声が直に、耳に注がれる。珍しく感情を、憤りを溢れさせたその表情から目を逸らそうとするものの、気が付けば身動き出来ない距離まで近付かれていた。逃げようにも腕に退路を塞がれている。
「今日はちょうど、一年なんです。改めて告白して、それで断られたなら諦めよう、と思ってました」
 胸がざわつく。宗茂はまだ続けた。
「ですが、それも面倒だ」
「むねし……」
「わざと俺を怒らせるように仕向けているんでしょう、貴方は」
 目を。見開いてしまった。図星であると自ら告げるように。
 もう、戻れそうにはなかった。
「……仕方、ないだろう。私はもうこんな年だ、君のように先があるわけじゃない。今更新しいところに手を伸ばしてそれで君に捨てられでもしたら、どうすればいいんだ。君に縋ることすら出来ないじゃないか」
 捲し立てると、宗茂は一瞬間の抜けたような顔になり、それからふっと微笑んだ。普段の、私が安心出来る笑顔だ。
「それで、俺を煽動して引っ張り上げて欲しかったと?」
「う……」
「酷いひとですね、元就さんは」
 ぐっと顔をさらに近付けられ、言葉を詰まらせる。日頃水のように流れ出る言葉もこのときばかりは出るべきではないと思っているのか、声にならない。
「そう、ですね」
 頬に手を添えられる。かと思えば、もう片方の手で腕を引かれ、私の世界はぐるりと反転した。後頭部に感じるクッションの柔らかさ。これは、つまり、ソファに押し倒されている――といった状況だろうか。
「え?」
「俺は今、怒りと貴方が漸くいい返事をくれたこととで、割と興奮しています」
「え、いやその、返事をしたわけでは」
「ならこうしましょう。このまま俺のすることを大人しく受け入れてくれたなら了承、ここできっぱりと断るというなら……今、抵抗して下さい」
「そんな……」
 君はどうしてそう、矢継ぎ早なんだい。抗議したい気持ちもそれはそれは大きかったが、これが今までこの若者の愛を燻らせてきたことへの罰かもしれない、とも思えた。だからとはいえ――
「君のことは嫌じゃない、嫌じゃないが、その、急すぎるよ」
「一年待ちました」
「そ、それはそうだが……」
 ちゅ。軽い口付け。それだけで私は黙ってしまいそうになる。こんな白昼堂々、それも明日からは仕事が待っている。
 だが物理的にも精神的にも、逃げ道は、ない。
「……はあ」
 私は諦めて力を抜くことで答えた。
 頭がくらくらする。顔が熱い。まさか風邪をうつされていたのではあるまいな。そんなことを考えても、後の祭り、だった。




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