6.操り人形 | ナノ

6.操り人形


 武器屋近くの柵によりかかり、太公望は頭飾りを揺らしながらふうむと頷いた。
「松永とやら、遠呂智に与する者とも思えぬ。人の子とはつくづく分からぬものよ」
 蹴鞠の最中に起こった事件を報告し終えた筒井順慶はすっと俯く。
「……彼だけは、例え誰に滅ぼされることを知っても揺るがないでしょう。寧ろ喜びさえするかもしれません。ある意味では遠呂智などよりも恐ろしいひとです」
 そう言うと顔を上げて微笑み、
「松永殿のことは、信長殿がよく知っておられるでしょう。あるいは信長殿であれば、松永殿もこちらにつくかもしれません」
「だが、妲己以上の諸刃の剣となるであろう」
「それと、三好殿ですが……松永殿は彼に付き従っているわけではありません。三好殿もそれを熟知した上で行動を共にしています。……私から言えることはこれだけです」
 自分の幕舎へ戻ろうと順慶は島左近を呼び、左近も順慶をつれて戻ろうとしたが、すんでのところで立ち止まって太公望にも聞こえるよう声を上げた。
「そういえば、俺が前に見た傀儡……陶さん以外にも居た気がしますが、あれってどうなってるんですかね?」
 太公望が顎に手を添える。
「傀儡? 聞いてはいないな」
「確か、あれは……高山右近殿、でしたかね」
 名前を聞いて、順慶はこの頃松倉右近と話をしていない、などと他所事を考えた。松倉の方は筒井家臣で、本名を重信という。
 高山の右近は織田の家臣で切支丹だ。順慶も元の世界で見かけた覚えがある。
「右近はんが傀儡に?」
 羽飾りのついた赤い帽子に赤い後ろ身頃の派手な男が顔を出す。
「行長さんじゃないですか」
 左近は小西行長に愛想を向けた。知らぬ仲ではない。
「何や久し振りに話しますなあ、島殿。景気はどうでっか?」
「ぼちぼちです……って答えた方がいいんですかね?」
「謙遜せんとってや。ま、島殿の景気が悪い方が世は平和なんやろうけど」
 行長は西国の訛りを隠そうともしない。同じ畿内でも訛りは随分と違う、と大和の左近や順慶は思う。行長は不意に声を潜めた。
「それより、さっきの話はほんまでっか?」
「傀儡の話ですかい? それは俺がこの目で見ましたよ。何なら……ああ、陶さんに聞いたら覚えてるんじゃないですかね? 一緒に操られてましたからねえ。行くんです?」
「いや、ちょいと気になりましてな。ほら、ワイと同じやさかい、親近感あってなあ。向こうは知らんけど」
 同じ、というのは切支丹仲間という意味だろう。左近はそう解釈する。特に右近は熱心な教徒だ。
 話を聞いていた太公望が身を翻した。
「そういうことならばかぐやを呼ぶとしよう。陶とやらは貴公らに任せたぞ」
「おおきに。島殿、悪いんやけど陶殿のとこに案内してくれまへんか?」
「ええですよ。ってアンタと話してると俺まで訛るじゃないですか……」
「知りまへんがな! 島殿も大和なんやったら、ワイと喋るときくらい崩してくれたらええですやん」
「俺はもう忘れちまいましたよ」
 左近の案内に行長が従って去っていき、順慶は一人で幕舎に戻ることにしたのだった。
 その頃、かぐやを呼ぶために歩いていた太公望は、言いようのない違和感に足を止めた。
「何だ、この妖気は……?」
 鎌のような月が鈍色に光る。
 感じた違和感はすぐに消え、太公望は睨んでいた月から目を逸らした。

 記憶の川を辿り着いた地には、数多の将が集められていた。陶晴賢は鉄鞭を持ってぐるりと周囲を見渡した。件の高山右近も見受けられる。晴賢は右近の肩を掴んだ。右近が目を丸くする。
「今は正気のようだな」
「何の話ですか? それに、何故私達はここに……?」
 困惑する右近から顔を離し、晴賢は崖の上を見た。群衆を見下ろす影がある。もう忘れることはない、三好長慶の姿だった。
 長慶は小さな水晶球を片手に持ち、掲げた。晴賢の額に一層濃く皺が刻み込まれる。
「悪は、滅びねばならぬ」
 水晶が紫に輝き、辺り一帯が重苦しい空気に沈む。
「うっ……これは……!?」
 頭を抱え、右近は蹲る。晴賢には次の展開が分かっている。
 右近が顔を上げた。
 その目は赤く濡れていた。
「正義を……貫きましょう……」
 装飾の施された両刃剣が晴賢を狙う。晴賢はくっと笑った。
「笑止!」
 鉄鞭を振る。眩い閃光が右近らの視界を奪い、晴賢はその隙に場を脱した。大岩に隠れて伺っていた行長、加藤清正、細川忠興と合流する。
 行長以下が同行したのはどちらも本人の意思によるところではない。忠興は妻のガラシャが出陣したがり、それを留めるために出てきたのだが、清正はもっと渋りながらついてきている。というのも、清正は行長のことをよく思っていない。しかし彼の母親代わりともいえるねねが「行長だけじゃ心配だよ!」というので、付き添いを選んだのだった。
「アンタはこんでもよかったのに」
 行長がぶつくさとごちる。晴賢がそれを睨んだ。
「何を言っている。さっさと行くぞ!」
「……あー、はいはい。なんか、あんさんとも合わん気がするなあ」
 白と赤はどうやら相性が悪いらしい。再び飛び出していく晴賢の後を行長はのんびり追った。
 長慶は、崖の上から自ら術をかけた傀儡を見下ろしていた。指で一つずつを数え、歪んだ笑みを浮かべる。
「材料が足りぬではないか」
 そう言うと、常に持ち歩いている可愛らしい動物の人形を抱き上げ、ぐっと握り込んだ。柔らかい布に薄い指が埋まっていく。
「まあよい。不躾な客人には、これを馳走してやろう」
 先の見えないほど長い糸を手繰り、口元で何かを唱える。すると傀儡にされた武将達の赤い目が薄まった。
「僕は何を……?」
 島津家久はよろめきながらも鉄砲を構えた。引き金に指がかかる。それは家久の意識を超えていた。銃口の先には真柄直隆がいる。銃を撃つわけにはいかない。だが、指は動こうとしない。
「なっ……何で身体が動かないんだ!」
 家久の抵抗も虚しく、硝煙が鼻孔を抜けていく。直隆は銃弾を避け、巨大な太刀を家久に向けた。
「これは……わしにも抗えんとは……」
 直隆の太刀が家久に翳され、家久も銃を直隆に向ける。一方で、森可成は佐々成政、堀秀政らと打ち合っていた。
「お二人とも、どうかお逃げくだされ」
「出来たらやってるっての。俺だって身体が勝手に動いてやがるんだ」
「このような奇術に屈するわけには……!」
 藻掻く織田の将兵を横目に、刀を抜いた丹羽長秀と戸次鑑連は奇声とともに争っている。どうやら術が深くかかり、意識も戻らない状態のようだ。
 白い手袋をはめ、豊臣秀長は結城秀康を悲しげな瞳で包んだ。
「傀儡の術、話には聞いていましたが、まさかこれほどとは……」
「これも試練だというのなら、共に乗り越えましょう、秀長殿。同士討ちをするわけにはいきませぬ……!」
 刀を抜こうとする手を互いに必死の思いで留め、震えている。長慶はその様子を頭上から嘲笑った。
「くだらぬ」
 人形の首を引き千切り、中の綿を投げ捨てる。降った綿は地面に落ちると膨れ上がり、歪な人の形になった。
「清盛より授かりしこの力、そなたらで存分に試させて貰おう」
 操られた人間をさらに人形の兵らが襲う。忠興は鉈をもって人形の首を躊躇なく跳ね飛ばした。血飛沫の代わりに、綿が飛び散る。
「フフフ……逃さぬぞ逃さぬぞ逃さぬぞ」
「どっちが傀儡か分かったもんやないなあ」
 ぞっと寒気を覚えながら行長が呟く。その背後で清正が片鎌槍を振った。
「言ってる場合か、馬鹿」
 見た目こそ人間に近いが、人形の兵を裂く心地は布のそれに近く、白い綿だけが溜まっていく。
 騒乱の隅で、高橋紹運は足を引き摺っていた。事情も知らず紛れ込んだ彼を長慶が見逃すはずもない。すでに満身創痍で蹌踉めいた紹運に、人形の刀が止めを刺した。
 紹運の悲鳴も血も響くことはなく、晴賢がその存在に気付いたのは彼が絶命した後だった。
「くっ、手遅れか!」
 焦げ付いた人形を見下して舌を打つ。過去をやり直すため、屍は回収しない決まりになっている。晴賢は紹運をそのままにして渋々離れた。
「こんといてや!」
 行長が投げた銭は人形に命中したが、跳ね返って散らばった。しかしそこは商人、しっかりと銭に結びつけていた糸を手繰って回収する。
「隙さえ作れたら充分や」
 すかさず外套を膨らませ、懐から短銃を抜き出す。そして躊躇なく人形の頭に銃口をぶつけた。
「ほな」
 引き金を引く。綿が飛び散って行長の帽子に積もる。行長は短銃とは逆の手でそれを払った。
「さいなら、ってな」
 にっかと笑った行長を狙う一筋の光。
「うおわあ!?」
 行長は既のところで短刀を避けたが、外套の端が切り裂かれてしまった。振り向くと内藤昌豊が左腕の暗器を剥き出しに突っ立っている。
「あ、アンタ、忍者か何かか? 全ッ然気付けんかったわ……」
「ええ……私は影が薄いですからね……」
 引きつった顔で昌豊が笑う。これでは傀儡にされているのかどうかも判断し辛い。迷う行長の肩にぽんと手が乗せられた。赤と黒が視界の端で軽々と宙返りする。
「アンタ、いつの間に……」
 呆気にとられる行長の前で、加藤段蔵はそっと昌豊の口を布で塞いだ。一瞬目を見開いた昌豊だが、すぐに目を閉じてその場に倒れてしまう。
「奇術師は神出鬼没なものですよ? というのは冗談で、面白そうな話をしていたのでついてきてしまったのです」
「それはええんやけど……大丈夫なんでっか、その人」
「何、少しの間眠りにつくだけですよ」
 ぐったりと動かなくなってしまった昌豊を担ぎ上げ、段蔵は口元だけでにやりと笑う。目隠しのためにそれ以外の表情は伺えない。
 行長が気付くと、先ほどまで操られて戦わされていた仲間達も地面に伏して眠ってしまっていた。
「これ、全部アンタがやりましたん?」
「ええ、少々香を嗅いで頂きました」
「恐ろしいお人やなあ」
 せやけど、と行長は歯を見せて長慶を見上げる。
「これで、残るんはあそこで高みの見物しとる三好殿だけっちゅうこっちゃ」
 長慶のいる崖に登るには裏の坂から回らなければいけない。行長と段蔵は清正、忠興、晴賢と合流して駆けていったが、既に長慶は崖から離れて脱出の準備に入っていた。
「今はここまで……」
 新たな人形兵を生み出しながら長慶は歩いていく。回り道は遠く、行長らはその様子すら見ることが出来ない。
 優雅に逃げようとする長慶を、突如として現れた忍が囲んだ。
「今は、ではなく、ここで終わってもらおうか」
 髑髏を片手に、百地三太夫が微笑む。人間離れした老人は互いを睨み合った。忍が人形に斬り掛かり綿が飛ぶ。長慶は徐々に崖側へ追い込まれていく。
「忍風情が……」
 長慶は忌々しげに歯を鳴らした。
 高笑いが降り注いだ。
「クハハハ……随分苦戦しておられますな、長慶殿」
 身の丈ほどの鎌を持ち、松永久秀が崖に降り立つ。久秀の足元にはかぐやの用いる光陣とはまた違う、辺泥のような禍々しい陣が広がっている。
 忍に取り囲まれながらも三好の二人は笑っていた。
 そこへ行長らも追いついた。久秀を見てぎょっとした顔になる。
「何で松永殿までおるんや……?」
「おい、不味いんじゃないか」
 清正が鎌槍を握り締める。人形の兵が忍を少しずつ押していく。三太夫は白い顔の色を一つも変えずに眺めていた。
「貴殿が戯れている間に、こちらはほぼ完成致しましたよ。まだ使い捨てですがね」
 久秀が長慶に暗い色をした塊を見せる。足元に描かれた陣が徐々に薄れていく。久秀は視線をそこに落とした。
「ああ、そろそろ時間のようですよ」
「よい、効果のほどは知れた」
 長慶が手を振り、力を得た人形が忍を吹き飛ばす。なおも向かおうとする手下の忍を三太夫は無言で制止した。
「私の作品がいいように扱われるとは、愉快ではないな」
「こやつらは量産がきくのはいいが、一つ一つに力を注ぐのは面倒でな。だが、まともに操ればこんなものだ」
 長慶が忠興を指差す。すると人形が素早く忠興目掛けて走り、首を掴んだ。
「がっ……!」
 みしりと軋むのも聞かず、人形は崖の下目掛けて忠興を放り投げた。
「ちょっ……」
 反射的に手を伸ばした行長の横から段蔵が飛び出し、宙で忠興の腕を掴んだまま身を捻って猫のように着地してしまった。行長が胸を撫で下ろす。
「はあ……今のは焦ったで……」
 奇術師改め軽業師やな、と心の中で呟く。そんな行長に向けて、今度は長慶が手を伸ばした。
「時間がない。さっさと戻れ」
 傍で人の形をしていたものが弾けて綿に戻っていく。綿の中で行長は長慶を見た。
「のんびりする余裕はありませんよ」
 久秀の冷たい声が鼓膜を震わせる。
「さあ」
「来い」
「小西行長」
 長慶と久秀の声が重なる。
 その瞬間、行長はゆっくりと前に歩き出した。
「おい!」
 清正が呼び止め、振り返った行長はにやりと口角を歪ませた。
「同じや言うたやろ」
 パァン、と、渇いた音色が清正の銀色を赤く染める。
「あ、あれは島殿しか聞いてなかったんか。まあええやろ……」
 清正の返り血を浴びながら、短銃を構えた行長は笑っていた。
「貴様、敵に通じていたのか!」
 晴賢が叫び、行長は黙ったまま長慶の方へ歩いて行く。
「こちらの術も、成功したようだ」
 長慶はほくそ笑んだ。足元が黒い霧に覆われていく。長慶の視線が三太夫に向けられる。
「貴様の居場所も、こちらにあるのではないか?」
「ふ……私も時と場合は選ぶ。愚かな真似はしない。ここで君と事を構えるのも、また愚かだな」
「フフ……幾分か利口なようだ……」
 忍を退かせた三太夫の傍も通り抜け、行長は黒い霧に身を落とす。肩を撃ち抜かれた清正が晴賢の手を借りて立ち上がり、怒号を飛ばした。
「待て! 行かせてたまるかってんだ!」
 久秀に肩を引かれながら、行長は舌打ちした。
「……ほんま、煩い奴やな」
 赤く光る瞳は、久秀や長慶と同じ温度に凍えている。
「ワイは端から、長慶様の人形やったってことや」
 黒い霧が三人を包み込み、弾けたかと思うと、その姿ごと消えていた。
「奇術の類ではないな。これはむしろ、遠呂智のような……」
 消えた場所を踏みしめて三太夫は一人零した。眼下には操られ眠らされていた将兵らの目覚める様子が映る。
「私達も帰る方が賢明のようだな」
 長い袖を棚引かせて、三太夫は清正を見下した。清正は血が滲むのも構わずに唇を噛み締めている。
「あの……馬鹿野郎ォ!」
 虎の遠吠えが虚しく風に溶けていく。

 傀儡にされていた者達を連れ、陣地に帰還したそれぞれの足取りは重い。帰ってきたことを知ったねねが笑顔で清正のところへ駆けてくる。が、清正の傷を見るとすぐに青ざめた。
「どうしたんだい、清正! それに、行長は……?」
「おねね様……」
 額に脂汗を浮かべ、清正は首を左右に振る。
 口を噤んでしまった清正や晴賢に代わり、段蔵が事細かに成り行きを説明したのだが、皆の表情は重苦しくなっていくばかりだった。
 この話は生存者全員に知らされることになり、松永久秀、三好長慶両名が不穏な動きを見せていること、長慶が新たな傀儡の術を使用することなどが確認された。
 話を聞き終わった順慶は会合から外れて幕舎に戻り、茶を淹れようと茶葉の入った筒に手を伸ばした。しかし手は筒に触れることなく空振った。胸が痛い。思わず抑える。寒気がする。
「あ……う……」
 身体を丸め、耐えた。やがて苦痛は消えていった。
 順慶は立ち上がり、茶葉を取り直した。




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