5.愛と義と正義の蹴鞠大会 | ナノ

5.愛と義と正義の蹴鞠大会


 ころり。雅に彩られた鞠が転がる。筒井順慶はそれを見て笠を傾けた。拾い上げると見た目よりずっと重いことが分かる。しかし順慶もまた細い見た目よりもずっと力があるので、片手でひょいと鞠を持ち上げた。
「これは……?」
「まろの鞠だ、の」
 背後から突然姿を現した公家風の男にも順慶はさして驚かず、ゆっくりと穏やかに振り返る。
「そうでしたか」
 鞠を返した相手は今川義元。この混沌とした世界においてさえ誰もを蹴鞠に誘うことから、一部のよく知る者からは避けられている。順慶もそれを知っていたが、それ以上の興味に鞠へ興味を持った。
「義元殿は蹴鞠を嗜まれると聞いています」
「の? そなたもやるかの?」
「いえ、私は蹴鞠というものを見たことがありませんので、どんなものか知りたいと思いまして」
 ぴしりと周囲の空気が凍る。通りかかった織田有楽斎が順慶の肩を叩き、
「悪いことは言わぬ。今からでも撤回しなさい」
 破れた深編笠の中から覗く。順慶はそれでも柔らかい微笑みを湛えたままだ。
「少しくらい無駄な時間を過ごしても、いいではありませんか。どうせすぐには元の世界へ戻れないのですから」
 そう言って退こうとしない。笑う瞳の奥には強い意志が見え隠れしている。有楽斎ははあと溜息を吐いた。
「ならば後悔しなさるな」
「はい。……しかし、私一人で収まるようにも思えませんね」
 順慶がちらりと流し見た義元は目を輝かせてぴょんぴょこと跳ねている。思ったよりも乗り気なようだ、と順慶は少々閉口したが、自分の蒔いた種だ。
「彼らのことも気がかりですが……」
 目を閉じ、順慶は松永久秀や三好長慶の顔を思い浮かべる。戦国の世からずっと苦しめられてきた相手のことを考えると、胸の辺りが少々苦しくなる。
「怖い顔をしてますねぇ」
 順慶は顔を上げた。白い布で頭を覆い、どこか異国の修道女を思わせる格好をしたお初が微笑みを湛えて順慶の前に立っている。
「こんなときだからこそ、のんびりいたしましょうよう」
 お初から自分と同じにおいを感じた順慶は、こくりと頷いた。
「そうですね。のんびりと……」
 言葉を遮るように順慶の元へ鞠が転がり込んでくる。きた方向を見ると義元が栗鼠のような瞳で順慶を待っている。
 さて、どうしたものか。順慶は悩んだ。自分で言った通り、蹴鞠は見たことすらない。視線をお初に向けて意見を求めようとしたがお初は微笑むばかりだ。
「ん? 何してるの?」
 窮地に陥った順慶を彼以上にのんびりとした声が救う。
 振り向くと大内義隆がそこにいた。順慶は義隆のことを詳しくは知らない。義隆が元の世界で亡くなったとき順慶は既に家督を継いでいたが、それも二歳か三歳の話だ。
 義隆は順慶の足元に目を遣った。
「蹴鞠か、いいねぇ」
「いえ、私は遊び方さえも知らないのです。元の場所では戦ばかりしてきたものですから」
「そうなの? 勿体無い人生ね。簡単よ、こんなもの」
 そう言うと義隆は足先で鞠を持ち上げ、ぽんと蹴り投げてみせた。鞠は軽く宙へ浮かび、またゆっくりと降りてくる。何度かそれを繰り返して義隆は義元の方へ鞠を蹴り返した。
「の! 好敵手出現な、の!」
 義元も負けじと義隆へ鞠を蹴る。ぽーん、ぽーんと、軽快な音とともに鞠が浮かんで跳ねる。順慶はそれを少し離れたところから目で追っていた。
 相変わらず空や大地はおどろおどろしい色で、砲撃も止むことはない。だが、それでも順慶は、
「……のんびり、してますね」
 と思わざるを得ない。
 命の危険は今でもあるが、この瞬間に限っていえば、戦国の世よりも寧ろ長閑だ。
 だがしかし、乗ってきた義元がある提案をしたことで穏やかな時間は引き裂かれることとなる。
「楽しいの! みんなでやればもっと楽しいの!」
「え……」
 嫌な予感に義隆は身を引き始める。順慶も逃げようとしたが、義元に肩を掴まれてしまう。
「蹴鞠大会を開催する、の!」
 順慶の笠がずれる。
「……面倒なことになりましたね」
 事を引き起こした張本人は何処か他人事のように呟くのだった。

 かつて蹴鞠の国が建設されかけた土地へ、暫く出陣予定のない武将らが集められていた。
「ここに、時としがらみを超えた数多の武将が顔を並べている……」
 中央で長宗我部元親が演説を始める。それに対して、
「元々そういう世界なんですが」
「来たくて来たわけじゃない」
 といったような声がざわざわと上がるが元親は気にする様子もない。
「今こそ強者を決めるとき……そう、蹴鞠でな!」
 元親がぐっと拳を振り上げる。おー、と乗りかかったのは長宗我部勢だけで、他は冷ややかにしている。その反応をも無視して元親は続ける。
「ただの蹴鞠では勝負はつかん。これより始まるのは蹴鞠の新たなる姿だ」
「少々規定を変更して競技にする、ということですね」
 元親の隣で香宗我部親泰が翻訳する。それによると、こうだ。
「まずは二つの軍に分かれて頂きます。蹴鞠と銘打ってはいますが、腕、武器、何を使っても構いません。ただし受け止めてはいけません。地面に落ちる前に打ち返せばよいのです。何人経由しても構いませんが、一人が複数回触れることはなりません。お分かりですね?」
「落としたらその時点で負けなのか?」
 吉川元春が手を挙げて質問する。既にやる気のようだ。隣の小早川隆景が溜息を吐いている。
「落とした時点で相手方に点が入ります。また、身体に当たって落ちたとしても、打ち返せなかったと見なされます。怪我の責任は一切負いませんので、あしからず。先に五点先取した側が勝利となります」
 元春の質問には谷忠澄が答えた。何やら不穏な言葉も含まれている。それに乗じて今度は木村重成が挙手をする。
「二つに分かれるといっていますが、その方法は?」
「心配ない。既に俺が決めておいた」
 さっと元親が巻物を掲げ、端を持ったまま転がした。西軍、東軍に名前が割り振られている。
「私は、眺めるだけでいいんですが……」
 元凶たる順慶がぼやくと島左近が呆れた顔を見せる。
「相変わらずですな、殿」
「全く、えらく暢気な奴に仕えていたものだな、左近」
 石田三成が鉄扇を鳴らしながら左近を睨み、左近は苦笑だけを返した。順慶は微笑んでいる。余談であるが、三成は同志で順慶が殿、という理由で左近は順慶の方を殿と呼んでいる。
 不満を垂れる者の方が多かったが、元親らの強引な進行により、広大な焼け野原の中で二つの塊に分かれることとなった。中央には膝ほどの高さで縄が張られている。縄に引っかかったり下を抜けても失点とする、と元親は語っていた。
「覚悟はいいか?」
 中央で元親が鞠を持って叫ぶ。その両脇に西軍代表として元春が、東軍代表として楽進が立ち並ぶ。
 元親が鞠を投げた。元春は槍を構えたが、その向かいで楽進は屈みこんだ。はっと気付いた元春が地面を蹴るが、同時に足を伸ばした楽進の方が高く跳ねる。
「先手、頂きます!」
 楽進が双鉤で鞠を弾く。元春は舌打ちをしながら着地した。鞠は元春の背後へ飛んで行く。楽進もまた土に降りた。
「恐縮です!」
 砂埃が舞う。蹴鞠は勢い良く西軍の陣地を抜けていく。向かってくるその様子を見ながら、安国寺恵瓊は肩を竦めてふうと溜息を吐いた。
「盛り上がるのもよいのですが、どうにも嫌な予感がしますねえ」
「そう言って逃げんなよ」
 吉川広家がぎろりと睨む。手には父親の元春と似た槍を携えている。恵瓊はにんまりと口角を上げた。
「まさか。……しかし、この催しは荒れそうです」
 蹴鞠が恵瓊を狙って落ちてくる。恵瓊は顔を上げることもなく虫眼鏡だけを掲げた。
「予見しておりましたよ」
 虫眼鏡が光を放ち、鞠は壁へぶつかったように弾き戻された。だが東軍陣地へ飛ばすには勢いが足りない。何れかが追撃に走ろうとしたそのとき、青い炎が揺らめいた。
「ここはお任せを……」
 鞠に鬼火が灯る。鍋島直茂はそのまま鞠に刀を振り翳した。炎は大きくなり、弧を描いて東軍を狙う。
 弾丸のように迫る鞠など眼中にないかのように、二人は嘆いていた。
「このような事態を招いていながら、義隆様は何処へ行かれたのだ!」
 自分の掌に鉄鞭を打ち付け、
「私が原因で失点ともなれば、諸葛一族に泥を塗ってしまう……」
 短鉄鞭を掴んだまま頭を抱え、
「ええい! 何をうじうじしている!」
「少々静かにしてくれないか!」
 陶晴賢と諸葛誕、白い二人は互いの鉄鞭を向け合った。鉄鞭からはバチバチと爆ぜるような小さな音が聞こえる。その二人へ鞠は落ちる。晴賢と諸葛誕はきっと顔を上げ、鞠を睨んだ。
「粛清!」
「粛正!」
 異口同音に掲げられ、鉄鞭は交差して紫電を放つ。勢いを増して戻された鞠が向かうのは日和見を決め込もうとしていた順慶の元だ。
「下がってください、殿!」
 順慶を庇おうと前に出た左近だが、順慶は小さく首を左右に振り、柳生石舟斎の方へ目配せした。左近も悟り、斬馬刀を担ぐ。
「お救いします」
「加減なしだ!」
「御託はよせ」
 三人の周囲で風が膨らみ、鞠を中空で宥めた。ふわりと宙に浮かぶ鞠。待っていたのは静かな調べだ。
「毛利三の矢が策」
 旋律が大きくなるにつれ、鞠は氷に包まれていく。寒気を感じていた順慶らはすぐにその場を離れた。隆景が弦楽を奏でながら歩いてきている。
 曲が終わる。
「よくよくお考えなさい」
 凍りついた鞠が落ちんとするところへ、小早川秀秋の鎌が掬い上げる。
「うふふ」
 赤い瞳の奥は一切笑わないまま、秀秋は笑顔を作った。
 投げられた氷の塊は一直線に諸葛誕の頭上へ飛び、落下した。
「むぐっ!」
 衝撃の強さに戸惑う間もなく諸葛誕は押し潰され、ころりと鞠が転がる。
「西軍に一点だ!」
 菜々姫が高らかに宣言した。無情さに会場が静まり返ったが、救護班として外野にいた姫たちがすぐさま諸葛誕を回収に走る。
「男なんだからしゃきっとしな!」
 今泉美代が厳しい言葉をかける横で、彦鶴は、
「意識がありません。すぐに手当てをしましょう」
 と冷静に判断し、前田まつが軽々と諸葛誕を抱えてしまう。まつは諸葛誕を運ぶ最中にも東軍の方を見て夫である利家に声援を送る。
「アンタ! 頑張るンだよ!」
「おう! 任せてくれ!」
 利家も応えたが、これにより一部の武将から羨望と嫉妬を買うことになるとは知らない。
 戦いは白熱していく。朝比奈泰朝が鞠を蹴り直したと思えば、相手側へ分かれていた今川氏真がそれを返し、少し泣いていた泰朝を尻目に上泉信綱、長野業正が年齢を感じさせない強さで鞠を殴る。
「ひょひょ」
「まだまだ負けてられんわい!」
 独特の笑い声と怒号がからからと響く。やってきた鞠を見つめながら、元春と広家はぐっと腕を伸ばした。
「こっちでお前と一緒に戦えるとはな!」
「ただの遊びだろ」
 燃える元春に対する広家の返事はにべもない。だが父子同じ構えで槍を携えている。
「俺こそ毛利二の矢」
「俺ぁ今忙しいんだ」
 穂先が燃え、痺れ、
「ここは通さねぇよ!」
「ここは通せねぇよ!」
 爆ぜる。
 焦げた蹴鞠を見送り、傍の輝元はわあわあとはしゃいだ。
「凄いのです! 流石、叔父上なのです!」
「俺は」
「勿論広家も凄いのです!」
 不機嫌のせいか一層きつくなる広家の視線にも怯むことなく輝元は跳ねる。
 一方で、打ち返された鞠が縄を超えたところで銃声が轟いた。蛍の鉄砲から煙が上がっている。鞠は撃ち抜かれて垂直に舞い上がった。そこへすかさず孫市が次の弾丸を撃ち込む。僅かに弾かれた鞠は縄の少し上を抜けて西軍側の陣地へ落ちた。
 孫市が銃口にふっと息を吹きかける。
「これで同点だ。……ってか、何で出来てるんだ、あれ?」
 答えは誰も知らない。
 仕切り直すべく元親は鞠を持ち上げた。その瞬間、空が割れた。
「きゃあ!」
 生温い風が彦鶴の割烹着を巻き上げる。風は空を割る黒い靄を中心として渦巻いているようだった。靄は救護班に紛れていた義隆の頭上で刹那にして晴れた。
「義隆様!」
 駆け出した晴賢は躊躇なく鉄鞭を義隆の方へ向けた。方へ、だ。晴賢と義隆の間には黒い陣羽織を纏った男が佇んでいた。鋭い目に一本の傷を走らせて。
「あ……」
 遠目に見ていた順慶は声を失った。蹴り転がされ、為す術もなく蹂躙された記憶が脳裏に蘇る。だがその一部は今の順慶が体験しているはずのない過去だ。
 恐怖で動けない順慶を余所に、久秀は晴賢の鉄鞭を素手で受け止めて嗤う。
「ご機嫌麗しゅう」
 義隆に向けられるはずだった細い糸が晴賢に向かって射出される。放射状に広がった糸は晴賢の皮を掠めた。
「見た顔と思えば……」
 久秀の傍に操り人形を両手に絡めた男が降り立つ。三好長慶は晴賢を見下して口元を歪めた。
「以前傀儡にしてやった人形ではないか」
 長慶は手から人形を離し、晴賢に触れようとした。未遂で終わったのは左近が背後から長慶の烏帽子を撥ねたせいだ。
 竦んでいた順慶も走り出し、己の身長ほどある鋏の先を久秀に向けた。鋏を開く。久秀の首を刈り取るために。久秀は刃の中で微笑んだ。順慶の背筋が凍りつく。
 カラン、と、鋏が落ちた。一本の糸が順慶の胸を貫いていた。
「とっ……」
 糸が切れる。よろけた順慶を左近が必死に受け止めた。服にも何処にも穴は空いていない。順慶は困惑しながらも左近を支えに立った。
「松永殿……一体何を……」
「クク……」
 久秀は右袖から蜘蛛を模した何かを取り出し、放り投げた。順慶は殆ど反射的に義隆を、左近は晴賢を押して地面に伏せた。蜘蛛の器から四方八方へ糸が撃ち込まれる。真下にいたおかげか、順慶や義隆らに触れることはなかった。
 だが少し離れた人間にはそうもいかない。毛利隆元を守ろうと、元春、隆景は自分が受け止めるべく前へ出た。糸が迫る。
「……この事態も、予見しておりましたよ」
 三矢の代わりに糸を受け止め、恵瓊はがくりと膝をついた。数本の糸が恵瓊に突き刺さって止まっている。
「てめえ!」
 広家が糸を引き抜いたが、血が流れた様子は見られなかった。乱暴に糸を捨てる。
「これも計算の内かよ」
「ふふ……勿論ですよ」
「しかし万が一ということもあります。恵瓊、後で看てもらいなさい」
 久秀を睨みつけたまま、隆景は恵瓊に優しく声をかけた。
 腕や足を貫いた糸を引き抜きながら、孫市もまた無傷の身体に疑問を抱いていた。
「無事か、孫市」
 棍棒で糸を振り払いつつ下間頼廉は孫市を横目にした。二人で蛍を囲むように立ち回っている。
 やがて糸の雨は止んだ。
 目に見える傷を負った者はいなかった。
「来ないで!」
 束の間の安堵も秀秋の悲鳴に掻き消される。混乱に乗じて、久秀と長慶は順慶らの元を抜け出していた。
「貴殿には勿体無い獲物ですね」
 久秀の手が伸びる。秀秋は身を縮めた。手が届かんとしたとき、さっと影が秀秋を攫っていった。
「大丈夫?」
 ねねが心配そうに秀秋の顔を覗きこんでいる。秀秋はにこりと微笑んだ。
 だが、大鎌は久秀の手中にあった。
「ククク……」
 身の丈を超える柄の鎌を逆手に抱き、久秀は高らかに嗤う。目の前には紫の泡が浮かんでいる。
 元親が三味線を奏でていた。
「はぁっ!」
 弦が震え、泡が爆発する。追い打ちとばかりに六角義賢が矢を放った。孫市と蛍も鉄砲で追撃する。
 爆煙が晴れた。変わらず佇んでいた久秀に落胆の声が漏れたが、久秀の顔からは血が滴り落ちていた。
「クハハハハハハ!」
 右目に一本通っていただけの傷が、矢弾を掠めて何本にも広がっている。それはまるで蜘蛛の巣のように。
 大鎌が久秀の血に濡れて光る。
「いつまでも弄れるでない」
 長慶は冷ややかに傀儡人形を手繰った。ざっと複数の傀儡兵が長慶と久秀を取り巻く。
「目当てのものがない以上、長居は無用であろう」
「……興醒めですな」
 二人の足元が揺らぐ。再び発生した靄に攫われ、大鎌や傀儡兵ごと消えてしまった。
 鞠は坂に向けて転がっていた。




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