広恵1

 くうん。
 その鳴き声を聞き取ってしまったのが間違いだったかもしれない、と広家は毛もくじゃらを抱きながら思う。
「……して、何故私のところなのです?」
 わざわざありがとうございますと訪問を労ってから、恵瓊は首を傾げた。広家とは元々親しい仲というわけではない。
「仕方ねえだろ。うちで飼うわけにもいかねえし、かといって適当な奴に預けていちいち顔見せるわけにもいかねえんだからよ」
 広家の腕の中で黒い子犬がくんと鳴く。
 何処かで捨てられていたのを拾ってきたしまったらしい。恵瓊は合点しながらも、この無愛想な青年が犬に見つめられてどうしようもなく手を差し伸べてしまった、という事実に微笑みを禁じ得ない。
「何笑ってんだよ」
 不機嫌そうな広家に、いいえ? と小首を先程とは逆の方向へ傾げる。ふと天啓を受けたように、恵瓊は広家と子犬を交互に見つめてから言った。
「お優しいのですねぇ」
 案の定、広家はさらに不機嫌な顔を作り、片手で恵瓊の襟首を掴んだ。
「うるせえ」
 間近で凄まれたところでその片腕には子犬が抱かれているのだから、どうにも怖さがない。恵瓊はゆっくりと広家の手を振り払った。
「ふふ、そのような顔をなさっても、私にはお優しい広家殿の姿が見えておりますよ」
「何にも見えてねえような面して何言ってんだ。いいから、てめぇのとこで世話してくれっていってんだよ」
 広家は漸く本題に戻ってきた。
 わざわざ子犬の引き取り手を探すためだけに安国寺まで。恵瓊はそうも思ったが、吉川家の実子を無下にするわけにはいかない。
「構いませんよ。しかし、こういったことが頻繁にあると流石に困るんですけどねえ」
「……努力はしてやる」
 広家は小さく呟いてから、子犬を恵瓊の方へ押し付けた。毛が服につく、と恵瓊が迷う暇もなく抱えさせられる。
 子犬は丸い目で寂しそうに広家を見ていた。広家は思わず目を逸らした。くうん、と追い打ちをかけるように子犬が鳴く。
 そんな子犬の頭を撫でながら、恵瓊は微笑んだ。
「広家殿とて、貴方を手放したくて私に預けるわけではありませんよ」
 片眉を上げた広家の視線が恵瓊に向かう。恵瓊もまた微笑を広家に返す。広家は何か諦めたように溜息をつくと、子犬の頭から恵瓊の手をどけた後にぽんと自分の手を乗せた。
「また来てやるから、大人しく坊主の言うこと聞いてろ」
 そう屈んで子犬に語りかけてからそのままの体勢で恵瓊を見上げ、
「……任せた」
 きっと睨んで凄む。恵瓊は小首を傾げてにっと微笑んだ。
「お任せ下さい」
 広家が帰ると子犬は旅の疲れかぐっすり寝てしまった。古い着物を寝床代わりに与えて恵瓊はそっとその寝顔を眺める。
「……貴方を見に来たら、逢うことになりますねえ」
 口元が柔らかく緩んだ。
 丁重に扱わなければ。心の中で再度誓って、粥でも作らせようと立ち上がった。




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