4.僧侶と愉快な仲間たち | ナノ

4.僧侶と愉快な仲間たち


 下間頼廉は、珍しく呆然と佇んでいた。
 妖魔の手から逃げ延びてもう久しい。しかし未だに己の目的は達成されずにいる。親しき友の安否を確認する、という目的が頼廉にはあった。そして道半ばに別れた若き殿様のことも、気がかりではあった。
 だが、それ以上の懸念が今の頼廉にはある。
「……如何にしてこのような事態になったのだ」
 それが分からない。分からないからこそ呟いた。細長い棍棒を携え、首に大きな念珠を下げた僧兵は凛々しい佇まいのまま首を捻る。
 つい先日まで、頼廉は一人だった。時折助けた民などと道中を共にすることもあったが、いずれは別れ、結局は一人で駆け回っていた。
 それが、ここ数日の間で状況が変わった。始まりは名古屋山三郎を助けたことにあった、と頼廉は思い出す。

 小さな村が盗賊の類に襲われていた。偶然居合わせた頼廉は、性格上見逃すことが出来ず、単騎で加勢に入る。元の世界では、織田軍を相手に戦っていた。その頼廉が盗賊如きに苦戦するはずもない。早々に蹴散らしていると、頭目らしき男が若き娘に乱暴を働こうとしているところが見えた。
「下郎」
 呟き、地面を思い切り蹴る。棍棒を振り翳し、頼廉に気付いた頭目がはっと刀を構えたが、次の瞬間には横から蹴飛ばされていた。よろけた頭目を容赦なく殴り、気絶したのを見て、頼廉は棍棒を下ろす。改めて娘の方を見ると、腰の抜けた娘に手を差し伸べる、別の男がいた。
 派手な色の着物を着崩し、少し長い髪を靡かせる男には泣き黒子がある。頼廉は暫しその様子を眺めた。誰かに似ている気がする。先程、割って入ったのはこの男だろう。助け起こした娘を見つめ、さらりと言う。
「こんなところに居ちゃ駄目じゃないか、子猫ちゃん。もう安心してくれ、君のことは俺が護ろう」
 歯の浮くような台詞に頼廉は眉を寄せた。誰かに、ではない。友に似ている。だからこそ少し頭が痛い。
 襲いかかる盗賊の残党を軽くあしらい、頼廉は男の肩に手をかけた。相手はそれで漸く頼廉を見た。
「ん、何だい? 今いいところなんだ」
「そのようなことをしている場合ではなかろう」
「賊なら、あんたがさっき倒したので最後だよ」
 頼廉は辺りを軽く見回した。確かに、村は静まり返っている。
 村娘を家に帰らせ、男は漸く名乗った。
「名古屋山三郎だ。一人で倒してしまうとは、やるじゃないか」
「拙僧は下間頼廉と申す。これしきは当然のこと」
「お堅いねえ」
「……貴殿は、拙僧の友に似ている」
 頼廉は冷めた目で山三郎を見た。友に向ける視線とは、勿論違う。だが同じ人種なのだな、と頼廉は遠いところで思う。山三郎は軽蔑の目も気にせずに飄々と笑った。
「つまり色男ってことかな」
「それは、拙僧には理解出来ぬが。雑賀孫市というのだが、面識はないか」
「ああ、元の世界では逢ったことがあるよ。確かに似ているかもしれないが、こっちでは見ていないな。そっちこそ、阿国を知らないか? 傘を持った美しい巫女だ」
「生憎だが」
 頼廉は静かに首を振った。そうか、と山三郎が肩を落とす。だがすぐに笑顔が戻る。
「これからどうするんだ?」
「元々、目的はない」
「じゃあ俺も同行させてもらおうかな。こんな世だ、一人でいるのは危険すぎる」
「……異論はない」
 こうして、偶然出逢った二人は行動を共にする。

 時を超えて、同じ頃。
 島左近は自分の斬馬刀くらいある巨大な鋏を抱え、筒井順慶の下を訪れていた。順慶はお市と藤の話をしているところだったが、左近に気付くと市に断って歩み寄ってきた。
「左近、それは?」
 いつもの、緩い微笑みで順慶は左近に問う。石田三成は何となくその様子を離れた場所から眺めていた。己の腹心がかつて仕えていた主に、多少なりとも興味がある。
「武器を失くされたと言っていたでしょう?」
「ええ」
 順慶は頷く。逃避行の最中に武器は壊れ、予備の小さな――それでも通常の剪定鋏よりは大きいのだが――鋏を使う羽目になってしまっていた。しかし、左近が差し出しているそれは順慶の細身に支えられるような代物には到底見えない、と三成は傍観しながら思う。順慶は小首を傾げて微笑んだ。
「ありがとうございます、左近」
 順慶は片手で軽々と鋏を持ち上げた。遠くの三成がぎょっとしているのも知らず、そのまま振り回してみせる。確かに順慶の身体は骨と皮で出来ているようなものだが、日々植物の手入れをしているうちに力だけはついていた。
「しかし、これだけのものを用意するのは大変だったでしょう」
「殿のためですから」
「合成に使った貴石、集めたのはおじさんなんだけどねェ」
 ふらりと柳生宗矩がやってくる。順慶はそうなのですか、と言って、礼儀正しく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「……いや」
 宗矩は目を逸らした。どことなく擽ったい。
 そうこうしているうちに、三成は飽きてその場を離れていた。吉継はどこだ、と友人を探しながら歩いていると今度は豊臣秀吉と雑賀孫市を見つけた。二人に挟まれているのは巨体の井伊直虎だ。顔を真っ赤にしている。三成はそれで察しがついた。すぐ後ろまで近付き、鉄扇で手をぽんと叩く。
「秀吉様」
 秀吉の肩がびくりと跳ねた。ぎぎぎ、と絡繰りのように振り返る。
「な、なんじゃ三成」
「異世界でまでおねね様にお説教される気ですか」
「ね、ねねには言わんとってくれよ!」
 秀吉は脱猿のごとく、さっと駆け抜けて姿を消してしまった。その隙に直虎も逃げ出し、孫市は頭を掻く。
「ちえ、いいところだったのによ」
 三成の軽蔑するような眼差しにも孫市は怯むことがない。
 そこへ、今度は大谷吉継が合流した。吉継は三成に声を掛けようとしたが、孫市の姿を知るとそちらに目を向けた。
「主は、かつて本願寺に味方した間柄であったか」
「あん? それがどうした」
 片眉を上げる孫市に、含みはないのだが、と吉継は首と左右に振る。
「森長可殿の奥方が、その片割れらしき人物を見たとのこと」
「頼廉を? で、その奥方ってのは」
「呼んだかぁ?」
 機関銃を背負い、派手な金の髪を靡かせて、池田せんは不意に現れる。惜しげも無く晒された肌を見て孫市は呼吸をするような自然さでせんの手を取った。
「俺としたことが……貴方のような美しい女性に気付けないとは」
「気安く触ってんじゃねえぞ。蜂の巣になりたいか、ああ?」
「そういう勝気なところも素敵だ」
 凄むせんにも、孫市は動じない。それはせんが機関銃に手をかけても同じだったが、三成などはすぐさま反応した。
「吉継、走れ!」
 銃口が孫市を捉える。流石の孫市も危機を察して身を引いた。直後に轟音が鳴り響く。地面が削られ、先程まで孫市が居た場所には穴が空いていた。今、身を引かなければ。孫市の頬に冷や汗が伝う。一方で、先に逃げ出した三成や吉継は無傷の撤退を果たした。
「は、激しいのも嫌いじゃないぜ」
 額を拭い、孫市は笑ってみせる。音を聞きつけた順慶らはすぐさま状況を把握した。左近が呆れたように肩をすくめる。
「懲りませんねえ、あんたも」
「時と場合と相手を見極めてはどうでしょう」
 順慶が苦笑し、見ていた宗矩も思わず噴き出した。不意に現れた大和一行に孫市は怪訝な表情を隠さない。
「いきなり随分な言い様じゃねえか」
「胸に手を当てて考えてくださいよ」
「男の胸に手を当てて何が楽しい」
「そりゃあ同感ですがねってそういうことじゃあない」
 変なところで意気投合してしまった左近を放置し、順慶はせんに尋ねる。
「どうか致しましたか?」
「てめぇ様はちゃんと話聞いてくれそうだなぁ? 俺がここに来る前の話だ」
 夫婦で行動していたところ、頼廉らと出逢い、行動を共にしていたのだが、正体不明の敵に襲われてはぐれてしまい、自分は助かった。
 という、せんの話を聞き終わり、順慶は笠を僅かに持ち上げた。
「そうですか。……貴方は、森殿をお助けするつもりですか?」
「決まってんだろ」
「では、私も連れていってはもらえませんか」
 この申し出には、何やら孫市と話を続けていた左近が驚いた。
「なんだって殿が行くんです」
「頼廉殿には、恩があります。返すべきときは今だと思うのですが」
「しかし何も……」
「ちょっと過保護すぎないかァ、左近殿ォ」
 まだ食い下がろうとする左近の言葉を宗矩が遮る。
「世話を焼くのと囲っておくのとは違うだろォ」
「俺は、異世界でまで殿に戦って欲しくないだけだ」
「心配はいりませんよ、左近」
 順慶は微笑む。それで、左近も宗矩も黙ってしまった。
「俺も行くぜ。美人の頼みには弱いんでな」
 孫市が銃を担ぐ。てめえ様には頼んでねぇ、とせんが言うのも聞かぬ振りをする。だがその目には珍しく真摯な光が宿っている。
「それに、ダチを放っとくなんざ、普通になしだろ?」
「とかなんとか言って、他に可愛い子探そうとか思ってるんでしょう?」
 調子の戻った左近が茶化す。孫市はまた片眉を持ち上げた。
「あのなあ……」
 反論しようとしていると、騒ぎを耳にした森蘭丸が駆けつけた。
「兄上を助けにいくと聞きました。是非、蘭もお供させてください!」
「お蘭……」
 せんがふっと微笑む。蘭丸の表情が明るくなった。せんは蘭丸の肩にぽんと手を乗せた。
「心配はいらねぇ、お蘭は夫が帰ったときの準備でもしてなぁ!」
「で、ですが……」
「ああ?」
 せんが機関銃を蘭丸に向ける。蘭丸は身を竦め、大人しく退散していった。

 頼廉と山三郎は、野犬に襲われていた足利義昭を救出していた。翌日には大友宗麟を、さらに斎藤義龍、森長可夫婦と、孤立していた面々を立て続けに拾う。
 時々意思の疎通が難しいこともあったが、概ね問題もなく過ごせていた。この日も、義龍が撃ち落した鳥をせんが捌き、宗麟の持つ火種で丸焼きにしていた。それを長可が穂先で切り分け、頼廉以外に配る。
「ちょっと、いつまでこんな生活続けるつもりなのよ!」
 義昭が抗議をするが、このような世ですから、と頼廉は手慣れた様子でそれを受け流し、木に凭れ掛かる。焚き火の傍に腰掛けた山三郎は頼廉を見上げた。
「食わないのかい?」
「拙僧は肉の類を口に出来ぬ故」
「言っている場合でもなさそうだが?」
「数日断食した所で問題はない」
 きっぱりと言い切った頼廉は棍棒を携え、周囲の見回りに出た。山三郎は後ろ姿を見ながら手元の賽をかちゃりと鳴らす。
「損な生き方してるね」
 どうしてこのような面子になったのだろうか、と半ば嘆きながら、頼廉は近場を散策する。宗麟は、国崩しと名付けられた移動式大筒に乗って一人でいるところを見つけ、保護した。義龍は叢に潜んでいるところを拾った。長可、せんは妖魔軍を二人で蹴散らしている様を目撃し、戦力になるからと声をかけた。それは確かに覚えている。だが、揃えてみると随分奇妙な隊になったものだ。
 ここ一帯には貴重な自然が残っていた。木々が立ち、川が流れている。頼廉は水音のする方へ足を進めた。徐々に草が生い茂っていく。頼廉はふと立ち止まった。草の緑に混じって、人が倒れている。緑の服は地面に同化していた。頼廉は駆け寄り、小さく揺さぶった。行き倒れの被っていた頭巾が外れ、若い男の顔が俄に目を開く。頼廉は傍の河川から竹の水筒に水を汲み、男の口に流しこんでやった。喉が上下し、飲み込んだことを確かめる。
「立てるか」
「……ああ……」
 よろりと緑の男が立ち上がる。男は頼廉の手から竹筒を取り上げ、中の水を飲み干した。ぷは、と大きく息を吐き、弱々しく笑う。
「助かったよ。彷徨っているうちに、食糧も尽きてしまって……」
「礼には及ばぬ」
 水を汲み直し、徐元直、または徐庶と名乗る彼を連れ、頼廉は仲間の方へ戻った。出迎えた山三郎はすぐに、くすくすと笑い出した。
「また拾ったのかい」
「また、とは失礼な物言いであーる!」
 噛み付いた宗麟を無視して頼廉は山三郎に先程あったことを説明する。そうしている間にせんはじろじろと徐庶を眺め、
「ひょろっちい男だなぁ!」
「え、ええと、すまない」
 何故責められたのかも分からずに徐庶は平謝りする。その徐庶へ、頼廉は一応切り分けてあった自分の夕食を差し出した。
「ありがとう……恩に着るよ」
「元より拙僧は食べられぬ故に」
 首を左右に振り、頼廉は再び場を離れようとする。同時に、鳥の肉を徐庶が齧ったときだ。風と共に焚き火が消えた。時刻は夕刻、辺りは真っ暗になってしまう。
「どなたか、火を」
 頼廉が叫んだ。宗麟が応える。徐庶は慌てて肉を口に突っ込んだ。
「任せるであーる」
 何処からどう取り出したのかは不明だが、宗麟によって再び薪に火が点けられる。ぼんやりと明るくなった視界には、自分たちを取り囲む虚ろな人々が映っていた。
「これは……」
 呟いた頼廉の元へ、一本の矢が飛ぶ。頼廉はそれを既の所で躱した。銃声が鳴り、義龍の構える銃口から硝煙が上がる。弓を構える相手に、それは確かに命中していたが、胸に穴が空くばかりだった。空いてはいる。だが、倒れることもない。各々は相手が生物でないことを悟った。
「ら、頼廉! 何とかしなさいよ!」
「承知」
 義昭の叱咤を受け、頼廉は地面を蹴った。敵は確かに人間の姿をしている。近付いてみると、目に生気が宿っていない。頼廉は数人をまとめて薙ぎ払った。手応えはある。そして、倒れもする。しかしすぐに起き上がり、傷を受けた様子もなく、ただ頼廉らに迫る。
 惜しみなく銃弾を浴びせようと、鎧を纏った兵は前に進む。四方を囲まれ、次第に距離を詰められる。
「ちいっ!」
 苛立ったせんが機関銃を構え直す。その瞬間、せんは目を見開いた。未来と過去が繋がる。同じく時を遡った孫市と順慶も、包囲の外に降り立った。一行を取り囲む人型の異形を見つめ、躊躇する。
「何だ、こいつら?」
「……人ではありませんね」
 順慶は鋏を閉じたまま掴み、背後から敵に斬りかかった。刃先は虚空を斬り裂く、ように思えたが、微かに何かが切れる音が順慶には聞こえた。糸が切れたように、一体が倒れこむ。それからぴくりとも動かなくなった。
 紛れ込んだ違和感に気付いた頼廉が、順慶と孫市の姿を認めて僅かに眉を顰めた。孫市は目前に銃を乱射し、敵を蹴散らした隙にその背を乗り越え、順慶と共に一行の元へ飛び込んだ。
「よう」
「無事でしたか、頼廉殿」
「孫市、順慶殿……何故、ここへ」
「話は後だ。俺が来たからには、さっさと片付けんぞ」
 銃弾が飛び交い、その下を鬼武蔵が突撃していく。徐庶は義昭を護衛し、山三郎は敵兵の攻撃を回避するに留まっている。順慶が倒した他に兵が減る様子はなく、包囲は狭まっていく。
「行くぞ、孫市」
「ああ、背中は任せろ」
 焚き火の灯りが揺れた。頼廉はぐっと棍棒を握り締めて振り上げ、孫市は銃を構えた。
「諸行無常よ」
「決めるぜ」
 棍棒に光が伝う。銃口には朱く灯る。
「滅せぬものなどない」
「愛は不滅さ」
 集まった灯火は閃光となり、一気に振り下ろされた棍棒の機動に沿って走る。また銃弾は焔を纏いながら、扇型に飛び散った。ぶち、ぶちぶちと、糸が切れるような音が雷鳴に混ざって、受けた兵は倒れていった。
 その頃、夜空に輝いた光を、帽子の下から見上げる者がいた。虫眼鏡を闇に翳し、片目をぱちりと開く。
「おやおや」
 目を閉じ、ひょこひょこと歩き出した。やがて見えてきたのは、人とも知れぬものに囲まれ戦う集団だ。
「はて……」
 安国寺恵瓊は、顎に指を添えた。ぎこちない動きで武器だけを振るう鎧武者たちの影に、どこか見覚えがある。恵瓊は歩きながら記憶の糸を辿った。確か、前に。思い当たることがあって、漸く駆け出した。虫眼鏡を掲げる。
「今こそ好機……」
 硝子を取り巻く珠が輝いた。順慶は顔を上げてそれを見た。頼廉も目で追う。義龍などは、気にすることさえなく淡々と引き金を引く。
 虫眼鏡の中心からぴっと光の線が数本射出され、歪な武士の背に突き刺さる。やはり切れる音があって、命中した数体が倒れた。
「予見しておりましたよ」
 恵瓊はくすりと笑った。それから声を少し張り上げた。
「狙うべきは本体ではなく少し上、その背まで張り巡らされていると思われる糸の方です。糸を切ると、動きは止まります」
 これを聞いた長可が人間無骨と呼ばれる名槍を持ち上げる。
「お、お任せしやがれで、ございますよぉおおお!」
 その後は何を言っているものか最早誰にも分かったものではないが、長可は勢い良く敵の方へ飛び込んだ。一振りで数体の敵が倒れていく。
「俺の分も残しておいてくれよぉ!」
 長可の後ろから、せんが機関銃を乱射する。宗麟はキュルキュルと国崩しで移動しながら、火の吐いた大玉を投げた。ややあって爆発し、糸を切るばかりか身体こそふっ飛ばしてしまう。
「いやそれ撃たねえのかよ!」
 思わず孫市が叫んだ。宗麟は首を傾げる。
「お主は何を言っているのであーる?」
「……捕捉」
 ぱあんと弾丸を放つ義龍には、どうやらその騒ぎも聞こえていない様子だ。
「きゃあ!」
 今度は一層甲高い声が響く。義昭に刃が降りかかろうとしている。頼廉は一歩踏み出したが、そこで止まった。
「はあっ!」
 ひらひらとした布が舞い、徐庶が跳ぶ。徐庶は投げた自らの糸に引かれ、剣を足元へ向けたまま空中から一閃に飛び降りた。兵の背中を滑るように着地する。それだけで兵は支えるものを失くして地に臥していた。
「ふう……」
 一息吐いた徐庶に、義昭が駆け寄る。
「アンタ、やるじゃないの!」
「ええと、その、ありがとう……?」
 素直に喜んでいいものか迷いながら、徐庶は首を傾げた。
 一方で、手の内にある賽を弄んでいただけの山三郎が、不意に賽を放り投げた。一つ、二つ、投げる度に懐から追加し、五つほどになったところで、山三郎はそれを残る敵に向かって振りかぶった。
「美しく儚いね」
 大凡人の手から放たれたとは思えない速度で賽が飛ぶ。
「花の散り際かな」
 賽は兵の額に撃ち込まれ、よろめいた隙に頼廉が打ち払った。
 包囲は減っていた。あと少し。順慶は磨き上げられた鋏を両手で握り、構えた。
「泰平の世のため」
 目を閉じる。喧騒は遠くなっていく。やがては何も聞こえなくなる。順慶は目を開いた。細い風がふわりと順慶の袖を膨らませる。
「お救いします」
 烈風が吹いた。ぐるりと駆け巡るそれに、焚き火が掻き消される。風が止んだ。辺りは静寂に包まれていた。
「……これで終わりでしょうか」
 音はない。闇に三度灯りが燈された。小さく揺れる火を囲みながら、各々の無事を確認した。
「しかし、一体……」
 順慶は足元に転がる、先程まで敵だったものを見下ろした。生きていたとは到底思えない。触れて見ると、肌はつるつるとしていた。木肌を撫でているような触感だ。
「以前、見た覚えがあります」
 そう言ったのは恵瓊だったが、孫市は話を始めようとする恵瓊を制止した。
「詳しい話は後でだ」
 時の止まった陣地に戻ってきた孫市らは、事のあらましを説明し、改めて恵瓊に尋ねた。恵瓊は首を捻りながら答える。
「私は流浪の生活を続けておりました。ある日、同じように生気のない相手に出逢ったのです。それはどうやら、背中に見えない糸が伸びているらしく、背を狙えば動きを止めることが出来ていました。ですから、今回もと思ったのです」
「まるで操り人形のようですね」
 順慶はぽつりと呟いた。笠の下に、ある人物の名が思い浮かぶ。
「ただの傀儡ではないと……。もしやとは思うのですが、あの方々の仕業では……」
「あの方々?」
 孫市が聞き返す。順慶は頷いた。
「ええ。……三好長慶、松永久秀。戦国の世で、私が争っていた相手です」
 温い風が陣地に噴いた。酒宴の準備を終えて呼びにきた蘭丸は怪訝そうに首を傾げたが、語ることなくその席へと出向いた。




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