心根


 そもそも、最初は友人として慕っていたのだ。
 壁に手を突き、背後から揺さぶられながら、それでも冷えた頭で頼廉は考える。
 一夜の過ちに留めるはずが、それからも何度か乞われるままに身を交えてしまっている。何でもする、と。言葉の意味は確かに重い。
 自分は都合のいい相手なのだろう。誘えば応じ、一切の抵抗なく受け入れる。自ら準備をしていくこともある。一体いつから恋慕を寄せてしまっていたのか、自慰に慣れた身体は容易く開く。
 抱かれたいと思っていたわけではない。諦めていたからこそ、押し込めることを止めたのだ。それがどのような経緯と理由であれ叶った故に、歓喜の喘ぎは溢れ出す。
 この日も先に達してしまい、頼廉は脱力したまま汗を浮かべ、身の内に種を流し込まれた。
 事が終わると、孫市はよく、壁にもたれかかる頼廉の胸に顔を埋めた。子供のようだと思いながら、頼廉は決まって長い髪を撫でてやる。そして孫市は何も言わずに、頼廉の腰を抱き締める。
 友が何を求めているのか、頼廉は図りかねていた。性欲を発散させる場として選ばれたのなら、おざなりに済ませてしまえばいい。だがそういうことは殆どなかった。いつも気怠い空気を纏ったまま朝まで共に過ごした。
 どれほど身体を重ねようと――重ねるからこそ、情欲は降り積もる。流浪の孫市は三ヶ月に一度来れば多い方だ。遠方で戦があれば逢わない時期はより長くなる。その仕事が終われば戻って頼廉を抱いたが、どうしても空白は埋められなかった。
 他の僧が寝静まった深夜、平時は腰に巻いている布を咥え、服を乱し指で後孔を弄る。ぬらぬらと光る陰茎には触れず、直腸の中だけを探る。少しだけ感触の違う部位を指の腹で強く撫でる。涎を布に染み込ませ、息を呑んだ。
 ただ無心で耽っていた頃とは違い、今は明確な記憶と経験がある。それが積み重なる程に自慰も激しさを増した。潤滑剤がなくとも肛門は易々と異物を呑み、触れずとも白濁の汁は飛び散る。床に突っ伏し、噛んでいた布を外す。
 夜闇と静寂が部屋に充満していた。罪悪感が酷く胸を蝕んだが、ゆっくりと起き上がった。
 日が高いうちは、衆徒を束ね憧れられる人間でなければいけない。また自分からもそうあろうとする。願われる故、願う故。頼廉は清廉に生きてきた。全ては孫市と友誼を交わすときまで。
 ある夕方。突然降りだした豪雨の中に身を投げ出し、頼廉は目を閉じた。雷雨に掻き消され雑音は耳に届かない。ゆっくりと、雨と稲妻だけが鼓膜を揺るがす。身体が濡れる度に浄化されていく。そんな錯覚さえ覚えて、頼廉は目を開いた。
 穢れだと分かっていて、自分は。
 清浄であろうとした。あろうとしている。だが同時に、忌み嫌っていた不浄へ落ちようともしている。雨に打たれたところで流し出せないほどに穢れは溜まっていた。
 散々孫市の女癖を窘めてきた頼廉だが、例の夜以降は口出しすることもなくなっている。それもまた、罪悪感による傾向だ。
 お風邪を召されます、という声がかかって、頼廉はずぶ濡れの服を引き摺って屋内へ向かった。
 一人の僧が身体を拭き取る布と着替えを用意し、頼廉に差し出した。頼廉は簡単に礼を述べ、重い服を脱いだ。じとりと濡れた肌には戦で負った傷がいくつか残っている。
 いつまでも退室しない僧を不審に思い、腕を拭いながら頼廉は肩越しに声をかけた。
「拙僧に、何か他用があるのか」
 言われた僧は押し黙り、俯いている。頼廉は身体ごと向き直った。盛り上がった筋肉が雫で輝いている。
 手拭いが落ちた。視界には天井と僧の顔だけが入る。頼廉は自分が押し倒されたことを知った。自分よりも年の若い相手は切羽詰まった様子でこちらを見下ろしている。
「……頼廉様」
 熱の篭った声で名を呼ばれ、頼廉は、言い様のない寒気を感じた。
「そのようなお姿を何の警戒もなく晒さないで頂きたい」
 言葉の一字一句に嫌悪感を覚える。触れられていることが酷く憎く、気味が悪い。腰に当たる物体にいよいよ吐き気を催し、しかし頼廉は表情にはおくびも出さずに優しく突っぱねた。
「気の迷いだ」
 頼廉が本気を出せば力尽くでは敵わないと思ったのか、僧は大人しく頼廉の上から身を引いた。起き上がり、頼廉は静かに息を整える。ざわつく胸を抑えつけて着替えの服を手に取った。鳥肌の立った腕を隠すように纏う。
「一時の迷いに身を任せてはならぬ」
「しかし、私は前からあなたが」
「もう良い。今日は休め。……不問に致す」
 まだ何か言おうとする僧を、頼廉はじろりと睨んだ。それで相手は出て行った。一人の部屋に雨音が響く。
「……禊を」
 身体を清めなければ。
 何故だか、そういう強迫観念に苛まれていた。既に汚れた身で、何を。自虐するも鳥肌は収まらない。
 ひと月経った。孫市は再び摂津を訪れていた。
「よう。変わりはねえか」
「孫市こそ、大事はないか」
 互いの無事を確認し合い、二人きりで町を歩く。暫く雑談をしながら歩いていたが、やがて外れの荒屋にひっそりと消えた。
「悪いな、遅くなって」
 服の隙間から弄る手を頼廉は一切嫌だとは思わない。むしろもっと近くへ、とさえ願う。再会して真っ先にすることではないだろう。咎めようともしたが、咎めるだけの理由もなかった。
「拙僧の何処がいい」
 戯れ程度に聞いた。答えは期待していない。孫市は手を休め、首を捻った。
「何処っつうか」
「男に興味はないのだろう。何が楽しい」
「別に楽しくはねえよ」
 首筋に無精髭があたり、頼廉は少し身を捩った。
「ただ、ここ最近は妙でな……」
「妙?」
 孫市の頭を抱きながら、聞き返す。密着しても嫌気は差さない。それどころか何処かが満たされた気分になる。
「せっかく女を口説き落としても、気が乗らねえ」
 頼廉は腕を解いた。垂れ目に浮かんだ瞳を見つめる。薄いこの色が美しい、とさえ思う。
「あれからずっとそうだ」
 胸に、水晶のようにきらめく何かが溜まる。
「……責任は取ってもらうぜ? こっちも結構たまってんだ」
 ボロボロの床に押し倒される。頼廉は、その力に従った。孫市の首に手を回す。心が満たされていく。
「ああ」
 頼廉は薄く微笑んだ。孫市はちょっと驚いたように目を丸くした。満足気に微笑み直し、頼廉は孫市の服を引っ張って、現れた肩の刺青に軽く口付けた。赤い薔薇の刺青に唇が沈む。
「孫市」
 名前を刻む。それだけで満たされる。一人で欲情するのも、特定の相手だけに嫌悪感を抱かないのも、全ては同じ理由なのだとやっと気付いた。
 これは、恋だ。
 消そうと思っても消えるものではない火種が、燃えている。
 かさついた唇が重なった。苦い味が広がったが、粛々と飲み込んだ。




▲ページトップへ
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -