億光年のさざめき


 その日、本願寺には数本の笹が持ち込まれていた。
 下間頼廉は口を薄く開いて笹を見上げた。何の話も聞かされていない。笹の周りで飾り付けをしていた坊主を一人捕まえ、理由を質した。
「何をしている」
「ああ、頼廉様。何でも七夕の準備であるとか」
「拙僧は聞いておらぬ」
 厳しい、本人にとってはいつも通りの口調で問いかけると、この親戚は目を泳がせた。
「……孫市殿が、知らせると止められるだろうから、と」
「やはりな……」
 額に左手をあて、頼廉は軽く溜息を吐く。自分は戒律に厳しい。それは自覚している。だからといって無断でいられるのは、少々参る。
「顕如様は」
「当然、ご理解頂いています」
「ならば良い。拙僧も手伝おう」
 頼廉が作業を始めると、それを見かけた他の僧たちも手を貸すようになる。日が傾く頃には、笹は全て紙細工で飾られていた。
 空が茜色に染まる。頼廉は一人でそれを眺めていた。雑賀衆は総員を纏めた後、こちらへ来る手はずになっていると聞いている。門番も兼ねて待っていると、男を筆頭とした一団が姿を現した。
「よう、頼廉」
 雑賀孫市は上機嫌な様子で片手を上げ、頼廉に向けて振った。頼廉も控えめに振り返し、しかしすぐに眉を顰める。
「孫市。来るのなら来ると言えばよかろう」
「あー、悪かったよ。つかお前、今日は夕方まで出かけてるんじゃなかったのかよ」
 確かに、元々はそういう予定だった。当日になって急に潰れた予定だ。だが頼廉は孫市にその事実を伝えていない。誰が洩らしたのだ、と思う反面、相手が相手だ。知られたところで何も痛くはない、とも思う。
「そのつもりでやってたのに、俺の計画丸つぶれじゃねえか」
「だから、何のことだ」
 そろそろ詳細を教えて貰いたい、と半ば焦れ気味の頼廉に、孫市の後ろからぴょこりと顔を出した暖色の少女が微笑む。
「うふふー、元々は頼廉様をびっくりさせちゃおう作戦だったんですよ! まあ頭領の読みが甘くて失敗しちゃいましたけどね!」
「俺はそんな作戦名をつけた覚えはないけどな」
 わしゃわしゃと、孫市は蛍の頭を撫で回した。雑賀衆にはこうした少女が多い。皆、戦で身寄りを失くしている。早くこの世を終わらせなければ、孤児は増える一方だろう。自分の身を守るだけではなく、乱を平定しなければ。頼廉は蛍を見つめながら、じっと考え込んだ。それを見た孫市は、今度は頼廉の頭を軽く叩いた。不意の事態に頼廉は困惑した顔を見せる。孫市は歯を見せている。
「お前、また真面目なこと考えてるな?」
「……それより、結局説明にはなっていない」
 漸く歩き出し、門をくぐり抜ける。境内には飾り付けられた数本の笹が立っている。その周りを囲んだ。
「たまには肩の力抜かねえと生きていけねえぜ?」
「頭領は抜き過ぎですけどねえ」
「うむ」
「おいおい……普通にひでえな」
「集合中に女の子引っ掛けようとしてた頭領に言われたくないんですけど」
「……孫市」
「な、何だよその目。蛍、余計なことは言うなっての」
 雑賀衆はくすくすと笑った。茜色は闇に沈みだしている。頼廉は雑談を切り上げ、もう一度説明を乞うた。
「何故拙僧には話さなかった」
 すると孫市はやはり答えず、代わりに女子の一人を呼んで何かを受け取った。どうやら短冊の束らしい。そこから適当に一枚抜き出すと、頼廉に手渡す。
「ほら、これ」
「いや、拙僧は……」
「本願寺の奴らには先に書いて貰ってたんだが、お前は帰ってきてからにしようと思っててさ。予定が狂ってたわけだが……」
 頼廉が改めて見渡すと、いくつかの笹に短冊がもうぶら下がっているのが見える。こうなると頼廉の疎外感は益々大きくなる。何故、自分だけが。答えは未だに返されていない。
 蛍を始めとする雑賀衆はこぞって短冊を吊るし始めた。見上げた空に点々と星が浮かび始めている。
「拙僧に、祈るような願いはない」
 短冊を手にしたまま頼廉はきっぱりと言い捨てた。孫市は頭をぽりぽりと掻いて、首を捻る。
「機嫌悪ぃな。言わなかったこと、怒ってんのか?」
 そう指摘されて頼廉は漸く不貞腐れていたことを自覚する。だが、首を振った。
「目指すべきものはあるが、それは他の力でどうなるものではない」
「本当にお堅い奴だぜ。もっとこう、気楽なもん書けばいいだろ?」
「気楽すぎると思いますよ?」
 蛍がまたひょっこりと顔を出す。何だよ、と言う孫市を無視して、蛍は頼廉を見ながら笹を指差した。頼廉はその先を視線で追う。そこには一つの短冊がひらひらと揺れている。
「美人にもてたい」
 名前はなく、そう書かれた短冊に、蛍は携帯していた小型の銃を向けた。
「おいおい、こんなところで銃出すなっての」
 慌てる孫市だが、さらに二人は知らぬ顔を決め込む。
「頼廉様、あれ撃ち抜いていいですか?」
「そうしてくれ」
 頼廉はあっさり頷いた。孫市は蛍の銃を抑え、喚く。
「まず俺に許可をとれよ!」
「予想通りの願いだな、孫市」
 冷ややかな瞳を向けられ、孫市は閉口する。暫く睨んでいた頼廉だが、その眉間から不意に皺が消えた。
「怒っていたというよりは、少々辛く思えていた。拙僧は入るべきではないのかと」
「……悪かった。完成してからお前を呼ぼうと思ってたんだよ」
 二人は空を見上げた。暗がりに白が鏤められている。その中に、一際大きな光の川が流れている。
「お前が帰って来てこれ見たらまず吃驚するだろうってな。その顔が見てみたかったんだが、最初っから潰れちまった」
「悪趣味だ。今に始まったことではないが」
「やっぱり怒ってんじゃねえか」
 孫市は片眉を上げて頼廉を見た。頼廉は星から目を下ろし、孫市を見返した。やがてどちらともなく笑った。気が付くと、外には二人以外残っていなかった。
「あいつらなら先に入って夕飯の準備手伝ってると思うぜ」
「そうか」
 頼廉は再び天の川を仰いだ。隣の孫市も真似をする。
「気に入ったのか?」
 問いかけると、頼廉は僅かに頷いた。
「日頃は、空を眺める余裕もない」
「もう少し外にいるか?」
「……いや、お前が戻るなら従おう。一人で眺める意味もないだろう」
 頼廉は穏やかに口元を緩めて、孫市を見つめた。間があって、孫市は深く溜息を吐いた。
「どうせなら女性に言われたかったぜ……」
「孫市」
「冗談だ、冗談」
 寒気を感じて、孫市は両手を左右に振った。静まり返る。やがて遠くから蛍の元気な声が二人を呼んだ。その場を離れようとして、孫市がふと足を止める。
「それ」
 指差すのは頼廉の手にある白紙の短冊だ。
「あとで書いとけよ」
「……ああ」
 もう、書くことは決まっている。頼廉は孫市の後を追って歩いた。
 数刻後、天の光に照らされたその短冊には、達筆な字で、
「彼らに幸があらんことを」
 そう、温い風に揺れていた。




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