面倒な火傷 | ナノ

面倒な火傷


 ピピピピピ。
 無機質な電子音が一人の部屋に響く。ベッドに寝転び見渡すと、思っていた以上にこの部屋は広い。
 ふう、と息を吐いた。頭が重い。目の高さまで上げた体温計に示されている温度は、四十度近く。久し振りに見る体温だ。ここ最近は仕事でもプライベートなことでも忙しく、眠る時間の遅さや肉体的精神的な疲労が祟りでもしたのだろうか、とぼんやり考える。
 さらりと靡く茶髪を振りながら、宗茂は上半身を起こした。
 朝のうちに会社への連絡は済ませた。流石に食事は確保しなければと近所のコンビニで弁当を買い、朝食兼昼食を平らげた。元々食べる方だ、少し食欲が落ちてもどうということはない。凡人並みには食べられる。
 ベッド際に置いた、鳴らない携帯電話を眺めて宗茂は溜め息を吐いた。
「……ああ、面倒だ」
 再び枕に頭を沈める。頭に浮かんだ面倒なことはいくらでもある。復帰した後の仕事、自分の分を請け負ってくれた誰かへの謝礼、この身体の怠さ、下がらない熱。それと、もう一つ。何より面倒な案件が最後に思い浮かんでもう一度溜め息を零す。
 目を閉じ、微睡んだ。どうせすることもないのだ、眠ればマシにもなるだろう。そう諦めたように考え、宗茂は眠りに入った。
 どれくらい寝ていたのだろうか。ゆっくりと目覚めたときには、窓はもう太陽を映していなかった。差し込むのは人工的な味気ない光のみで、無意識に開いた携帯電話のディスプレイには午後六時を過ぎたデジタル時計が表示されている。
 少し寝過ぎたか。音にならない声で宗茂は呟いた。身体を起こし、ベッド脇に座る。不意に喉が痛んだ。
「っう、げほ、けふっ、う、ぇ、っく……」
 胸を掴み、激しく咳き込む。治まるのは早かったが、それでも結構な体力を消費してしまった。整った顔に汗が浮かぶ。
「……本当に面倒だな」
 再び体温計に頼ると、四十度は下回っていた。どうにか今日中には下がってくれそうだ。宗茂はそれだけに安堵し、立ち上がった。洗面所に赴き、顔を洗う。鏡に映った顔色はまだ悪かった。いい男が台無しだ、と隣に誰かの姿があれば軽口も叩いただろう。
 ――誰か、なんて。
 宗茂は思う。隣に居て欲しい人間なんて、決まっている。
 インターホンが、鳴った。
 怠い足で進む。視界の端に映った柱時計が午後七時を差し掛けていたのを確認し、玄関に辿り着くなりドアノブを回した。ギィ、と重苦しい音がして扉が開く。草臥れた革靴が見え、続いてやはり草臥れたスーツが見えた。そのまま目線を上げていく。最後に確認したのは来訪者の顔だった。
「やあ。思ったよりは辛そうだね」
「……毛利、さん」
 にこりと眉を下げて笑うのは宗茂の、直接ではないが上司である元就だった。ぼさぼさに伸びた髪をいつも後ろでゆるく結んで、切ればいいと何度提言しても面倒だからと一蹴されてきた。ただえさえ犬のような顔をしているのだから、余計に愛らしく見えるのだと囁いても効果はないらしい。返事もせずにそんなことを考えていた宗茂を訝しく思ったのか、元就は首を傾げた。
「……もしかして、御節介だったかな?」
「あ、いや、そういうことでは……その、」
 宗茂は訪問者の手に提げられた袋へ視線を動かした。スーパーらしき店名の書かれたビニール袋。隙間からは食材のようなものが見える。
「見舞いに来てくれたんですか?」
「うちの子達を代表してね」
 私個人の気持ちではないと言外に含まれているのが痛いほど伝わったが、宗茂はそれでも嬉しく思った。と同時に、そんな他愛ない社交辞令じみた行為で一喜一憂する自分を嫌だとも思う。餓鬼のようだ。自分が好んで使う蔑みを自分自身の心に投げかける。
「入って下さい。外はまだ寒いでしょう。貴方まで風邪をひいてしまう」
「君こそ、うつさないようにしてよ」
 元就は笑いながら家に上がり込んだ。
 休んでいていいと言われたので、ベッドに腰掛けたまま宗茂は元就の行動を見守る。テーブルにひとまず袋を置き、中からがさごそと色々なものを取り出す。見る限り、卵粥を作る気でいるようだ。
「元就さんが料理をしているところを見たことがないんですが」
「ん? まあ、今は一人暮らしだからね」
 曖昧な返事をし、元就は台所へと消えた。戻ったのは数十分経ってからだ。わざわざ掘り出したのか、暫く使ってなかった記憶がある一人用の土鍋を両手で持ちながら姿を見せた。
 姿こそジャケットを脱いだだけの、普段職場で見かける元就のままだったが、宗茂にはそれがかえって新鮮に見せた。
「こうして元就さんが毎日料理を作ってくれたら幸せでしょうね」
「私は面倒だけどね」
 元就はテーブルに土鍋とレンゲを置くと、手招きで宗茂を呼び寄せた。
「さ、どうぞ。ああ、見舞いの品は台所に置いてきたよ。果物とかだった気がするけど」
「……貴方からは」
「何だい、夕飯の世話以外にまだ欲しいって言うのかい?」
 一つしかない椅子に宗茂が座ったので、元就はテーブルに肘をついて立っている。中途半端に屈んで腰を痛めないのだろうか、と宗茂は余計な心配をする。
「そうですね、例えば、これを手ずから食べさせて下さるとか」
「そうやって冗談を言えているうちは大丈夫だね」
「……あ、今急に頭痛が」
 手を額に翳し、宗茂はふらつく真似をした。元就の乾いた笑い声が耳に届く。
「全く。こんな年寄りに食べさせられるのが嬉しいのかい?」
「ええ、とても」
 きっぱりと言い切られ、元就は苦笑した。この若者にただならぬ思いを告げられてからもう一年は経つ。その間ずっと、仕掛けられてくる全てのアプローチを流してきた。若さにしては誉めた忍耐だとは思う。思えば、会社から出ると名前で呼ばれるようになったのもその頃からだ。
「……まあ、君のように業務をこなせる若い子が他に居ないことだし、変な事で風邪をこじらされても困るしね」
「何です?」
 小さく、しかも捲し立てた元就の声を聞き取れずに眉を顰める宗茂だったが、その元就が土鍋の蓋に手をかけたのを見て、眉を上げた。元就の手はさらにレンゲへと伸び、粥を少し掬って宗茂に見せる。
「ほら。冷たくなる前に食べなさい」
「……何してるんですか、元就さん」
「何って。君が言ったんじゃないか」
 目を丸くし、己を見上げる様子は年相当だ。瞳に映った自分を見ながら元就はそう思い、無意識に微笑んだ。
「風邪をうつされたくもないし、早く帰りたいから、さっさと食べてよ」
「相変わらず内でも外でも飴と鞭が上手いですね、元就さんは」
「それはどうも」
 にこりと笑いながら元就はレンゲを宗茂の口に押し付けた。半ば強引に粥を突っ込まれながら、宗茂は全く靡く様子を見せない年上の思い人を観察する。
 ――頬がいつもより少しだけ紅いことに俺が気付かないとでも思ってるんだろうか、この人は。
「取り敢えずは脈ありと見てもよろしいですかね」
 もごもごと柔らかい米を咀嚼してから、宗茂は元就に笑い返した。
 返事の代わりに、再び熱いレンゲが襲いかかった。




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