春景5


 蒸し暑い夜を抜けて駆ける。ひらひらと袖が羽のように羽ばたく。
「兄上」
 隆景は手を引く兄を呼んだ。元春は無言のまま走り続けている。このまま何処へ行くのだろうか。それすら隆景は知らない。突然外へ行こうと腕を握られ、連れ出されたのだ。
 元春が夜中に自分を連れてこっそりと抜け出すのは今に始まったことではない。いつも無断で姿を消しては叱られてきた。だから隆景も、またか、と思っただけだ。そして兄がこうするときはいつも、何かを教えてきてくれた。
「何処へ行くのですか」
 問答に意味はない。己がここにいると証明するために声を上げている。元春はやっと口を開いた。
「すぐに分かる」
 答えになっていないと思いながらも、隆景は元春の手をぎゅっと握った。
 木々の隙間を縫って丘を駆け上がる。獣や虫の声が遠くに聞こえる。兄上。もう一度呼んだ。汗ばむ肌以外は何も応えない。
 足元が土から草原にと変わってきた。同時に頭上から木々が消えた。ぱっと開けた場所に出る。元春がにっかりと笑った。隆景は嫌な予感がして足を止めようとした。その瞬間手をぐっと引っ張られ、元春もろとも草の絨毯へと飛び込む。
 元春が下敷きになったとはいえ、身体を打ち付けた隆景はむぐ、などと呻いた。笑う元春を睨み上げる。
「兄上!」
「ははは、豪快にいったなあ」
「……誰のせいですか」
「ああ、俺だ」
 元春は両腕を伸ばしてごろりと寝転がった。押し退けられた隆景は溜息を吐き、その場に膝を立てて座る。
「見ろよ」
 元春が空を指さした。隆景は殆ど反射的に指を追った。済んだ空気の先には暗い空が広がっている。はずだった。隆景は息を呑んだ。もう何度目になるか分からない。言葉が尽きるほどの光が空に鏤められている。
 青白い光が水飛沫のように闇を覆う。ぽつりぽつりと強く光るものもあれば、淡い光の集まった川もある。音はなかったが、隆景の耳にはせせらぎが聴こえたような気がした。
 ふと隆景が傍の元春を見下ろすと、元春は柔らかい笑顔で只管に星を見上げていた。その大きな瞳に光が宿る。隆景は暫く瞳の星に魅入られた。そっと。手を伸ばしてしまいたくなる。
 元春の唇が震えて、隆景はすぐに目を逸らした。
「ほら」
 瞳だけが隆景を映して笑う。
「来てよかっただろ」
 星が回る。歯を見せる元春に、隆景は口元を緩めるだけで返した。
 ああ。瞬く星よりも眩しく美しい。
 決して言葉に出すことのない想いは夜風に溶けていく。
「……戻りましょう。父上が心配します」
「ああ……そうだな」
 やっと立ち上がり、二人は歩いてきた道をゆっくりと辿り始めた。その背を二つの淡い山吹色が追うのに、ついぞ気付かないまま。




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