ゆめうつつ | ナノ

ゆめうつつ


 燭台の灯火が爆ぜる。ぱちり、音を立て散らす火花を松永久秀は満足気に見つめる。
「良いものを見つけたのですが」
 久秀が振り向いた部屋の隅には主である三好長慶が座している。長慶は目を伏せたまま口角を釣り上げた。
「好きにするがいい。傀儡にも使えぬ情けない駒よ」
「屈強な武士を操ることだけに快楽を覚えるとは、長慶殿も悪趣味ですねえ」
「貴様が言えた口ではあるまい」
 じろりと睨む長慶の悪意もお構いなしに久秀は微笑み、肩に乗せた大きな蜘蛛を撫でる。
「では、お言葉に甘えましょう」
 久秀はにやりと笑ったまま蝋燭に息を吹きかけた。ひゅうと炎が揺れ、掻き消される。元々薄暗かった部屋は唯一の灯りさえ失い、闇に沈む。人の気配すらなくなり、長慶は床にもつかずに目を閉じた。
 蜘蛛に囲まれた部屋で久秀は恍惚の表情を浮かべる。撫でる指はとても愛おしそうで、彼が心底蜘蛛を愛していることが見て取れる。久秀にとっては、そして長慶にとってはそれが日常。だが、ここへ呼び出された荒木村重からすると異常でしかなかった。
「どのような……用件でしょうか」
 声の奥底には畏怖が響いている。跪く村重に近付き、久秀はその顎を持ち上げる。たらりと村重の頬から汗が伝い落ちた。
「何、そう怯えずとも良いのですよ」
 強張る村重の手に蜘蛛が触れる。悲鳴を上げそうになるのを堪え、久秀から目を逸らす。蜘蛛に無礼を働けばどのような報復を受けたものか。考えただけでも恐ろしくなる。裏を返せばそこまで愛情が深いということでもあり、心根は優しいのだろうか、と村重が考えたところで責められる由はない。
「大した用でもないのに呼び出してしまい、私も心苦しいのですが……」
 村重から手を離し、久秀は眉を下げ哀しそうな顔を作る。その言葉と表情を信頼し、村重はとんでもないと首を振った。
「私でよければ、何なりと……」
 そう、口にしてしまう。久秀の口元が緩み、目には深い黒炎が宿る。村重はそれに気付く前に、手から伝わる痛みに顔を顰めた。慌てて見ると手の甲にはまだ蜘蛛が座っている。
「おや、どうか致しましたか?」
 見上げた久秀の笑顔すらも歪んで映る。皮膚には脂汗が浮き、口は閉じることが出来ず端から唾液が溢れる。そんな村重の様子を見て久秀が満足気に頷き、手の甲から蜘蛛を抱き上げた。
「クク……この子たちは死に至る程の毒など持っていませんよ」
「あ……ぐ……」
「ただ……」
 畳に這いつくばって呻く村重を見下し、久秀は微笑む。
「慣れていなければ、少々苦しむかもしれませんがねえ」
 泡状になった唾液がぽたりと落ちる。喉を抑え藻掻く村重の瞳には久秀を捉えるだけの余裕もない。顔が青白く染まる。数匹の蜘蛛は遠巻きにそれを眺めている。
「お……お助け……を……」
 やっとの思いで言葉を捻り出す。久秀は自分の髭を触りながら首を傾げた。まだ、己の欲求は満たされていない。しかし、とも思う。何も機会は今日限りではない。
「仕方がありません」
 久秀は肩の蜘蛛を抱き上げ、背に軽く口付けた。四対の脚がくるくると動く。そのまま村重の傍で膝をつき、ぱっと目に光を灯しかけた村重に笑顔を見せる。
「この続きはまた今度のお楽しみ、ということにしておきましょう」
 村重の目が見開かれる。だがその口から言葉が発せられる前に、久秀は蜘蛛を村重の体表に放ち、自らは首に手をかけた。両手にゆっくりと力を加える。
「な、にを、おや、め、ぐっ、ううっ」
 呻く村重の皮膚に蜘蛛の牙が食い込む。久秀は馬乗りになり、さらに首を絞めた。生死の境界線を超えぬよう、慎重に。時折力を緩める。
 やがてはっと息を吐いて、村重はかくりと項垂れた。閉じた瞼の隙間から液体が流れる。久秀が耳を近付けると、微かな吐息が聞こえた。
 高笑いを堪え、久秀は村重を別室に寝かせると、再び長慶の部屋へ向かった。
 主の部屋にここまで気軽に立ち入るのは久秀くらいのものだ。突然開いた戸にも長慶は特別な反応を見せることがない。壁に寄り掛かったまま目を覚まし、不機嫌な声を上げた。
「随分と早い帰りよな」
「ええ。やはり脆い」
「その割には上機嫌ではないか」
 長慶はおもむろに立ち上がった。いつの間にか久秀が燭台に灯りを入れており、照らされた顔はほんのりと上気していた。
「だからこそ、貴方の元を訪れたのですよ。……長慶殿」
「ふん……」
 長慶が手を伸ばす。久秀は誘われるようにその腕の中へと身体を差し出した。
「たっぷりと相手をしてやろう」
 灯火が熱に揺れる。

 朝日に照らされ、村重は目を覚ます。身体が酷く怠い。
 起き上がり、表で顔を洗った。水面には青白い自分の顔が映っている。悪酔いでもしたのだろうか。昨夜の記憶がない。そもそも自分が何故あの部屋で眠っていたのかも分からない。
 疑問に首を傾げていると、背後に気配を感じた。
「お目覚めですか、荒木殿」
 勢い良く振り向く村重に、久秀はくつくつと喉を鳴らす。
「どうしたのですか、そう慌てて」
「あ……いえ……」
 久秀が一歩前に出る。村重は無意識に井戸の縁を掴んでいた。悪寒がする。それが何処から来るものなのか、村重には分からない。
「昨夜の深酒がまだ身体に残っているのでしょう。あまり出歩かない方がよろしいと思いますよ」
 久秀は笑いながら肩の蜘蛛を撫でる。村重は重い頭痛を覚えた。蜘蛛が、恐怖に思える。元々好意を抱く対象ではない。だが今は、心の底から恐ろしい。
「では、私はこれで」
 少し身体を引き摺るようにしながら、しかし上機嫌に久秀は立ち去った。
 残された村重は口元を抑え、理由も分からないまま暫くその場に蹲っていた。




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