厳島高校 | ナノ

厳島高校


 予鈴が鳴り、今日も一日が始まる。
「起立!」
 日直であるジャージの男子生徒が号令をかける。
「礼!」
 数名しかいない生徒が号令に従う。
「おはようございます」
 バラバラな挨拶を聞き、担任は日誌で教卓を数回叩くとふわりと笑った。
「ああ、おはよう……」
 だが、担任――弘中隆包はすぐに笑顔を崩し、眉を寄せて普段通りの真面目な表情を作る。
「ではない! 何だこの状況は……」
「何だって何が」
 半袖のワイシャツに微妙な色のベストを着た、学生と呼ぶには些か苦しい生徒が言う。
「まずお前が普通にそこへ座っていることも気になるのだがな、元就」
「そこに突っ込んでいたらキリがないぞ。そもそもお前の方が老けて見え」
「お黙り下さい晴賢様」
 白い学ランに身を包んだ七三分けの風紀委員――腕章をつけている――の言葉を遮り、隆包は大人しく座っている残りの二人に目を向けた。前髪で顔を隠した黒い学ランの気弱な生徒と、髪の先が外側にくるりと巻かれたブレザーの生徒は戸惑いながら、あるいは感心なさげに事を見守っている。
「取り敢えず説明してくれないか」
「この世の全てはノリで回避出来るんだよ隆包」
「無茶を言うな」
「要するに学園ものだよ、お約束の。そういう設定だから受け入れていかないと」
「設定などという言葉を軽々しく……はあ……もういい。身が保たない……」
 隆包の溜め息で、幕は開く。
「あ、ちなみに、この寸劇はこれから始まる内容には全く関係がないので、あしからず」
 主な原因となった元就は誰にも向けずに言った。


番外編・厳島高校


 宮島のとある私立学校、厳島高等学校。制服は基本的に決まっておらず、また自由な校風に惹かれ、ここには島の内外から生徒が集う。そんな学校の特進クラス――学年の区別なく集められる少人数クラスには、特別色の濃い生徒ばかりが在席している。
 風紀委員で少々口煩い陶晴賢。毛利家長男で気の優しい毛利隆元。次男でスポーツ万能、いつでも爽やかな元春。三男でヴァイオリンを好む、若干癖のある隆景。そして、学校の七不思議でもある、三人の父元就。何故彼がやけに若い容姿をしているか、何故高校生なのかも、誰にも分からないのであった。
 こんな面々であるから、纏めるべき担任の弘中隆包も苦労が絶えない。その上、このクラスでは全ての教科を担任が担当している。一日を騒ぎの中に置かなければならないのだ。
「おはよう、隆包」
 日誌を持って教室に歩く隆包を廊下で見つけ、元就はぽてぽてと歩きながら近寄った。
「せめて先生をつけろ」
 隆包は日誌で軽く元就の額を叩いて、それから溜め息を吐く。
「朝から溜め息とは、よろしくないね」
「ああ……昨夜は仕事であまり寝ていなくてな」
 二人揃って教室に入った。教室には既に他の生徒が登校しており、元就がいつも最後に来ることになっている。机に座って隆景と話していた元春がぴょいと机から飛び降りる。再三晴賢から注意されているのだが、いつまでも聞き入れる気配がない。
 隆包が教卓の前に立つとそれぞれが着席した。
「さて……告知していた通り、今日は特進だけテストがあるのだが……」
「えっそうだっけ」
 話している途中にも元春が首を傾げ、隆包は早速暗雲を見ながら続けた。
「午前のうちに古典、日本史、英語、数学を行って、午後は通常通りの授業だ」
「それで眠れなかったんだね」
「そうだが、元就、……さてはお前も予定を忘れていたな」
「忘れる以前に聞いていなかったのでしょう」
「い、一週間くらい前から何度か予告されてたのに……?」
「どのみち覚えていたところで元春も元就も勉強などせんだろう」
 試験の存在を覚えていた隆景、隆元、晴賢が口々に言う。元春はくっと片眉を上げた。
「そんなことねえよ」
「どうだか……」
 睨まれた晴賢がそっぽを向く。
 緊迫しかけた空気を割るように、隆包はボールペンで教卓をコンコンと叩いた。予鈴が鳴った。
「さて、早速だが古典のテストを配る。通常通り時間は五十分だ」
 問題用紙と答案用紙が配られる。隆包は腕時計の文字盤を確認し、静かに開始を告げた。自分は休めると、ほんの少し喜びながら。

 試験が終わった、昼休み。
 元春は横を向いて椅子に座り、うんと背伸びをした。
「ああ、怠かったー……午後何だっけ」
 それには後ろの隆景が答える。
「日本史と体育ですよ」
「よっしゃ体育! 今は取り敢えず身体動かしてえよ」
「その前に、ご飯だね」
 にこりと微笑みながら、隆元が鞄から弁当を取り出す。元春も微笑み返し、立ち上がって机を動かし始めた。隆景の机と向かい合わせ、その両側に隆元と元就が座って昼食を共にするのが、日々の習慣だ。――必然的に、晴賢はいつも一人で食事をすることになる。よく晴賢の世話をしている隆包も昼は忙しくしていることが多く、姿を見ることは少ない。
 構わんと晴賢は言っているが、どうせ人数が少ないのだからみんな一緒でいいのに、と隆元などは思う。
「あの……」
 声を掛けようとしたときだ。元春が言葉を重ねた。
「今日の飯って誰だっけ?」
「隆元兄さんですよ」
 毛利家の弁当は日替わりの当番制だ。元春は朗らかに笑った。
「じゃあ大丈夫だな、昨日と違って」
「どういうことですか」
 昨日の料理当番だった隆景が満面の笑みで問いただすが、元春には効かない。代わりに隆元が震えた。元就は既にご飯を食べ始めていた。
「隆景は、良くも悪くも独創的だからね」
 もさもさと食べ物を頬張りながら元就が言う。どういう意味ですかと隆景が返す。そのままの意味だろうよと元春が乗る。どうして仲が良いのにいがみ合うんだろうかと隆元が思う。それを聞きながら、静かに飯を食えんのかと晴賢が眉を顰める。
 食事を終えると元春は机を戻し、元通りになった教室で雑談を始める。隆景は音楽室へと出掛け、また晴賢は風紀委員の見回りで出ている上に元就は図書室に入り浸っているので、教室には隆元と元春しかいない。
「もうすぐ十月だな」
「そうだね」
 他愛のない話を長男と次男は紡ぐ。
「何か、この季節になると妙に落ち着かねえんだよな」
「うん……と、特に、ここへ来ると……」
 隆元は窓の外を見る。
「十月は……あんまり、調子よくないね。天気も悪い日多いし」
 空は潮騒を映している。
「ま、気のせいだろ」
 元春はそう切り上げると、午前中に行った試験の問題用紙を取り出し、睨んだ。

 午後。
 日本史になると、普段は眠そうにしている元就が、どんな時間であれ生き生きとした目で授業を受けている。教科書の内容など比べ物にならないほど歴史を知り、愛しているのに今更――と息子は思わないこともない。
 授業は戦国の初期に入っていた。特に、学校のある厳島で起きた合戦について、隆包は話し始める。
「――嵐の中を毛利軍は進軍し、厳島に布陣していた陶軍へ奇襲をかけた。陶軍は瓦解し、兵力差の前に毛利は勝利を収めた」
「ここが戦場じゃなかったら、どうなっていたんだろうね?」
 元就が口を挟む。隆包は分からんと首を振った。
「だが、渡航に反対する将も少なからず居たわけだから、やはり厳島に追い込んだことは大きかったのだろうな」
「両者にとっても背水の陣だったわけだがね」
「島が血に染まったというし、壮絶な戦だったのだろう。十月の朔日に奇襲を受け、最後の将も徹底抗戦した末、三日には討ち取られた」
「十月朔日……つうと、新暦ではもうすぐだな」
 元春が言う。
「旧暦では二週間程度遅れるが、日付上はそうだな」
「十月は好きではない」
 隆包の返答を聞いて、晴賢はつんとして言った。
 結局日本史の時間は厳島合戦の話に終始した。
 六時間目は体育だが、人数の関係で別のクラスと合同の授業となり、このときばかりは隆包も監督から外れる。
 普段からジャージを着ている元春以外が着替えると、運動場へ出た。競技はドッジボールだ。二クラスの合計からチームを分けることになり、元春と隆景は互いに分かれることを決める。
「絶対、お前には負けねえよ」
「その言葉、後悔させて差し上げますよ」
 二人が火花を散らす様子を見て晴賢が首を捻る。
「相変わらず仲が良いのか悪いのか分からん兄弟だな」
「い、いい方なんですけどね?」
 隆元も思わず首を傾げた。結局、元春と隆元と元就、晴賢と隆景が同じチームに入り、剣道部の元春と晴賢が対峙することとなる。
 それぞれのコートに別れ、元春はチーム内に声をかけた。
「やるからには勝つぞ!」
 特に運動部の男子に人気の高い元春だ。チームにも熱気が灯る。
「お前が居たら負ける気しねえな!」
「期待してるぜー」
 余談だが、元就は既に外野を選び、コートの内側には一歩たりとも入っていない。
 一方、相手側では晴賢と隆景が話をしていた。
「元春兄さんに負ける事は許されませんよ」
「笑止! 私があいつに負けるわけがなかろう」
「しかし、一人が正面からぶつかって討ち取れる相手でもありません」
「それは確かだ。だが、それで勝ったといえるか?」
「試合に勝って勝負に負けると仰りたいのですか?」
「元春は認めまい」
「ならば最後の一人まで追い込んでから狙うことに致しましょう。それならば、負けを認めざるを得ますまい?」
 体育教師によって試合開始のホイッスルが鳴る。
 ボールを持つのは晴賢らの方だった。別クラスの生徒だったが、大将をとばかりに元春へ向かってボールを投げた。真っ直ぐに放たれた球は元春を正確に追うが、元春はにやりと口角を上げ、軽々と受け止めた。
「この程度か、よっ!」
 元春によって投げた方が逆に退場させられ、転がったボールを晴賢が拾い上げる。そして難なく相手方の生徒を退場させると、今度は元春が――とデッドヒートが続いた。気が付くとコート内に残っているのは特進クラスの他は二人程度となっていたが、ここで最初から外野にいた元就が内野に戻ってきた。
「また白熱してるねえ」
「今更戻ってきたところで変わるまい」
 そう言って晴賢は隆元を狙った。今まで運良く狙いを外れていた隆元だったが、あまり運動が得意な方ではない。ボールは隆元の腕に当たり、宙に飛んだ。と、同時に元春はボールの軌道を見ながら走った。このままではコートの外へ出てしまう。元春は地面を踏み切り、腕を伸ばした。ボールが元春の片手に収まる。
「よっと」
 元春はそのまま着地した。にっと笑って隆景を見る。
「落ちる前に取ればセーフだよな?」
「……ええ」
 そしてまた打ち合いが始まる。特進以外は外野に追いやられ、その後は一進一退の攻防が続いたが、ついに立っているのは元春と晴賢だけになってしまった。
 ボールは晴賢に渡った。
「いい加減に終わらせようではないか、元春」
「そうだな。他の奴らも退屈だろうよ」
 しかし、ボールは元春の横をすり抜けた。元春が身を翻すのと同時に、外野の隆景がそれを拾った。そのまま晴賢に返そうとしたときだった。授業終了のチャイムが鳴った。
 元春は脱力して肩を落とした。
「えらく長いことやってたなあ」
「結局決着はつけられなかったか……」
 晴賢が悔しそうに歩き出す。
「げ、元気だね……」
「うーん、後半は寝ていて記憶がないんだけどなあ」
「立ったままですか」
 隆元、元就、隆景も教室に向かい、元春も後を追った。

 ホームルームが始まると、隆包はテストをそれぞれに返却した。
「相変わらず仕事が早いね、君は」
「人数が少ないからな。それと、お前は歴史以外にも興味を示さんか」
 隆包は元就にそう言ったかと思うと他を見て、
「元春は、古文と日本史の一部はよく出来るのだな……」
「南北朝時代なら任せろ」
「そんなことを自慢しないで下さい兄さん」
「隆景は平均的だな。隆元君も。優秀なことだ」
「あ、ありがとうございます」
「私はどうした」
「……英語はいいんですが」
 とそれぞれ批評した。
「十月は行事もないので、体調を崩さぬよう程々に勉強しなさい」
 この言葉でホームルームが終わり、元春と晴賢は剣道部、隆景は吹奏楽部の活動で学校に残り、隆元と元就は今日の夕飯を考えながら帰路についた。


 十月に入ったとある放課後、部活動が休みだったので、隆景は屋上に出てヴァイオリンを奏でていた。傍では同じく暇を持て余していた元春が耳を傾けている。
「哀しい音だな」
 音楽が途切れると元春はそう言った。
 隆景が微笑む。
「レクイエムですからねぇ」
 屋上から臨む山の木々は紅く色付き始めている。
「何でまた」
「さあ、分かりませんが、奏でたくなったものですから」
 二人のところへ、隆元が晴賢を連れてきた。
「いい音、だね」
 再度奏で出した隆景の音色を聴きながら隆元はフェンスに背を預けた。晴賢も適当な場所に腰を落ち着ける。
「……そうだな」
 珍しく、晴賢も素直に賞賛する。目を細め、眉間から皺を消した。
「何処か、懐かしい気分になる」
 音色が風に乗り、木の葉と共に、山の方へと流れていく。
 教室の方では、元就が残って隆包に古い本を見せていた。
「棚を整理していたら出たんだ。どうやら誰かに関する書のようだが、肝心の人物名が一切書かれていなくてね」
 隆包は和綴じの本を手に取ると表紙を眺めた。掠れてはいたが、題名の書かれているのが読めた。
 中を開くと確かに延々と冗長な文で一人の武将について書かれていたのだが、ついにそれが誰かは明かされなかった。
「それで、どうして私に」
「うん、何だか、読んでいると君を思い出してね」
「ふむ……」
 隆包の指先が本に染みた文字を撫でる。文字の多さに隠されてはいたが、これが厳島に関する人物の記述であることは分かった。
「……冗長だな」
 ふうと溜め息を吐くと、隆包は本を閉じた。
 本の表紙にはただ、百万一心、とだけ記されていた。


 そしてまた学校の一日が始まる。
 休み時間だった。
「あ、今日は飯いらねぇから」
 元春がそう言ったのが発端だ。どうしたのと隆元が尋ねると、元春はしれっと言ったのだ。
「いや、彼女が一緒に食おうっつーからさ」
 教室の空気が凍り付く。寝ぼけていた元就はやっと顔を上げた。
「ん? どうした?」
「い、いや……元春って、彼女いたんだね……」
 苦笑しながら隆元が言う。後ろでは隆景が机を叩いた。
「そのようなこと、初耳ですが?」
「あれ、そうだったか?」
「私も聞いてないぞ!」
「だ、誰も教えてもらってないみたいだね?」
「じゃあ今言うか。先月くらいから付き合ってる奴いてさ」
「そんなに前のことなのに仰って頂けなかったと」
 騒ぎが大きくなる中、職員室に戻っていた隆包が教室に入る。
「相変わらず元気だな……」
「元春に恋人がいたらしいよ」
 元就が寝ぼけた声で言い、隆包は笑った。
「いいことではないか」
「それを誰も知らされてなかったのが問題のようでね」
「ああ……」
 予鈴が鳴る。授業は、現代文だ。
 隆包は黒板に「一日一力一心」と書き付けた。
「百万一心とも、一日一力一心とも読むことが出来る。意味は……」
 秋風の吹き抜ける向こうで、潮騒がさざめいていた。




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