1.筒井順慶 | ナノ

1.筒井順慶


 僧衣姿の遺体が見つかったという知らせが同盟軍の陣に入った。
 一端の兵卒とは思えぬ身なりだったため、報告されたらしい。それを聞き、報告した伝令の元に走り出したのは島左近だった。伝令に詰め寄り問い正す。
「その、様子は!?」
 鬼気迫る左近の様子に伝令は怯えながらもしどろもどろに状況を説明しだした。
 曰く、身体中傷だらけで、一撃ではなく嬲られて死に絶えたらしい。周囲には二人分の足音しかなく、誰かと一騎打ちに持ち込まれていたということ。
 そこまで話すと伝令はぼろぼろになった笠を左近に差し出した。左近の顔色が変わる。
「これは……」
 目を見開き、歯を食いしばると少し落ち着かせるように首を左右に振り、左近は笠を奪い取った。何の特徴もない笠だ。切れた白い紐にも所有者を特定出来るような証はない。だが左近には覚えがある。
「殿……!」
 かつて左近が仕えていた主、筒井順慶は戦を嫌い、常に笠と僧衣を身につけていた。当主だけあって人並み以上の腕はあるが、名のある武将相手では分が悪い。だが、一太刀に斬られたのでなければ逃げるくらい出来たはずでもある。張り裂けそうな胸を抑えながら左近は分析を続ける。と、笠を撫でる指に何かが触れた。笠を抱え上げ日に照らしてみると透明な糸が笠に巻き付いているようだった。
「これは……蜘蛛の……」
 左近の脳裏にある男の姿が浮かび上がる。同時に、血が冷えていく。伝令は怯えて逃げてしまったが左近はそこに佇んでいた。
 乱世の梟雄、松永久秀。
 元の世界から対立していた相手ではある。だがこの世界でも順慶を追い詰めるとは、左近もそこまでは気を回していなかった。そもそも順慶の行方すら知れていなかったのだ。本来ならば左近が自らを責める必要も理由も全くない。
 荒廃した地面に薄い涙が落ちた。
「殿……やっと、行方が知れたと思えば……何でこんな……」
 笠を抱き締め、慟哭する。遠巻きに一部始終を見ていた将たちは左近へ近寄ることも出来ずにやがて散っていったが、一人だけはゆっくりと左近の元へ歩き出した。赤と白の毛で作られた被り物を身につけ、腰に大一大万大吉の紋を入れた将こそ、左近が最後に仕えた主石田三成だ。
「左近」
 張り詰めた空気を払うように三成は声をかける。
「それは、誰のものだ」
 指先の尖った篭手で笠を差す。左近は暫く沈黙した後、「筒井順慶のものです」と枯れた声で答えた。
「筒井……確か、お前は一時そこの家臣であったな。だが主家の不義で出奔したと聞いたが」
「それは、跡継ぎの話です。殿が亡くなるまではずっと支える気でいました。……お気を害しましたかな」
「ふん」
 三成は鼻で笑い、それはいい、と一蹴した。
「元より俺とお前は同志であったはずだ。それより……笠があるということは、見つかったのか」
「ええ。屍でね」
 左近はただ淡々と答える。
「殺ったのは、恐らく松永久秀です。遠呂智軍に自らついたとは聞いていたが、わざわざ殿を嬲り殺すとは……」
「それはどこの話だ」
「九州だと聞いてます。七ツ石で見つかったと」
「逃げ場をなくされたか。周到なことだな」
 パン、と軽快な音を立てて三成は鉄扇を開いた。その先を左近に向ける。左近は血走った瞳で殿でもある同志を見つめた。
「先程出陣して見つけたということは、出ていた者の記憶を辿ればよかろう。何を留まっている」
「殿……」
「左近ともあろうものが、今出来ることすら見つけられないのか? どうかしている。一度頭を冷やしてこい」
 三成はそう言い切って扇を閉じると、そのまま立ち去ってしまった。残された左近は笠を握り締め――微笑んだ。
「俺としたことが……やり直せる世界だということを忘れていたとはね」
 光り輝く陣へと足を向ける。
 左近がかぐやに尋ねたところ、幸村が趙雲らと共に九州近くへ妖魔軍を討伐するために出ていた、という答えがあったので、旧知の仲であり義にも厚い幸村に頼んだところ、幸村は快く協力を申し出た。
「ただ、我々は七ツ石の方面まで出てはおらず……向こうで何があったのかも分かりませぬ」
「充分だ、幸村」
「どうかご武運を」
 光陣をくぐり抜ける。殺伐とした戦場の空気に包まれた瞬間、左近は馬を奔らせた。

 順慶は――息を切らしながら、同じ僧である下間頼廉と共に妖魔の軍勢から逃げ惑っていた。
「はっ、はあっ……。あの、数の、妖魔に対する、には、あまりに、も、分が悪い……ですね……はっ……」
「馬が射抜かれなければ、こうして徒歩で逃げることにもなるまいに……。まだ走れますか、順慶殿」
 頼廉は明らかに速度を落としている順慶を気遣い、走りながら振り向いた。順慶は首を縦に振った。
「だ、大丈夫、です」
 顔は真っ赤、息は荒く、肌中に汗が沁み出ている。誰がどう見ても大丈夫ではない。頼廉は足を止め、続けて立ち止まり息を整えようとする順慶の肩を叩いた。
「すみません、足手まといで……頼廉殿は、先に……」
「何を仰る。見捨てるわけにはいきませぬ」
「しかし……」
「見たところ、妖魔といえども拙僧の相手ではございません。多少であれば追い返してしまいましょう。さあ、共に」
 頼廉はその手を順慶に差し伸べた。順慶は汗を浮かべながらもふっと微笑み、手を握り返した。
「ありがとうございます……。正直を言えば、逢わなければいけない人がいるのです。見つけるまでは果てられません……」
「拙僧にも逢うべき者がいます。そのときまで耐え抜きましょう」
 奇妙な木々の合間を二人の僧はくぐり抜ける。
 不意に、頭上から軋むような音が聞こえ、二人は揃って天を仰いだ。だが見えたのは淀んだ空ではなく、今にも折れようとしている太い木の枝だった。
「順慶殿!」
 枝が落ちる。順慶は無意識に頼廉の手を離していた。枝は次々と降り注いだ。人為的に切り落とされたものであることを証明するように、切り口は揃っていた。順慶は遮られた行く手よりも、もう一人の僧侶を気にかけた。
「……頼廉殿! ご無事ですか!」
 枝で作られた壁の向こうから声が返る。
「拙僧は無事です。ですが……」
「私は迂回出来る場所を探します。頼廉殿はどうか、そのまま……」
「しかし」
「必ず逃げ延びます」
 言うが早いが、順慶は引き返し始めた。頼廉は暫くその場に立っていたが、足音が遠くなっていくのを聞くと道を真っ直ぐに駆け出した。
「クク……」
 木下闇の隙間から低い笑い声が響く。
「必死に逃げ惑う顔も美しいですが……貴方はもっと美しくなれますよねえ」
 掌に乗せた大きな蜘蛛を撫で、再び笑う。
「順慶殿?」
 逃げる順慶には届かない。
 獣道を通ったりして順慶が辿り着いたのは、巨大な岩の壁が立ち並ぶ広間だった。岩は時折動き、道を塞いだり開いたりを繰り返している。
「ここは……?」
「七ツ石ですよ」
 自分だけに向けたはずの呟きに返事があったことを驚くより、その声に聞き覚えがあることに気付き、順慶は声のした背後を振り返ることも出来ずに固まった。走ってかいた汗ではない――冷や汗が顎を伝って落ちる。背後からは声とともに足音も迫る。
「おや? 聞こえませんでしたか?」
 順慶は強張る身体を無理矢理動かし、努めてゆっくりと振り返った。そうして、完全に身体を向き終えたときだ。
 細い糸が順慶の腕を袖ごと絡めとった。咄嗟のことだったが、順慶は自由な方の腕を大きく振るとその中からこぼれ落ちた剪定鋏を手に取り、糸を切り上げた。
「……松永殿」
 警鐘を鳴らす鼓動の高鳴りを抑えながら、順慶は一つの音ずつ、しっかりと名前を呼んだ。松永久秀はにやりと悪意に満ちた笑みをその顔に浮かべた。
「奇遇ですねえ。こんなところで逢えるとは」
「貴方は……遠呂智に与していたはずです……」
「知られていましたか」
「……先程の枝も、貴方の仕業なのでしょう。私に用ですか」
 順慶は臆する事なく久秀と立ち向かう。解放された右側の袖から、短刀ほどの刃先を持つ鋏――勿論、剪定用ではない――を持ち出してはいたが、正面から渡り合う気などは一切持ち合わせていない。
「よいのですか? ここにお守りの左近殿はいませんよ」
 久秀は順慶の勇気すらも笑い飛ばした。
「いないことを知っているからこそ、こうして前に出たのでしょう」
「ふふ……強気ですねえ。ですが」
 銀色の煌めきを目にして順慶はすぐに鋏を身構えた。キィン。甲高い金属音と重い手応えが刀を受け止めたと伝えている。少しの間均衡を続けていたが、先程まで駆け抜けて疲れ切っていた順慶は徐々に押し負け始めた。ついに、鋏は弾かれて空を舞う。刀の先は順慶の頬だけではなく白い紐をも切り割き、繋ぐものを失った笠が地面に落ちる。
「くっ」
 覚悟して目を強く閉じた順慶だが、すぐに刃は届かず、代わりに腹を強く蹴られる。軽い身体は吹き飛ばされて転がった。咽せ、胃液を吐き戻す順慶を再び久秀が蹴り飛ばす。よろよろと立ち上がったとき、順慶は既に七ツ石の中に居た。計っていたかのように岩が閉じ久秀と順慶だけが閉じ込められる。
 順慶の瞳には既に弱々しい光が灯るのみだった。久秀は一層愉快そうに微笑んだ。
「その絶望に苛まれた顔こそが貴殿には相応しい」
 一つ、二つ。順慶の身に切り傷が生まれていく。腕や肩など致命傷にならぬところだけを斬るかと思えば、逃げられぬようにと足にも傷が入る。順慶はもう悲鳴を上げることすら忘れ、ただただ死を待った。いっそ一思いに自害してしまおうか。血が流れていくのを感じ取りながら時折そんなことも思う。だが、まだ信じていたいものが、あった。
「……さ、こ……ん……」
 必ず泰平の世を共に迎えると誓った臣下は今この地にない。
もはや感覚も薄れ、順慶は己を切り裂く刃を受け入れた。やがて――目から光は消え、かくりと項垂れた。久秀はそれを満足げに見届けると七ツ石を脱出し、打ち捨てられていた順慶の笠で休んでいた蜘蛛を拾い上げ、去っていった。
 暫くして――左近が馬でそこへ駆けつけた。七ツ石の中を走り回ってやっと見つけたときには、主は既に息絶えていた。
「殿……」
 下馬し、亡骸の傍で膝をつく。揺さぶっても反応は当然ない。左近はより軽くなった順慶を抱きかかえ、哭いた。
「殿ォオオオオ」
 まだ身体は温かい。もう少し早く辿り着けていれば、助けられたかもしれない。
 慟哭は岩の動く音で掻き消された。

 光の中から帰還した左近は出る前よりも暗い顔で、共に戻っていた幸村さえも声をかけられなかった。ふらふら歩き出したかと思うと、左近は、陣地の柵を思い切り殴った。
「くそっ……!」
 漸く居場所を知った順慶は既に息絶えていた。その事実に二度も直面させられている。さらに、誰もこれより前の時間や順慶の行方を知らないことから、別の地から救出することも出来ない、ともかぐやから聞かされており、左近を追い詰めている。順慶に出逢ったという話は誰からも出ていないということだ。
「なら、もっと早く……それしかないってことか……」
 腹の底から声を絞り出す。
 三成が、仙人の伏キを連れて左近のもとへやってきた。帰りを待っていたら偶然伏キに出逢い、わけを話したと三成は言う。左近は漸く俯いていた顔を上げた。
「酷い顔をしているな」
 左近の顔を見つめ、三成はふっと鼻で笑った。
「まさか、一度や二度で諦めるまい」
「……当たり前じゃないですか」
「大方、焦って敵に囲まれ、時間を喰ったんじゃろ」
 伏キも笑い飛ばす。軍略家らしくないというのである。左近はばつが悪そうに眉を顰めたが、同時に冷静さも取り戻していた。
「……焦っちゃいませんよ。予想外の敵がいましてね」
「予想外?」
 三成が聞き返す。左近は語り始めた。

 曰く――左近は、妖魔の兵を無視してただ駆けていた。
 だが行く手を二人の将が遮った。一人は白、一人は黒。対照的な服を着込んだ相手だったが、片方には左近も見覚えがあった。高山右近だ。久秀に従っているのだろう、一度はそう思ったのだがどうにも様子が違う。もう片方は、短い髪を七三にぴちりと分け、手には短い鞭を持っていた。
「……正義の、下に」
 右近が右手をゆっくりと上げる。しっかりと武器を握って。
「……粛清を」
 白と赤の衣を纏った将――陶晴賢もまた鞭を振り上げ、左近を狙った。

「――すぐさま清盛の術だと分かって、そこそこに切り上げるつもりだったんですが……思いの外、隙を見つけられず……」
 思わぬ邪魔になったと左近が語っていると、「その話、本当かい?」と割り込む声があった。ずかずかと近付いてくるのは毛利元就だ。左近は、ええ、と頷いた。元就は腕を組んでううんと唸った。
「白と赤のやたら目立つ服で、粛清と口走ったなら……それは陶晴賢だ」
「陶……毛利の仇敵じゃあないですか」
「仇敵といえばそうだけど……清盛に操られていたのかい?」
「恐らくそうでしょう」
「そう……。いや、息子の行方も知れなくてね。もしかしたら彼に出逢ったのかもしれないな。ありがとう」
 元就は手を振りながら忙しなく走り去っていった。
「……話の腰を折られましたな」
 ふうと溜め息を吐きながら、左近は笑った。肩の荷が下りていく気がした。ちったあ喜楽になりましたがね――と心の中で元就に感謝し、呆然としていた三成、伏キに向けて頭を下げる。
「殿、伏キさん。居合わせた縁です。殿を……順慶様を助けるのに力貸しちゃくれませんか」
 三成と伏キは目を合わせ、伏キは頷き三成はそっぽを向いた。先に口を開いたのは三成だった。
「最初から俺に声をかけていればよかったのだ」
 伏キが続けて笑う。
「お主には世話になったからのう」
 時は巡る。
 絆を集め、誰かが誰かを助けるために、行き来を繰り返す。

「よいのですか? ここにお守りの左近殿はいませんよ」
 七ツ石の傍で久秀と順慶は対峙する。
「いないことを知っているからこそ、こうして前に出たのでしょう」
 順慶の身体が弾かれ、七ツ石に蹴り入れられる。四方の岩は閉じようとしていた。
 久秀は刀を順慶に向け、突き立てようと――した。未遂に終わったのは確かに響いてくる馬の足音が耳に入ったからだ。
「無粋な……」
 岩壁が一つ、開く。隙間からは矢が飛んだ。久秀がそれを避けている間に壁は開き切り、順慶は身体を起こした。続けて矢の雨が久秀だけを狙う。
「これは、援護……射撃?」
 馬が順慶らの居る部屋に飛び込んだ。一つは久秀の元へ跳び、一つは、順慶の傍で止まった。
「殿!」
 差し伸べられた手を順慶はしっかりと握った。
「――左近!」
 逞しい腕に捕まり、順慶は馬上に抱き上げられた。馬が暴れる。腕は順慶を逃がすまいと、抱き締める力を強くした。
「……殿」
 和州の主従が待ち望んだ邂逅を果たしている間――三成は久秀と戦っていた。伏キは先に出逢った右近、晴賢の足止めをして既に別行動となっている。別の岩壁が開き、久秀は背後に跳んで七ツ石から抜け出た。
「全く、興醒めしました。次の機会を待ちましょう」
「待て!」
 三成が追うまでもなく久秀の姿は消える。地団駄を踏んだ三成だが、当初の目的を思い出し苛立ち気味に左近の元へ戻った。
「何をのんびりしている。さっさとあの仙人の加勢にいくぞ」
「はいはい……すみませんね」
 焦って答える左近に抱えられたまま、順慶は、何故自分が三成に睨まれているか分からず首を傾げた。

 追っ手を振り払い、なんとか戦場を脱した三人と順慶は同盟軍の陣地に戻ることが出来た。やっと地面に降り立ち、順慶は深々と頭を下げる。
「どういう状況かは分かりませんが……ありがとうございます。あのままでは、私は……」
「死んでいたどころか実際、死んでいる」
「ちょっと、殿!」
 左近はきっぱりと言い放った三成を諌めた。まだ時空を旅することすら話していない。案の定順慶は不思議そうな顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「尚更、ありがとうございます。……貴方は、左近と親しいのですね。先程殿と呼ばれていましたが……左近?」
 大きめの瞳が左近をじっと見つめる。今は、光に満ちている。左近は頭を掻きながら苦笑した。
「それを話すと元の世界のことから話さないといけなくて、長い話になるんですがねえ……」
「構いません。どうせ、説明してもらうことはたくさんあるのですから」
 順慶は三成にも笑いかけた。三成は左近と順慶を交互に睨み、ふんと鼻を鳴らした。
「教えてやれ、左近。俺はもう疲れた」
「ちょっと、と……三成殿!」
 戦場とは違う修羅場が陣地に生まれた瞬間だった。


 荒れ果てた厳島の地で――吉川元春と小早川隆景の軍は敵の大軍に囲まれていた。妖魔も混じってはいるが、殆どが術で操られた人間で構成されている。
 大軍が掲げているのは赤字に白で抜かれた大内紋の旗だった。
「こりゃ……嫌なこと思い出させんなあ」
「奇遇ですね、兄上。私もあの戦を思い浮かべておりました」
 潮風が兄弟の間を吹き抜ける。
 時間は、再び巡る。




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