けもみみパニック | ナノ

けもみみパニック


 妖蛇に立ち向かうため築いた陣地には、無数の天幕が点在している。そこでは一つの勢力が、家族が、あるいは友人同士が集まってひと時を過ごしている。
 その、集落とも呼べる場所に。悲鳴が響いた。
「な、何だ、これっ」
 低い声が青い天幕を震わせる。驚く者を見て、笑う者もあり。鏡を見て肩を上下させる夏侯惇の後ろで、曹操は腹を抱えていた。
「似合うではないか、夏侯惇」
「喧しい!」
 曹操が笑いながら夏侯惇の頭に手を伸ばす。その手が届くよう、反射的に頭を下げた夏侯惇だが――触れた指の先には、ふわふわした毛の耳。どうやら犬のものらしかった。
「たっく……何でこんな、」
「そう騒ぐことでもない」
「……お前はどうしてそこまで冷静でおれるのだ? 他人事ではないのだぞ」
 そう苦々しく言って夏侯惇は曹操を見下ろす。そこにも同じような黒い獣の耳が生えているのだ。自分のものとはまた、毛質が違う。
「ああ、生えておるな。だが、それがどうした? 体調に影響があるわけでもなかろう」
「あのな……」
「突然現れたのなら、そのうち消えるだろう。ならば楽しむ方が得。というわけで、わしは呉のところへ……」
「ふざけるな、孟徳!」
 夏侯惇の耳がピンと立つ。いそいそと立ち去ろうとする曹操の肩を掴み、制止しようとしたが、不意に相手が振り向いたので手が滑り、その勢いで向こうへ一、二歩出ることになった。眼前にはにやりと笑う君主。
「おすわり」
 掠れた囁きだったが、夏侯惇は途端にその言葉に縛られてしまった。耳の中で、頭の中で、声が響く。そしてそれに逆らえない。ぺたんとその場に膝をついてしまった。
 それを見た曹操の笑みが増々濃くなったことは、また言うまでもなく。
「なるほど、犬になったのは耳だけではないようだ」
 普段は身長のせいで見下ろしている相手が自分を見下ろし、その頭を撫でている。呆然としていた夏侯惇は漸く我に返り、真っ赤になった顔で叫んだ。
「孟徳!」
 ――この騒ぎを目にしていた、他の住民は皆慣れた様子で口々に言う。
「流石は殿、どんな状況でも変わらねえなあ」
「いやいやいや、父さん、和んでる場合でもないと思うけど?」
「ああ、どんな私も美しい……!」
「……父さんとか俺って、割とまともな方なのかな」
 と、夏侯淵、覇親子の会話に張コウが乱入したかと思えば、離れたところで、
「ふむ……これはまた面妖でござるな」
「しかし、我々のように被り物をしている者にはあまり関係のない事態かもしれませんな」
 と徐晃、張遼が至極真面目な顔で言う。
 周りの視線と声に居たたまれなくなった夏侯惇が、俺の感覚がおかしいのか、と思うまでに――通常通り、だった。
 勿論、そうして話す全員の頭にも何かしらの耳は生えているのだが、目の前で繰り広げられる君主と腹心の痴話喧嘩に自分のことどころではない。
 そんな魏軍の天幕から、ある影が抜けていった。

 石田三成は、久し振りに兜の外された友を眺めていた。
 普段はその中央に堂々と愛が刻まれた兜だが、今は黒い髪に別のものが生えている。
「……いや、生えていると言っていいのか、これは?」
 三成の頭には犬よりは少し大きい、狐の耳が。同志である左近にも猫耳が、友である幸村には犬のそれが――と、そこまでなら、三成もまだ納得出来た。納得せざるを得なかったのだ。元より異様な世界だ、何が起きても今更驚かぬと。
 だが、直江兼続の頭にあるそれは、獣の耳というものではない。
「烏賊、でしょうかね」
 三成の傍で左近が苦笑する。
 兼続の頭には三角形の白い何か、それが両端についているのだ。どうも堅い。
「……耳、なのか?」
「どう……でしょうねぇ」
 兼続は憂う友人などには気付かず、己の師と楽しげに話している。その会話が成立しているかどうかは定かでない。
「……あれを見ていると、自分のことなど笑って飛ばせる範囲だと思えるな」
「ええ……」
「まあ、烏賊よりは可愛らしいですね」
 呆れたのは三人だけにあらず。天幕の中ではなく、宴会場で話しているものだから、衆人の目がある。
 関東三国志と呼ばれた武田信玄、北条氏康は、残る一国の主を遠目に眺めながら同時に言った。
「……耳?」
 白い頭巾を突き破るようにして生えたそれは、遠目に見ると枝にも見える。彼が越後の龍と呼ばれたことを知っていて、氏康は嘆いた。
「角だろうが、それは」
 ド阿呆、と彼の口癖が次いで出た。その隣で、信玄は、臥龍にも同じものが生えたのかねぇと言って扇を振るのだった。

 ところ変わって、戦国出身者の天幕が集まる陣地の、その西側に、かつて同盟を結んだ西国の雄たちが揃っていた。
「これはまた、面白い事態になったねぇ」
 ギン千代曰くぽややんと、普段通りの口調で話すのは毛利元就。元々垂れた犬の耳を下げ、にこりと笑ってみせる。それに返されたのは苦笑だった。
「全く、貴方らしい」
 この状況にも穏やかで居られるとは。そう言って、宗茂は後方をちらりと振り返る。宿敵であった島津の頭にも、可愛らしい猫の耳が生えている。
「ギン千代も猫でしたよ。まあ、何が猫と犬を分けるのかは知りませんが」
「その、ギン千代は?」
「あそこに」
 と宗茂が指差した先には、今川義元の傍で目を輝かせるギン千代の姿があった。かねてより彼女の心を刺激する何かを持ち合わせていた義元の頭、というよりは元々の耳の付近には、茶色く丸い、ふわふわとした――栗鼠のものが。
「ああ、あれにやられたのか」
「そのようです。愛らしいものならここにも居るというのに」
「ん?」
 要領を得ない、といった風に見上げてくる元就に対して、宗茂は爽やかな笑顔だけを返事とした。
「耳、触っても?」
「あ、ああ。いいよ」
 眉を下げて困ったように笑う元就の顔はまさに犬そのものだと思いながら、暫くはその感触を堪能することにした。宗茂の、大きな栗色の耳がぴんと立つ。
「君のはまた、猫にしても犬にしても大きいねぇ」
 暢気な声の、率直な感想だった。
「ええ、そうですね」
「何だろうね。狐か、あるいは」
「狼……ですかね」
 くすり、というよりは、にやり、といった様子で宗茂が笑う。それは元就が苦手とする部類の笑顔だった。どういう理由か、その表情をされると言葉を失う。
「……それはそれで、似合う気がするね」
 顔を背け、ぼそりと呟く。そんな元就の様子を宗茂がまた好んでいることなど、知るはずもない。
 暫く話していたところへ、突然他の声が入る。
「全く、この世界の人間は順応が早すぎる」
 元就はその声が聞こえてきた方向を向いて笑った。
「やあ、賈クじゃないか」
 何かと西国の面々と仲の良い魏の謀士は、普段より頭の布を緩く巻いているようだった。
「どうしてわざわざこっちに?」
「避難でもしないと、次の標的にされそうでね。何より、今のうちの空気には馴染めない」
「何があったかは知らないけれど……曹操殿なら、むしろこの状況を楽しんでいそうだね」
 信長公もそうだろうから――と元就は口の中で付け足す。外見や思想だけではなく、覇王と魔王は性格も似たところがある。
 義元のところから、ギン千代が戻ってきた。賈クを見るなり、挨拶もそこそこに頭の布に手を伸ばす。賈クは慌ててその手を抑えた。
「ギン千代殿、何のつもりで?」
「何。貴様が女々しく隠しているものだからな。取ってやろうと思ったまでだ」
「髭生やした野郎の猫耳なんて見て何が嬉しいんだか。俺が何のためにここまで逃げてきたのか解らない――」
「あれ、これは皆さんお揃いで」
 乱入者、再び。わざとらしい口調で言うのは半兵衛だった。後ろには官兵衛の姿もある。その袖を握られている様子からすると、半兵衛に無理矢理連れてこられたようだ。
「こんにちはー元就公」
 子供のような笑顔で元就に詰め寄る半兵衛。やあ、と元就が短い挨拶を返す間にも、宗茂がその身体をさらって自らの腕に閉じ込めてしまった。聞こえないように舌打ちした半兵衛には張り付いた笑顔を向けながら。
「元就公に何の用だ?」
「言われなきゃ解んないかなー。まあ、お子様だもんね」
「……外見だけならば卿の方が」
「何か言ったー、官兵衛殿」
 官兵衛が呆れたように黙る。笑顔で火花を散らす半兵衛と宗茂、その静かな対立を余所に、力強い腕に締め付けられた元就は小さく呻いた。半兵衛が何か言う度に力が籠って、痛い。
「むねしげ、苦しいよ……」
「ああ、すみません」
 感情の入らない謝罪だったが、その身体より解放され、元就はふうと安堵の溜め息を吐いた。
「まあ、いいや。で、」
 半兵衛の視線が賈クの方へ向く。自分に矛先が向くことはない、と希望した矢先のことで、賈クは思わず肩を跳ねさせた。
「何だ、半兵衛殿。俺に何か用が」
「ええ。なーに隠してんのかなあ、って」
 半兵衛の頭に生えた猫耳がぴくぴくと動く。
「官兵衛殿ですら隠してないのに」
 そう言って半兵衛が目配せした先には、片方が白く片方が黒い、半兵衛と同じような形の耳がある。
「ほら、観念して外そうよ」
「断る」
 頭を振った賈クだったが――その背後に影が迫る。そして、するりと青紫の布を奪ってしまった。ぴょこん、と今まで抑えられていた黒くふさふさした耳が顔を出す。
 賈クは珍しく慌てて振り向いた。
「ギン千代殿!」
 背後ではギン千代が勝ち誇った顔で布を振り回している。
「ふん。油断するからだ」
「いいじゃん、賈ク殿。可愛くて」
「あははあ、やはり謀士は狐と呼ばれる運命にあるのかな」
「謀神である元就公は犬ですけどね」
「卿も苦労することだ……」
 それぞれが思い思いの感想を口にする。賈クははあ、と疲労に肩を落とした。

 結局、妖術による仕業だと解り、太公望らがそれを解いたのはすっかり日が落ちてからのことだった。




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